2011_01
30
(Sun)16:07
 昨日のワインのつづき。
 ワイン関係の本で、うちにこんな本がある。
 
 ワイン通
 
 奧さんが買ってきた。
 ワイン通(?)の笑えるエピソード。
 
 と、出しておいて、いいたいのはワインのことじゃない。
 
 このタイトル風に、「京都人が嫌われる理由」なんてのを。。。
 
 といって、別に、だんなんは京都人でもなんでもない。
 京都、及びその周辺に住み着いて、まだ、20数年だし。
 だけど、、、そんなぺーぺーでも・・・住んでればそれなりに薫陶を受ける。
 
 たとえば、上生。
 最近ネットで、京都の和菓子を、というのをちょいちょい見かける。
 その中には、いわゆる、上生っぽいのもある。
 ただ・・・
 問題は、「京都の」というその言葉。
 
 京都市内に店を持っていれば、たしかに、「京都の」とも言える。
 でも、それだけじゃ・・・ね、と思ってしまう。
 
 「京都の上生」という以上、ある水準があって、それをクリアしてないと、はっきり
いって、「京都の」とは言ってほしくない、なんて正直感じる。
 
 ズバリ、これが、「京都人が嫌われる理由」w
 
 「あー、京都の上生菓子っていいなぁ」と、ネットで買った上生食べてうっとりして
いる人に・・・
 「うーーん・・・これは、ちょっと・・・ねぇ。。。京都のとは言いがたい・・・」
 なんて口を滑らせたら、もお大変w
 だからそういう場合は、ただ黙ってモナリザなみのナゾの微笑をたたえておくw
 
 でも、その微笑が、あとで、「いけづ」なんていれたり・・・


 上生に限らず、京都には、歴史と伝統に裏打ちされ、洗練された物が、芸が、人が、
ごろごろしている。
 そういうものに普通に接していれば、それはそれなりに目が肥える。
 
 近代化で地方もそれなりにトーキョー化して、文化レベル的に画一化してきてはいる
かも知れないが、トーキョー化とはそもそも異質な物が京都にはうようよしている。
 京都に妖怪が住んでいるのも、そのためだ。トーキョー化した感性からしたら、京都
人そのものが妖怪変化かも知れないw
 
 何でもありのトーキョー。
 それに対して、京都は、取捨選択が行われている。
 物珍しい、それだけでもトーキョーでは通用するかも知れないが、京都となると、物
珍しい上に洗練や上質さが求められる。
 むしろ、物珍しさより、そっちの方が重視されたり。
 そういうものでないと、売れない。
(これは、知り合いの陶芸家さん語った話)
 
 つまり、上生の話に戻せば、ある水準と言うこと。
 
 あと・・・トーキョーに対して、妙な、というか、理由のない、不条理な、対抗意識
を持っている。
 トーキョーに対して、ということは、トーキョー化した日本に対して、ということで
もある。
 よく京都を「日本文化」というカテゴリーで語ろうとしたり、認識したりしている人
がいるが、それは、違う、と京都及び京都周辺人なら思っている。
 京都は日本やない、京都文化圏や、とw
 もし言うなら、京都文化の一部に日本が属しているのであって、決してその逆ではな
い、とw
 
 ここんとこはやりの、和ブーム。
 あの「和」ってのも、ほんというと、京都とは無関係や、と大半の京都人は思ってい
るだろうw
 だいたい、京都は京都であって、「和」でもなんでもない。
 あんな薄っぺらな、ポッと出のもんといっしょにされたら、かなわん!
 でも、そのあたりは、老練な京都人。
 ここは、ナゾの微笑みだw
 
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2011_01
30
(Sun)02:14
 ブルゴーニュ  1995  ゴヌー
 
 見てのとおり、飲み頃のブルゴーニュ。
 華やかさはなくて、渋い。
 渋い、といっても風味に渋みがある、っていうことじゃなくて。
 
 ステーキか何かそういう肉っぽいものに、ブルーベリーとか、クランベリーとか、チェリ
ーとか、そういった果実のソースをかけたような、そんな香りがしてくると、もう、匂いは
いいか、とたまらなくなって飲んでしまう。
 これも、赤色果実のソースをかけた肉料理のような匂いがしてきた。
 
 で、飲みながら、必ずすることがある。
 別に、習慣というわけではないが、飲んでいると必ず、今飲んでいるワインがどういう
ワインなのか、知りたくなってくる。
 もちろん、知らずに買うわけはない。
 けど、また知りたくなる。たしかめたくなる。
 そして、まず、見るのが、
  
 ブルゴーニュ ブルゴーニュワイン  セレナ・サトクリフ
 
 この画像、アマゾンから頂戴したけど、色が悪い。
 だんなんのは、熟成したブルゴーニュワインの色なんだけど・・・。
 これで、生産者の、ミシェル・ゴヌーのところを見る。
 
 といって、買う前にも見るし、また、ゴヌーほどの生産者なら、ブルゴーニュワインを
飲む人間なら、なんとなく、そこそこ、それなりに知っている。
 知っているけど、また、読む。特に、そのワインを飲みながら、読む。
 そして、書かれているゴヌーの個性や特徴がどうなのか、たしかめながら飲む。書い
てあることは、所詮、セレナ・サトクリフというある個人の感想に過ぎない。風味や香
りなんて、感覚的な問題だ。しかも、セレナはアメリカ人。フランス文化の薫陶を受け
ているかも知れないが、こっちは、そういうものはまったくない。表現されていること
がこっち感性にしっくり来るか・・・ま、この辺は、訳にも寄るのだろうけど。
 
