2017_10
19
(Thu)22:17

人にはそれぞれ、趣味や好みがあるので、あくまでも、ぼくの、好み、趣味ということだけど(と、断るまでもなく、ブログなんて、書いてる人間の趣味や好みに過ぎないのだけど)。

 

今まで、「極まった」茶碗だの、薄茶器だの、水指しだの・・・(もちろん、あくまでも、ぼくの趣味、好みで)。

釜も、とうとう、なんか、そんな釜に出会えたみたい。。。

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なんとも、まあ、シンプルな・・・。

ちょっと、蓋を取ってみる・・・。

 

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まあ、ふつうの、いわゆる、鶴首釜。

ネットの画像で見たとき、あまりにも美しかったので、ついに。

実物を見て、ドキドキした(笑

この写真撮ってるときも、ドキドキ(笑

 

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天明浄元さんの、鶴首釜だと、15代淨心さんが極め。

萬字釜の浄元さんは、6代。古浄元。

こちらは、天明の浄元、つまり、9代浄元。佐兵衛浄元。

ネットにでてるときは「6代浄元」とあったけど、極書きを見て、「9代やんか」って。

いや、ま、9代でも6代でもいいけど、とにかく、釜自体の画像が、美しかった。

 

そして、実物も、やっぱり、美しい。

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フォルムと、肌の調和。

鶴首という形は、液体の入れ物のカタチとしては、たぶん、とてもオーソドックスで、普遍性がある。

釜だけでなく、花入れなどにもあるし、鶴首とはいわなくても、徳利とか・・・。

釜としては、ある意味、シンプルだけど個性的といえば個性的かもしれない(が、よく目にするのでそんなに特別とは感じないけど)。

個性的、というのは、凸面と凹面がなだらかにつながっているところ。

釜は、たいてい、凸面だけからできているものがおおい。繰り口釜や、唐犬釜などもふくめてほかにもあるといえばあるが、鶴首ほどどちらの面も多いのは、多くない。

 

そんな、オーソドックスで普遍的で、釜として個性的なフォルムに、この肌。

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口元はすこしだけ荒らしてあるが、この加減もとてもいい。

所々に、巣も入れてある。

 

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アップにするとこんな感じだが、この肌、この色合いだからこそ、調和している。

これが、たとえば、つるてかとしたなまず肌だったらどうだろう?

あるいは、ゴツゴツとした岩肌だったら・・・。

たぶん、この鶴首にそんな肌は似合わない。

し、ぼくの好みでもない。

 

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毛切りも、すーっと細くて美しい。 

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毛切りの上下で肌をかえる場合もあるが、これはおなじ肌。

そこもいい。

変えてあったら、ちょっとわざとらしくなりそう。

 

口も、このやつれがとても自然でいい。

案外、こういう容器類の口というのはむつかしい。

どういう口にするかで、全体の印象がぜんぜん変わってしまう。

印象だけならいいが、せっかくのボディが台無しになってしまうことだってある。

うえの全体の画像で見ても、口はとても自然で調和している。

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そして、鐶付。 

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釜にとって、鐶付は必要不可欠。

もっとシンプルに、遠山という手もあっただろうが、それではかえって目だちすぎる。

ここは、鐶付としては、ありふれた、オーソドックスな、鬼面で。

そして、この位置、この付け方、この角度。これが、調和していて、かわいい^^ 

 

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蓋は、浅めの掬い蓋。

シンプルに掬い蓋。

この掬い具合もこの釜本体によく調和している。

ツマミは梅は梅だが、ただ溝が彫ってあるだけではなく、花弁ごとに盛りあがっている梅。

この蓋の赤も、釜肌の色合いによく調和している。

 

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釜として、必要最小限のものしかそなえていないが、まったくシンプルでしかないけど、どこを見ても、どこから見ても、妙なる調和。

 

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あまり近づきすぎず、やや離れてみると、ほんとうに肌が美しい。