 たとえば、「エレガント」とあったとして、彼女の言うエレガントとこちらのエレガ
ントが同じとは限らない。
 また、ワインのなかに「エレガント」を見いだしたとして、彼女の指しているものと
こちらが見つけたものが同じとは限らない。
 とはいえ、見つけ出した以上、「エレガント」なワインであることにはかわりない。。。
 
 ま、ゴヌーが「エレガント」とは、たぶん、多くの人は評価しないだろうけど。
 
 
 ゴヌーを読んだら、今度は、ボーヌとポマールを読む。これは、村の名前。ゴヌーは多
くの畑をそのあたりに持っている。今回のワインは、広域名だけど、たぶん、そのあたり
の畑のブドウだろう。それで、これは、どっちだろう? なんとなく、ボーヌっぽいかな
ぁ・・・などと、勝手に思いを巡らせながら飲む。
 
 次に、ヴィンテージ。
 このセレナの『ブルゴーニユワイン』にも、大ざっぱなことは書いてある。普通に購入す
るなら、この程度知っていれば十分だろう。
 で、それをたしかめてから、今度は、
 
 100ねん ブルゴーニュワイン 100年のヴィンテージ 1900-2005  ジャッキー・リゴー
 
 こっちを読む。
 これは、かなり詳しい。
 それもそのはず、これは、アンリ・ジャイエの談話や1950年代から記録されている醸
造日記をもとにしている。
 アンリ・ジャイエといえば、これも、ブルゴーニュ好きなら、言わずと知れた作り手だ。
 で、1995年を読みながら、ワインを飲む。
 なるほど・・・このワインはそういうワインなのか・・・と、納得したり、逆に、そうか
な?と思ったり・・・とりあえず、書いてあることとワインの風味を比較して飲む。
 
 そして、次は、
 
 クレーマー ブルゴーニュワインがわかる  マット・クレイマー
 
 この、ゴヌーを読む。やっぱり、ポマールのところだ。
 
 それはそうと、このマットの本は、1990年に発行されていることもあって、
現状とはかなり異なっているところもある。
 当時は好評価だった生産者が今では冴えないなんてこともあるし、その逆もある。
 だから、生産者については、この本はあまり当てにしない方がいい。少なくとも、
当時はそうだった、くらいに思うことにしている。
 この点では、セレナの方が現状をよく捉えていると思っている。
 
 じゃ、なんでこの本か、というと、畑の地図が載っているのだ。
 今日のはブルゴーニュという広域名なのでどの畑なのかわからないが、村名や、畑
名つき、以上になれば、この地図で探し当てることができる。
 
 そんなわけで、こういうところの、こんな気候の年の、こんな作り手のつくった、
そしてこんなふうに年月を経たワインがこれなんだな~、なるほど、、、などと思
いを巡らせながら、最初の一杯は味わいを深める。

 
  
 
 
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2011_01
28
(Fri)23:53
 冬景色  ふゆげしき  練切  総本家駿河屋  2011/1/22
 
 常磐の緑に雪がかかっている景色。
 あるいは、下萌えしはじめた野に雪が降りかかる景色か。
 後者だと、思わず、例の「春をのみ待つらん人に 山里の雪まの草の春をみせばや」
を思い浮かべたり。
 
 冬景色、といいつつ、春めいている。
 春を待つ心。
 
 それにしても、この姿・・・以前どっかで見たような・・・。
 まったく同じというわけではない。
 搾ってあるくぼみに、赤いぽちをのせると・・・
 
 藪柑子 俵屋吉富 藪柑子 俵屋吉富 (クリックで拡大)
  そう、藪柑子‥
         亀屋良長           俵屋吉富
 
 冬景色、といった大きな、いろいろな要素が備わっているものを表現ているかと思え
ば、一方、藪柑子なんていう小さな単体を。
 こういうところも、上生の面白いところ。
 基本は茶巾絞りだが、銘をかえ、ちょっと何か別のものをのっける・・・すると、ま
ったく別物になる。
  
 もともと、この茶巾絞りの形そのものには、ほとんど意味もなければ、具体的に何か
そのものの形を表しているわけでもない。
 色と、デコレーションが、茶巾絞りでは重要になる。
 そして、もちろん、銘。 
 
 きんとんだと、それなりに、あのもしゃもしやとした質感を連想させるものをあらわ
しているものがおおいが、茶巾絞りの場合は、もっと抽象度が高いと言える。
 
 ちなみに、たまたまこんなのも・・・
 下萌え 俵屋吉富
 下萌え 俵屋吉富
 
 さらに、ちょっとばかり地の色を変えて・・・
 花菖蒲 俵屋吉富 花あやめ 京都鶴屋鶴壽庵     菊 京都鶴屋鶴壽庵
 花菖蒲 俵屋吉富     花あやめ 京都鶴屋鶴壽庵  菊 京都鶴屋鶴壽庵
           
 あるいは、三色で‥
 都の錦 俵屋吉信
 都の錦 俵屋吉富  ちなみに、この都の錦は、秋のお菓子。錦は、紅葉のこと。
 
 あるいは、花をのせて・・・
 初雪 京都鶴屋鶴壽庵
 初雪 京都鶴屋鶴壽庵 これは、かなり大胆で斬新な発想。
  
 さらに、二色、プラス デコレーション・・・
 萩の露 京都鶴屋鶴壽庵
 はぎのつゆ 京都鶴屋鶴壽庵
 
 同じ「つゆ」がのっているのに・・・
 初桜 京都鶴屋鶴壽庵
 初桜 京都鶴屋鶴壽庵
 
 と、上げていたらきりがなく、ほとんどすべての季節にわたっているし、あらわされ
ているのも、具体的なものから観念的なものまで、様々。
 
 また、茶巾絞りのバリエーションとして、たとえば、
 花橘 京都鶴屋鶴壽庵
 花橘 京都鶴屋鶴壽庵
 これは、綺麗な宝珠型になっていて、しかも、花橘の果実の形をわりと近い形で表し
ている。
 宝珠型なのは、橘の果実が、宝だという含みもあってのことだろう。
 意味深な茶巾絞りのバリエーション。
 
 さらに、桜があれば、梅も。
 紅梅 俵屋吉富
 紅梅 俵屋吉富 
 ただ、この梅は、絞った先がとがっていなくて、五弁の花びらの形に蘂までつけてあ
って、絞っただけのものに比べると、かなり梅の花の形に近いと言える。
 また、不思議なことに、絞っただけのもので、同じ色で「紅梅」ときたらどうだろ
う? と考えると、なにか不自然な感じもしてくる。
 初桜は不自然には感じないが、なぜだろう?
 茶巾絞りのかたちは意味もなく、抽象的なものだからなんでも表せそうだが、しかし、
そこにはなにか向き不向き、不自然に感じる感じないの一線があるのかもしれない。
 
 さっきも書いたけど、たぶん、上げていればきりがないだろう。
 とりあえず、今日の最後には、こんなのを・・・
 秋楽 鶴屋吉信
 秋楽 鶴屋吉信
 上の紅梅とも違って、まるいままの上に栗の実。
 
 
 種は、白漉し餡。手芒の風味が強い。ほくほく手芒風味。
 餡がとても豆豆しているのは、節分も意識してのことだろうか?
 澄んだ甘みの余韻が広がる。
  
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2011_01
27
(Thu)21:14
 香雪  こうせつ  こなし  京都鶴屋鶴壽庵  2011/1/22
 
 香る雪。
 これは、もう、だんなん好みのツボにはまりまくり。
 
    梅の花に雪のふれるをよめる   小野たかむらの朝臣
 花の色は雪にまじりて見えずとも 香をだににほへ 人の知るべく
 
    雪のうちに梅の花をよめる    きのつらゆき
 梅の香のふりおける雪にまがひせば たれかことごとわきて折らまし
 
 『古今集』のこういった歌を彷彿とさせる。
 ただ、『古今』の方は白梅だけど。
 
 それで、降り来る白い雪に花がまぎれて区別がつかない、そこで、梅の花よせめて香
りを漂わせて、咲いているとわかるようにしてくれ、というのが篁の歌。
 
 一方、つらゆきは、もし降り積もる雪に香りがあったら、梅ならぬ他の木にも梅が咲
いているようで区別して折りとることができない、という、かな~りひねりのきいた歌。
 要するに、香る梅の花は雪にまぎれても区別ができる、ということなんだけど。

(『古今』の配列がまた気が利いている。
 一番はじめに、よみ人知らず の視覚的に雪にまったくまぎれてしまって区別がつか
ないという歌を持ってきて、次に、この篁の歌。その次に、つらゆきのこの歌。視覚か
ら嗅覚へ。と同時に、香っていなかった梅の花が香るようになる、という繊細な季節の
移ろいも捉えている。これらは「冬歌」。
「春歌上」では、今度は、鶯をセットにして。さらに、夜に梅の香がしるくある、とい
うふうに、やはり、同じ梅を使っても、季節の移ろいともに繊細に緻密に、表現してい
る。)
 
 
 このこなしは、梅に香る雪。
 白梅ではなく、紅梅であり、粗い氷餅粉との取りあわせが、なまめかしくさえある。
 ほんとに、紅梅の、甘くなまめかしい香りがしてきそう。
 
 紅梅の花に雪が降りかかったところを素直にあらわしている、ともみれるが、こなし
の紅梅は、香る雪のその香りを象徴的に視覚的な形に置き換えた、ともみれる。
 だんなん的には、後者の見方が好み。
  
 種は、白漉し餡。手芒よりも、白小豆の風味がゆたか。
 食べると白漉し餡、というのも、目に嬉しく、やはり、ここでも、梅の香がしてきそ
う。
 
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2011_01
23
(Sun)23:06
 久しぶりの能。
 去年、9/22に観たのが最後。
 引越で忙しかったこともあるけど、その時、期待していた、片山幽雪(9世
九郎右衛門)師の 當麻(たえま)がもうひとつだったこともある。
 九郎右衛門の頃は鬼だったが、その鬼がすっかり抜けてしまって、普通のおじい
ちゃんになっちゃった?(聞くところによると、お茶目な性格だそうです)
 
 で、今回、また、ひさびさに観ようというのが、やっぱり、幽雪さんの 小原御幸。
 やっぱり、なぁ・・・。
 九郎右衛門の頃、勝手に、「カタク」なんてニックネームで呼んじゃってましたけど、
やっぱり、だんなんにとっては、カタクはすごいシテさんなんです。
 