ドキドキする(笑

この肌を見ていると、テンションが上がりつつ、リラックスして、落ち着く。

侘びて満ち足りてくる古浄元さんの萬字釜とは対照的。

萬字釜は、肌、萬字紋、雷紋のうち様、やつしてある毛切り、肌や地紋の荒し方などなどとても行き渡っていて相当な腕だと感じたけど、でも、さらに、この鶴首をつくった釜師は腕が立つかと。

なので、佐兵衛浄元でいいかな、とも。

 

ほんとに、妙なる調和。

こんな釜があるなんて・・・。

これらの要素のなにが欠けても、こんなに美しいとは感じないだろう。

しかも、この要素は釜として必要最小限のものだけ。

 

鳴りは、やや高く、肌とおなじで、テンションが上がる一方、穏やかに落ち着かせてくれるような鳴り。

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まあ、この動画では、あんまりだけど。。。

 

 

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釜鐶もついていた。

細い、釜鐶。

これも、佐兵衛浄元作?



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2017_10
14
(Sat)20:32

今日は、曇っているといえば曇っていたが、光の加減がとてもよく、釜がとても美しかった。

釜は、火にかける前、全体を濡らす。

ただ、水気は拭かずにそのままコンロにかける。

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この濡れた肌もいい感じ^^

 

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実際は、もっとゆたかな肌合いなのだが、デジカメだからこんな程度だろう。

姿なりも、広角なので、いびつになってしまう。

 

肌がかわいていくのもうつくしい。

かわききったあとも、もちろん、うつくしい。

 

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まあ、しかし、これも、デジカメなのでこんな程度。

肉眼で直に見ると、蒼かったり、オレンジ色っぽかったり、黒かったり、茶色かったり・・・と様々な色つやがとても豊か。

これは、和銑独特の色合い。

洋銑はここまで色合いが豊かではない。

 

また、この釜も、使っているうちにだんだんよくなってきた感じがする。

 

見れば見るほど、いいなぁ、と。

肌が独特。

ただ、なんとなく、いわゆる芦屋釜と天明釜(天猫ではなく)の融合した釜、と勝手にそんなことを感じたり。

肌は天明風をやさしくして、地紋は芦屋風。

 

草庵風の釜、というのはそういうものか、と。

芦屋は、たぶん、どちらかと言えば広間向き。

天明は、あるいみ、田舎すぎ。

その両者をうまく融合させたのが、江戸中期頃の、草庵風、という感じかな、と。

 

それと、この釜を使っていると、「侘び」とうのがどういうことか、実感できる。

その当時の、「侘び」だけど。

なかなか、これこれと言葉にするのは難しいが・・・。

敢えて、言葉には・・・しない。

この釜を見て、しみじみと、味わっていよう。。。

 

ま、敢えて言うなら、これは、紹鷗系ではなく、利休系。

外見は控えめで「侘び」ているが、とても豊かな感情を内包している。

「侘び」というとなにか貧相な感じがするけど、外見は貧相でも・・・といった感じ。

 

ありがたいことに、家に来てくれたおかけで、仔細に鑑賞できる。

美術館や博物館だったらどんなに見てもここまでじっくり、細かいところまで見ることはできないし、もちろん、使ってみることもできない。

また、たとえお茶会に使われていても、こんなには見ることはできない。

 

この釜を見るだけで、この釜を注文した数寄者がどのようなお茶をしていたのか、というのがとてもよくわかる。

今どきの釜は、結構外向的、というか、ぱっと見で、こうこうと主張してくるものがおおい。

これは、内向的、というか、内面的、というか。

はじめ、正直、物足りない感じがした。

釜はなにも視聴してこないし、なにも語りかけてこない。見せつけてもこない。

しかし、よくよく、見てみると、なんとも。。。

(ネットの画像でよく見ていたので細部まで行き渡っていることはわかっていたが)

ひきこまれる。

ぱっと見では控えめでなんということもない、見過ごされそうな釜だが、よく見るほど、その魅力がふくらみ、引き込まれてしまう。

 

注文した数寄者が、偲ばれる。

どんなお茶をしていたのが、具体的にいろいろと空想がはたらく。

ま、もちろん、今どきの釜でもまったくそういうことがないわけではないが、この釜は特に。

 

鳴りも澄んでいて、とてもいい。

 