 はじめて、能を観に行ったのが、カタクの 「蝉丸」だった。
 なーんにも、予備知識もなく・・・そら、世阿弥の「風姿花伝」くらいは読んでたけど、
それ以外、特に、現代の能についてほとんどなーんにも知らずに、たまたま能を観たく
なって、それで、近くの京都で何かないか、そのときたまたま見つけた「片山定期能」の
シテが、カタクだったというわけ。
 しかも、「片山定期能」、見料はとても安い(一般、3000円! ただ、指定席とかは
なくて、全自由席。早い者勝ち。しかも、経済的な不公平もない^^)
 カタクは、人間国宝、ということはちょっと調べてわかったけど、人間国宝なら誰でもす
ごいというわけじゃないことも、それなりに知ってるわけだし。
 さほど期待もせず、能ってどんなもん? くらいのかる~い気持ちで観に行った。
 
 「蝉丸」自体、あんまり、近代的感性で理解できるような演目じゃなかった。
 いまどきこんなのを新作でテレビでドラマなんかでしたら、もしかしたら、クレームがつ
くかもしれない、みたいに感じた。
 そういうことはいいとして、カタクの蝉丸に、感動、というより、ショックを受けた。
 「花がある」って思った。
 能って、いいな~と。
 
 そういうわけで、カタクは、だんなんにとって、ある意味特別なシテさんというわけ。
 
 それに、カタクが描き出す世界のいいところは、一筋縄でいかないところ。
 とにかくさまざまな意味が複雑に多層的に構築されて、一言ではこう、と言い難い世
界が描き出される。
 その意味の多層的な構築が、「幽玄」だと、思ったものだ。
 
 それに、観に行く前に謡い本を読んでいくけど、カタクは、必ず、こっちの期待や予
想を裏切ってくれる。
 多くの場合、いい意味で。
 
 ま、ま、今までのことを振り返るときりがないので、今回の 大原御幸。
 
 これは、「平家物語」の建礼門院のお話。
 平家滅亡後、壇ノ浦で自死しようとして死ねなかった建礼門院が、大原の寂光院で隠
棲しているのを、後白河法皇が訪ねる、というのが能のあらすじ。
 
 「平家物語」でいくと、建礼門院が亡くなるところは、というか、成仏するところは
圧巻。
 「平家」を読むとは、文学的体験、というより、宗教的体験、でしょ?
 
 さて、今回の 大原御幸。
 寂々して、とてもよかった。
 鬼からすべてが抜けて、地獄を見てきたが今は静かに余生(?)を送る建礼門院の隠
棲生活が、ある意味心地よく。
 このままずっとこの世界に浸ってたい、と。
 そんなに、さっさと後白河院追い返さなくていいのに、、、ね。
 「平家」の方は極楽に昇天する建礼門院。
 こちらは、地上の浄土で生きる建礼門院。
 
 九郎右衛門を背負って修羅道を生きてきたカタクが、隠居して、いろいろなものを抜
け落として、だからこそ演じられる建礼門院であり、そこにただようここちよい寂滅と
した無常感、って雰囲気の舞台だった。
 いいことも悪いことも、抜け落ちていくから、そこに現れる浄土。
 建礼門院の内面の浄土。
 
 それにしても、今さらながら、「平家物語」って戦争体験だよね。
 戦で、はなばなしく本懐を遂げて死んでいった武将はそれはそれでいいとして、「平
家」の主人公って、
建礼門院だと思う。
 戦争で生き残った者が、戦争で生き地獄を生きた者が、戦争体験者が、どうやって救
われるか?
 その問いに対するひとつの答えでもあるんだろうね。
 
  
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2011_01
22
(Sat)01:45
 昨日エコ・Qのことに触れたけど、たまたま、今日、1月分の使用量のお知らせ
が来ていた。
 
 関西電力では、はぴeタイム といって、エコ・Qなどにすると、通常の料金体系
(従量電灯A)と違う料金体系が適用される。
 で、さらに、はぴeプラン といって、オール電化にすると、10%引き になる。
(あと、口座割引はたいていのうちがそうとして、マイコン割引 というのも適用
されている。)
 
 うちは、この はぴeプラン。
 はぴeタイム の料金体系は、1wwhにつき、時間帯別に、
 
   7~10時 リビングタイム   21.64円
   10~17時 デイタイム    28.02
   17~23時 リビングタイム  21.64
   23~7時  ナイトタイム   8.19
 
 となっている。
 また、休日は、
   
    7~23 リビングタイム
    23~7 ナイトタイム
 
 通常の従量電灯Aは、だいたい24.21円。
 
 で、平成21年1月の使用量(従量電灯A)  314kwh 
   今年1月        (はぴeプラン) 607kwh
 
 と、もちろん、ガスの分、今年の1月は電気の使用量が多い。
 
 が、料金にすると、
 
     21/1  7420円
     23/1  8550円
 
 と、一見オール電化の方が高そうに見えるが、ガス代をプラスすると、
 
     21/1 14140円
     23/1  8550円
 
 と、かなりお得。
 
 しかも、ここはもしガスをつかうならプロパンなので、さらに高くなっただろう。
 プロパンだったと仮定したのと比べると、半額ほどになっているのかもしれない。
 
 これで、10年いまのエコ・Qなどを使ったとしても、都市ガス+電気の場合か
らは、差額で初期費用のすべてを回収することはできない(約6割ほどしか回収で
きない)。
 でも、プロパンの給湯器などをつけたのと比べると、十分という気がする。
 