お茶の道具でも、釜なんて。

今どき、菓子ならお茶をしてなくても。

茶碗なら、お茶をしていなくても、していればなおさら、近しい。

 

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ちょっとだけ、わりと、青っぽかったり赤っぽかったり・・・がわかる、画像。

和銑はこういうところがとくに、とても魅力的。

 

2017_10
14
(Sat)19:51

風早中納言の軸から、掛け替え。

お茶のあと。

ほんとは、明日にしようと思っていたけど、今日、なんとか晴れたので。

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短歌の短冊の軸。

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 寄松祝  高砂のまつは嵐も聞きにけり 

      きみが千年のかげも長閑に 景樹

 

たぶん、景樹が、だれかの長寿の祝いに贈った歌。

人生いろいろ嵐もあったけど、いまは長閑に・・・みたいな歌。

  

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中廻しも、菊唐草。とでもいうのかな。

菊は不老長寿に関係するので。

しぶいけど、品よい軸。

 

はじめ、正月にと思った。

が、それもいいけど、誕生日にかけようかな、と。

来週誕生日があるので^^

 

10月は自画自賛のお茶(笑

あの風早中納言の軸も、菊水の釜も、それから、萬字釜も。

独楽棗も、菊桐棗も、竹大吹雪も。


2017_10
11
(Wed)23:17

なんとなく・・・

というか、13代淨長さんの棗釜を使ってから、どうしても、清右衛門さんの炉用の釜が欲しくなってしまった。

棗釜、使った感じがすごくよかったので。

しかも、できれば、昔の清右衛門さんのがいいなぁ、と。

というか、できれば、風早中納言の軸といっしょに使えそうなの。

 

いろいろかなり悩んだけど、たまたま、でてきたのを見つけた。

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万字釜、っていう。

「卍」が鋳込まれているので。

(ハーケンクロイツではありませんので)

万字釜にはほかにもいろいろカタがあるけど、これは、大徳寺形と呼ばれるもの。

 

箱には識書きが。

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ちょっと、ほとんど、見ない、というか、初めて見るパターンの識書き。

サイズや鐶付に関する記述は一切なし。

「御釜師 宮崎彦九郎 印」とあるのは、どうやら、筆跡から、12代寒雉らしい。

「壬午 盛夏」とあり、1942年の夏に識書きしたということになる。

「中丸 萬字釜 大西浄元作 無紛」

 

大西浄元、は、ふたりいる。

6代と9代。

6代を「古浄元」、9代を「佐兵衛浄元」と区別したり、年代から、6代を「享保(あるいは、宝暦)浄元」、9代を「天明浄元」と書いたりするようだ。

はてさて、この浄元は一体どっち?

箱に、「六代大西浄元釜」とあるから(ネットに載せてあった箱はそこまであった。その後、紙が破れたらしく、届いたときは画像のよう。念のため、ちがう箱ではないかどうかたしかめてみたが、虫食いの跡などが一致したので同じ箱と断定)

 

6代と9代の違いも、なかなか、ややこしい。

作風はよく似ているらしい。

とりあえず、アップしてある画像を、よくよく見て、精査してみるしかなかった。

いや、ま、6代でも9代でもいいと言えばいいけど・・・^^

というか、大西家のものかどうか、ということの方が重要で。

 

今の清右衛門さんの「茶の湯の釜」によれば、6代から大西家は千家に出入りするようになり、草庵むきの「独自の地肌を持った」作るようになったということ。

また、この6代の時、「大西家風の作風が確立」された。

浄元の釜は、「どちらかと言えば、ざんぐりとしていて上品なおとなしい釜」とのこと。

9代について、「作風は、古浄元と同様に精作で」とあるところから、6代も精作だったのだろう。

と、まあ、こういう、客観的ではない、主観的な言葉だけを頼りに、この釜が大西家の物かどうか、判断したわけで。。。

しかも、実物ではなく、ネットの画像だけ。

 