 ちょっと、びっくりした。
 恐るべし、オール電化(オール殿下?)w
 
 
         
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2011_01
20
(Thu)22:55
 今日はちょっと不愉快なことを書こう!
 だから、読まない方がいいかも~^^
 
 「汝の隣人を愛せよ」
 
 この言葉を心のなかで反芻するたびに、思わず失笑してしまうだんなん、で
あった。。。
 というのも、「隣人」を文字通り「隣人」ととると・・・
 こんな不可能なことはないね、と。
 
 日本と中国も仲悪いしぃ、フランスとドイツも昔は仲悪かったw
 なんて、今さら歴史に鑑みなくても、、、そこらじゅうにころがってる、この言葉が
無理も無理、って事例が。
 
 けど、宗教者、というより信仰する者の言葉としてとるなら、ある意味、味わい深い。
 っていうのも、信仰とはもともと不条理なことやものを信じることだから。
 人にはゼッタイできない、無理、不可能、そういうことを引き受けて、悩み苦しむ。
断食が結局無駄だったように。無駄なことをひきうけて悩み苦しむ。それが宗教者なん
だから。
そして、信仰なんだから。
 
 と、そんなことを言いたいわけじゃないw
 
 要するに、隣人というのは、「気にしない、気にならない、気にさせない、気を遣わな
い、遣わせない」そういうのがいいと思うだんなん。
 けど、どうも、そういう状態じゃなくなってる。
 引っ越してきて、まだ、一ヶ月半くらいなのに。
 
 プロパンガスの給湯器って、こんなにうるさいのかなぁ?
 うるさすぎ。しかも、寒いから、、、回数多いし、時間も長い。
 ひどい。
 
 で、そのことを伝えたら、なんか気を遣ってる?
 ような・・・遣ってないような?
 
 そういうのって・・・ねぇ。。。
 
 気を遣ってるようだけど、でも、やっぱり、うるさいことに変わりはない。
 
 踏み絵しろ、っていってるわけじゃないんだよねぇ。
 信仰をかえろとか、こっちは言ってるわけじゃないし、言いたいわけではない。
 静かになってほしいだけ。
 
 で、給湯器というのは物の問題。
 新しいのかえて、設置の仕方や方向をちゃんとして、防音もする、そういうことをす
れば、お互いに「気にしない、気にならない、気にさせない、気を遣わない、遣わせな
い」という関係になれる。
 
 なのに、気を遣うは、かといってこっちは、気になるわ、、、、
 中途半端で何の解決にもなってない。
 
 お金がかかるから?
 でも、お金で済む問題といえば済む問題。
 それで、お互いにいやな思いすることもなくなり、不自由な思いしなくてもなくなる
なら、それでいいじゃない? と思うんだけどなぁ。。。
 
 それにしても、プロパンの給湯器って、こんなに音が大きいの?
 ま、隣家のは古いからっていうのもあるだろうけど。。。
 
 
 うちは、引越前に、オール電化にした。
 もとのところが都市ガスで、LPGは都市ガスに比べてかなり割高だ、と聞いたから。
 それに供給してるのも私企業なのでいろいろと不安がある、とか。
 でも、今は、別の意味で、エコQにしてよかったと思っている。
 オバQじゃないよ、エコ・キュート(って、そもそもエコ・キュートってエコ・給湯っ
てことだろ?)。
 あんな音たてて毎晩、よう風呂にはいらん。
 うちは風呂遅いので(だいだい日が変わってから入る)、そんな夜中に、あんな
「ゴ~ぉぉぉ」なんて音、、、隣家が許しても、だんなん自身が許せん。
 しかも、あの「雪月花」と、風呂に銘をつけるほど、あの風呂気に入っていて、
長風呂になってる。
 何回か追い焚きしたりするので・・・もし、あんな「ゴぉぉぉぉぉっ」のガス給湯器
だったらと思うと、ぞっとする・・・
 
 ま、エコ・Qだって、音しないわけじゃないけど。
 でも、43デシベルとガス給湯器(48デシベル)に比べるとと静か。
 とりあえず、風呂側の隣家に迷惑はかけてなさそうだし・・・安心、かつ、
気持ちいい^^
 
 あ~、給湯器のうるさい隣人よ、そういう安心と気持ちよさ、あんたも味わって
みたら?
と言いたい。
 隣家に迷惑懸けてる、って思ったら気持ちよくないでしょ?
 で、罪滅ぼしというか、たとえ気を遣ってるとしても・・・
 それは、あんただけの自己満足に過ぎん。
 結果を出せ、結果を。
 
 と、かなり、いらいらするなぁ・・・と、これがすでに騒音による情緒的妨害を
うけてるひとつの表れ。
 
 
 それにしても、エコ・Q、これ、結構いい。
 巷では、光熱費が安くなる、ということだし、それもいい。
 でも、それ以上にだんなんがいいなと感じてるのは、もう、「ご~」って音がし
ないこと。
 ガス給湯器使ってた頃は別に気にならなかったけど、エコ・Qにかわってみて、
わかったのは、
ほんとはその音結構ストレスに感じてたんだな、ってこと。
 エコ・Qって、揺れや音のない、なめらか~な走行を実現する高級車って感じ(と、
これは褒めすぎかw)
 「ご~」って音もなく、なめらか~に湯が出てくる・・・
 風呂の足し湯も、追い焚きも、すぅ~となめらか~・・・
 ほんと、なんか、ちょっと、高級感あるよ。
 
 なによりも、「雪月花」に「ご~おぉぉぉぉぉぉぉぉおぉぉぉぉぉぉおおおぉぉ
ぉっ」は似合わんw
 
 
 で、隣家の「ゴ~」が聞こえてきたとき、だんなん、言ったもんだった、
「そんなにゴ~が好きなら、ゴウヒロミの音楽でも流したろうか? きみたち女の子、
ぼくたち男の子、って。
もちろん、『ゴ~』』『ゴ~』のところは隣の給湯器の音で」
 そしたら奧さんが、
「そ、それだけは、やめて・・・」とここまではいいとして、そのあとが・・・
「ご近所の迷惑になるから」じゃなくて、「趣味悪すぎるからぁ」だってよ。
 たしかに、趣味悪い・・・・かな?
 結構、面白いと思ったんだけどなぁ・・・
 
 きみたち女の子 
  (ガス給湯器の燃焼音で)ゴぉぉぉっ ゴォォォォッ
 ぼくたち男の子
  (ガス給湯器の燃焼音で)ゴぉぉぉっ ゴォォォォッ
 
 
 
 
 
 
 
 
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2011_01
20
(Thu)00:51
 春の雪  はるのゆき  こなし  鶴屋吉信  2011/1/19
 
 現在の太陽暦では、新年と立春が一ヶ月ほどずれるが、太陰暦ではほぼいっしょ。
(時には、師走のうちに立春が来ることもあった)
 今年は、新暦の2/3が旧暦の元旦で、立春は翌1/2(新暦では2/4)。
 
 なんでこんなこと、いまさらに、というと、春の雪と聞いて、
『古今集』の新年の雪を詠んだ歌を思い浮かべたから。
 
 3首目から9首目まで、7首ほどある。
 そのどの雪にもしっくり来そうな、この鶴屋吉信の春の雪。
(ただ、8首目の文屋やすひでのは、ちょっと違うかな。注 ジャーナリストじゃないので、
くれぐれも「ブンヤ」と読まないように。「フンヤ」です)。
 
 その中でも、特に、雪を花と見立てた歌の、その雪の花。
 冬の歌にも、雪を梅の花と見る、まがうという歌があるけど、
それは、「まだ、春は遠い」という気持ちが表れている。一方、新年の歌は、
「もう、春間近」という気持ちがしっかり詠み込まれている。
 このこなしも、そんなこなし。
 
 たとえば、冬歌の紀友則の歌
 
   雪のふりけるを見てよめる
  雪ふれば木ごとに花ぞさきにける いづれを梅とわきて折らまし
 
 雪が降って枯れ枝に白い花が咲いて、どれが梅だろうか、区別して折れない、といっ
た歌。
 この「いづれを梅とわきて折らまし」に、まだまだ遠い春を思う気持ちがあらわれ
ている。
 
 一方、春歌上、新年の、素性法師の歌
 
   雪の木にふりかゝれるをよめる
  春たてば花とや見らむ 白雪のかゝれる枝にうぐひすの鳴く
 
 立春になったので、木に降りかかった雪を花と思って、鶯が鳴いている、ってか
んじの歌。
 
 この白雪が、このこなしにあらわされてる雰囲気にぴったり来る。
 
 いわゆる、袖型、とだんなんが勝手に分類しているタイプ。
 姿は定型なので、その色合いと押し型や飾りなどが、より強調される。
 地は外側がグレーで、内側が小豆色。
 グレーの地色が、冷え切った冬の粉雪ではなく、ゆるんで湿っている春の雪を思わ
せる。
 でも、晴れていないところが、また、春の少し前の季節を感じさせる。
 
 
 種は、黒漉し餡。とてもなめらか。
 
 
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2011_01
17
(Mon)22:24
 福の花  焼皮  鶴屋吉信  20110107 
 
 雪間から顔を覗かせる福寿草をかたどった焼皮。
 
 だんなんがよく食べる菓匠・菓子司では、焼皮自体あまり見ないが、
鶴屋吉信さんは焼皮も豊富。
 焼皮、はじめて食べたのも、鶴屋吉信さんのだった。
 水でといた小麦粉と餅粉などをまぜたものをうすく焼いてある。
 クレープよりはもっちりとしていて、厚みもある。
 しっとりとしていて、ふわっとした食感もある。
 焼皮の中に、たいていは黒漉し餡がつつんである。
 
 その鶴屋吉信さんの焼皮、四角い(クッションみたい?)な焼皮だけのものはかなり
いろいろなものが出ているが、そのうえにこうやって白餡の花が咲くのは、
なかなか見かけないような気がする。
 しかも、三輪。
 
 ちなみに、一輪、二輪の・・・
     水佳人 一輪 
     水佳人 二輪 
 
 花の間に降りかかっているのは、氷餅粉。
 名前どおり、霜や雪をあらわすのによく使われる。
 
 
 この福の花。
 種は、黒漉し餡。
 焼皮は、もっちりしていると同時に、歯切れよい。
 

 
 
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2011_01
16
(Sun)00:14
 いちまの好物、あんこ。
  (念のため・・・莞爾庵庵主 いちま です)