あと、できる限り見れるだけ、萬字釜の画像を見あさった。

万(萬)字釜って案外希少な釜のようで、ヤフオクに過去三年で10個前後しかでていない。

「どちらかと言えば」とあるように、比較の問題だし、もうひとつには、買おうとしている物がほかと比べてどのくらいのできなのか、とか。

いい出来で、ぼくが気にいれば、たとえ浄元でなくても、誰が作ったのでもいいので。

なかなか、いい出来の釜に思えた。

それに、だいたい、目に留まったのだから、その時点で好みと言えば好みであるわけだし。

 

ただ、ちょっと気になったのが、よく似たので、浄長さんが享保道也作と極めをしてた萬字釜。

なんか、そっくり・・・。とはいえ、その釜ではないことはたしかめられたが、ほんとに、なんか、よく似ている。

(ま、とはいえ、享保頃の物にはちがいないと言うことか・・・)

 

ほかに、やはり浄長さん極めで、「淨味作」というのがあった。

この釜の画像とくらべたとき、「どちらかと言えば・・・」以下の意味が、納得できた気がした。

それに、うちの棗釜になんとなく雰囲気が似ている、というのもあったし。

 

精作、については、これは画像を見れば見るほど、納得できた。

地紋の入れ方が、丁寧だし、なかなか面白くて。

たとえばこういうところ。

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ひだりの雷紋のうえが欠けたようになってたり、一番下の卍紋が、ところどころ擦れて無くなったようになっていたり。

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鐶付のまわり、これも、やれたように卍紋が無くなっている。

(でも、鐶付下の雷文はしっかり)

 

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あるいは、まったく、一番下の卍紋が消えているところも(もちろん、劣化によって消えたのではなく、そう作られている)。

 

などなど、見れば見るほど、こまかいところにまで神経の行き届いた作行き。

かつ、この荒し方、やれ加減のセンスの良さ。

また、雷紋は芦屋風で精緻な感じで、いっぽう、卍紋はざんぐりとしていているところも面白いと思った。

これを「精作」と見るかどうかは人それぞれとしても、こういう、作り方がとても面白いと思ったし、釜師は相当腕の立つ人ではないかと、判断した。

そして、釜全体の印象としては、「どちらかと言えば、ざんぐりとしていて上品でおとなしい」というのにぴったり。

なので、買ってみた。

 

実物の印象は、おとなしい、というか、あまりにも、しっくり、というか。

なんか、何の抵抗もなく、すんなり、うちにもはまってしまった感じ。

ただ、うちなんかよりもっとふさわしいのは、まさに、草庵風の茶室の炉かなぁ、と。

何気ないが、なかなか。

肌もいい。

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画像だとこんなもんだけど、実物はもっと、なんというか・・・。

草庵にピッタリ雰囲気。

侘びている、というには品があり、控えめで、それでいてしっくりくる感じ。

 

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口なども、この画像ではよく見えないが、厚みが一定ではなく、しかも、向こう側のようにガタガタとさせてあるところと、手前のようにすっきりとしたところと。それが、イヤミでなく、すんなりと、とても自然に。

 

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蓋も、今どきのものとはまったく違っている。

ツマミがかなり小さめ。

また、側面も上面とまったくおなじで、まるで蓋を曲げて上面を側面にしてあるよう。

今どきのは、どちらかというと、側面は切断した断面といった感じ。

 

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ほかにもいろいろあるけど、もうひとつ。

これはやっぱり、この釜をつくった釜師のなみなみならぬ腕を物語るものでは、と思うことが。

上の画像、腰のあたりに一本線が入っている。

一番下の卍紋の下の線。

これを、毛切りというのだけど、この毛切りがとてもきれい。

釜を作るとき、ここからうえの部分と下の部分の型をべつべつに作って、さいごにここで一つにあわせる。なので、ここがぴったり合わさっているかどうかで、腕のほどを知ることができる、とも。