 ならぬ、あんこ + う。
 
 「さっきまで、水槽で生きいたのを、さばいたところ」といつもの鮮魚店のお兄さん。
 以前、「鱈を鍋用に切って」と頼んだら「むっ」とされて、それ以来嫌われてるのかな~
と思ってたら、今日はとてもにこにこと声をかけてきた。
 で、見てみると・・・なんとも美味しそう。
 ただ、ちょっと音も春。ならぬ、値も張る。
 
(今年は卯年だけど「ネ」つながりで いつも気になる言い回しがある。
それは、「ネヲアゲル」。株などで上がったときに「値を上げる」と言うけど、なーんか、
僕には「音を上げる」と、「弱音を吐く」などを連想して、株が悲鳴を上げているみたいに
感じてしのまうのだ・・・。それとも、売り方が「音をあげる」とのダジャレ?
 それはそうと・・・)
 
 100グラム、500円。
 捌きたての あんこ + う なんて、このあたりでは滅多に手に入らない。
 若狭産。
 
 ただ、できるなら、水槽で生きている あんこ + う を見てみたかった。
 捌かれた あんこ + う や、さばくまえの あんこ + う ならそれなりに
見かけるが、いきている あんこ + う なんて。。。
 一体、どんなふうに水槽の中にいたのだろう?
 どんなふうに泳いでいたのだろう?
 頭からぶら下がってる疑似餌、ひくひくさせたりしてたのだろうか?
 
 などなど、妄想はつきないが、でも、まあ、それも今はこんな身に・・・
 
 あんこう 2011/01/15
 
 そんな あんこ + う を見ても、世の無常を感じることもなく、戴いただんなん。
 
 やっぱり、魚は、鮮度。
 こんなぷりぷりの上身の あんこ + う ははじめて。
 フグのようだが、フグほど弾力はない、風味もフグに勝るとも劣らなく、上品。
 臭みもまったくない。
 やや弾力があり、真綿のようにふわふわ・・・(もさもさってこと? と言う人は、どうぞ、
ワインのテイスティングで言うところの「ビロードのようなのど越し」を思い出してね。
まさか、ビロード飲んでみた人はいないでしょう?)
 関西ではフグの方が上に見られているが、うーーん、それはたんなる偏見に
過ぎなかった。。。
 
 皮は、透明のコラーゲン(?) ぷりぶり 口の中で、とろける。
 いちま、寒天とか葛とかじゃないよ、あんこ + う だよ^^
 
 ひれや中骨の通ったままのぶつ切りも、最高。
 ほろほろ、とろとろ、、、
 
 あんきもも、上品。ふわとろ。
 いちま、黄身餡じゃないよ・・・
 
 あんこ じゃないよ
 あんこ + う だよ。。。
 
 
   鶯の 音の春ちかし 鮟鱇鍋   お粗末‥ 
  
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2011_01
15
(Sat)00:38
 卯の春  薯蕷 鶴屋吉信  20110107
 
 今年の干支にちなんだ薯蕷。
 羊羹の耳と目。

 鶴屋吉信のスタイルともいうべき、だんなんの言うところの乙女チックな意匠。
 少女趣味、とも。
 それに、媚びもある(利休さんいわく、「媚び」悪くないよ、って^^
・・・記憶違いだったら、ごめん)。
 
 媚びて、品がある。
 媚びて、くどくない。
 
 そこがいい^^

 
 ちなみに、先に食べた老松のはこんなのだった。
 卯の春  薯蕷  老松  2010/12/30
  卯の春 老松
 こちらは、ちょとっした風格、厳めしさもただよう。
 「老松」の名前のとおり。
  
 
 鶴屋吉信の、種は、黒漉し餡。
 薯蕷にしてはしっとりした餡。それになんとなく餡の風味がやさしいのは、
手芒入りだから?
 食べるとき、材料の表示のあるものはそこそこ注意してみていたつもりだけど、
手芒入りの黒漉し餡というのははじめてのような気がする。
(いや、単に食べることに気をとられて今までもあんまり気にしてなかっただけかもし
れないけど・・・^^;)
 小豆だけの漉し餡だと、もっと強い感じになる。
 薯蕷の皮は柔らかく、澄んだ風味。
 
 鶴屋吉信の上生は製造日の翌日までが賞味期限(たいていの上生は、当日のみ)。
 賞味期限ぎりぎりだったのに、乾燥した感じはなく、全体としてしっとりしていた。
 
 

(利休のいう「媚び」ってのは、相手の意に叶って美しく、花も、艶もある、という感
じだと、勝手に解釈。いわゆる、なりふり構わず、下品に「迎合」というのとは、ちょっと
ニュアンスが違う、かと)
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2011_01
13
(Thu)23:22
 ちょっと、今日、琵琶湖の、和邇川の河口へ(鰐皮ではありませんので、
くれぐれもお間違えなく・・・)。
 そこから見た比良山地。
 写真だと、こんなふうにしかとれないけど、もっとよかったなぁ^^

 比良山地110113 (クリックで大きく)
 
 和邇川の河口は琵琶湖に突きだしていて、ぐるっと視界が開けて、まるで世界の中心?
 昔、世界は円盤状だと信じられていた頃があったけど、そんなふうにまわりが見渡せる。
 潮岬から海を望んだときも丸く見えて、それなりに円盤状の世界もリアリティがあるなぁ、なんて思ったものだけど・・・w
 