ほんとに細くて、きれいにぴったり。

と思いきや・・・

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ここ。

うえから4枚めの鐶付の画像の、実は、毛切りの部分。

こんなにズレてる^^

とはいえ、これは、偶然ずれたのではないと。

というのも、このほかの部分は寸分違わず、ぴったり。

そして、ここだけがこんな風に。しかも、ずれたところが凸凹となっている。

たぶん、ここだけ、わざとずらしてこんなふうにでこぼこと作ったのではないかな、と。

毛切りは、ピッタリとあわさって細い線が一文字にはいっていれば、それはそれでうつくしいとはいえ、大名が威厳を示すような釜ならもちろんそれでいいが、草庵風となると、それでは風情や面白みがなくなる。

こんなふうらになっているからこそ、この釜の魅力がますわけで。

ネットの画像で見たときもずれていることは知っていたが、実物を見て、そのすごさを実感。

 

のこる心配は底。

水漏れ無しで、ネットの画像で見た限り、そう悪くなっていないように見えたけど、実物を見てみるまでは心配だった。

なんせ古い物なので。古浄元とするなら、250~300年くらい前のものと言うことになる。

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底も、いまの鳴り金の貼り方とはちがっているようだ。

鳴り金が一枚、剥がれているだけで、とくに悪くなってはなさそう。

(感じとしては、ハケメ釜くらい)

試し炊きしてみたが、水漏れもなく、一安心^^

 

ただ、臭いがちょっとした。

鉄のにおい、とでも言うか(ほんとは鉄に臭いはなく、仕舞ってあるうちにいろいろ臭いを吸ったのだろう)。

でも、まあ、二三回焚いているうちに消えていくだろう(二回焚いてみたが、そうとう薄くなった)。

 

錆はほとんど無し(和銑なので、錆が出ないというのは嬉しい。手間が掛からない)。

  

底は、ウブ底。

今でこそ、鍋釜なんてたいした物でもないけど、昔は貴重品。

昭和30年代にアルミ鍋がでるまでは、鉄のこういった物は貴重品だったわけで、しかも、これは、お茶の釜。

なので、とても大切に保管されてきたのだろう。

保管状態もよかったよう。

とにかく、享保だの、宝暦だの、そのままのウブ底。

なので、鳴りは、享保の音、ということかな^^

その鳴りをすこしだけ・・・(実際のほどではないけど・・・)

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菊桐棗とはなんともしっくり。

軸ともわるくない。

あの桐の下の庵のなかでは、この釜でお茶を^^

 

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ほぼうえから見ると、なんとなく、ふくらんだ針のないハリセンボンのよう。

 

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13代とのツーショット(笑

13代の肌は、しっとりとしてみずみずしい若い肌。 

 

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2017_10
04
(Wed)19:50

塗師の棗、指物師の棗・・・

ときて、どうしても、今度は、竹細工師の棗を使ってみたくなった。

竹を活かして、できる限り漆が塗ってなくて、蒔絵などもないもの、、、と、探してみたら、どんぴしゃのがあった^^

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13代黒田正玄さんの竹大吹雪。

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竹を吹雪の形にして、拭き漆がしてあるだけのもの。

とても軽い。

なか。

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ぱっと見て、「なるほど、竹を活かす」とはこういうことか、と。

すみずみまで、神経をつかって、繊細に生かし切ってる。

竹がこの吹雪の形になって、竹だった頃よりも、かえってのびのびとしている感じ。

喜んでる感じ。

この吹雪に削り出されることで、ある竹がその本質に出遭ったとでもいうか。

あるいは、本質を見いだすことができた、とでもいうか。

そういう竹のよろこび。

 

それにくらべると、いつも使っている自家製のあの茶杓は、ちょっと無理してるなぁ~。

窮屈そうだし・・・(笑

 

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漆の色のせいもあって、見た目は、一見華やか。

実物を見る前は、もっと侘びた感じがするかとも思ったが、そうでもなかった。

ただ、使ってみると、とても侘びた感じがする。

皮がないので、とても、もろい感じがするのだ。

ちょっと力が入ると、くしゃとなっちゃいそうな。

まるで、紙でできているみたいな。

その手触りが、侘びた感じ。

塗師や指物師の棗とは、まったくちがう。

はかなく、もろい感触で、そこが侘びていると感じる。

見た目は華やかで、大吹雪なのでどっしりと風格もあるが、手にとると、かるくて、はかなくて、もろく、侘びている。

 

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