 
 和邇川工事の碑 
 その近くに、河川工事の碑があった。
 なんか、変わってる。
 なんで、トンネル状なのか?
 あるいは、見ようによっては、大原女屋の「かま風呂」状なのかは、たぶん、
だんなん墓場まで持っていくことになりそうなナゾw
 
で、もうひとつ目についたのが、これ。
 楽浪の比良の・・・(クリックで大きく)
 
  楽浪(ささなみ)の比良の山風の海ふけば 釣りする海人の袖かへるみゆ
 
 さっきの、比良山から吹き下ろす風に、沖で釣りをする海人の袖が翻っているのが
見える、と。
 
 昔の人は、どんだけ目がよかったんだろう・・・なんてつまんない感想はいいとして・・・
 
 実は、琵琶湖のまわりって、結構、こういう歌碑だの句碑だのがあったりする。
 以前住んでいた、堅田の、浮御堂のまわりにもいろいろあった。 
 芭蕉の句碑や、三島由紀夫の文学碑など、どれも観光客向き?
 みたいな感じで、あんまり、実感無かったわけだけど・・・。
 
 これは、何かすごい実感わくなぁ、って。
 沖を見てたら、ほんとに、釣りをしてる海人が山風に袖を翻していそうで・・・。
 
 しかも、句碑とか文学碑とかそれが目的じゃなくて。改修工事の碑であって、
この歌はオマケみたいなもの。
 そのオマケが、こんなにぴったりくるなんて^^
 
 
 
  わがせこが衣のすそを吹き返し うらめづらしき秋の初風(『古今』 詠み人知らず)
 
 直接はまったく関係ないけど、翻った袖つながりで、ふと思い出した歌。
 
   
  
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2011_01
12
(Wed)21:56
 最近、チョイ、冬歌の巻を読んでみた。
 ちょうど冬だし・・・(笑
 
 にしても、『新古今』って、やっぱり、なんか~、残り物、っぽい。
 昔から、「残り物には福がある」とかいうけど・・・
 
 定家らの編集方針も、いままで勅撰集に選ばれてない歌を、ということだし、やっぱり、残り物の中から選んだ、っていえる。
 
 うぅむぅ。。。
 
 それに、本歌取り、ってやつも、なんかほとんどは本歌に呑まれてる感がある。
 
 あまりにも、普通の歌が多すぎる。
 だらだらと並べてある感じ。
 
 『古今』は、明らかに、理念としての世界の表れ。
 『新古今』は『古今』以上に観念的だが、
世界ついての意識的・意図的な理念はまったく何もない。
 
 また、『古今』の場合、冬から春へと循環して読むことができる。
 つまり、それが『古今』の世界観でもあるわけだが。
 
 『新古今』はだらだら歌はならべてあるが、歌集として何かをあらわしているわけ
ではない。
 ただ、テーマの似通った歌を羅列しているだけだ。
 
 それはそうと、『新古今』の冬の巻のテーマで、だんなんがもっとも理解できなかった、
というか、違和感を抱いたのは、氷る袖、や、濡れる袖、などだ。
 別に、「袖が氷る」だのあっても表現のレベルでは違和感はない。
 それが「涙を流した袖が氷る」というのだから違和感があるかというと、
それも表現としては悪くない。
 ただ、その「涙」の理由に違和感を感じる。
 
 『古今』だと、その多くは、恋に悩む涙だ。
 月を見て涙する、冬の寂しさに涙する、そこには遂げられない思いや
会えない人への思いがある。
 
 ところが『新古今』には、そういう感情はない。
 「袖の涙」はそういう感情を象徴していない。
 言ってみれば、冬の寂しさに涙しているのだ。
 しかも、なんか、その涙が、なんともエキセントリックにみえる。
 情緒不安定、というか、神経過敏、というか。
 そろそろ自分たちの身分が危うくなっていく、そんな政治的・社会的に不安定な
状況を敏感に感じ取っているのか。
 冬枯れして、雪に埋もれて訪う人もないからと言って、べつに袖が氷るほど
涙を流して夜を明かさなくてもいいのに。
 たとえ、この手の表現がただの流行だったとしても、あるていどその流行を
いいと思うから、つまり、リアルと感じたり、琴線に触れるから、そういう表現を
使ったのだろうと思うけど、やっぱり、泣きすぎ。
 
 
 で、これが春の巻になると、いきなり、春霞とか。
 雪からいきなり春霞。
 そのあいだが全くない。
 『古今』のような繊細さ、緻密さ、周到さ、観察の鋭さ、などがまったく感じられない。
 神経質で、過敏で、かと思えば、いきなり無頓着とでも言うか。
 『古今』が観念的というなら、『新古今』は虚妄的とか。
 
 『古今』は観念的だとしても、妄想的ではない。
 四季の歌でいうなら、自分たちを取り囲む四季をしっかりと見据えて、
よく観察して、捨象し、象徴化し、いわば「あるべき四季」をあらわしているのだ。
 
 『新古今』は、ほんとに、妄想の羅列、っぽい色合いを帯びている。
 
 
 
 
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2011_01
11
(Tue)22:33
 紅梅  練り切り 20101230  俵屋
 
 年越し茶のお菓子を受けとりに行ったついでに、ひとつ^^
 実は、この 紅梅、いぜん俵屋さんのお店で戴いている。
   2008/1/3 紅梅
 
 そのときのを、「こなし」としているが、果たしてどうだったのだろう?
 実は、今回のこの紅梅、「ねりきり」と店員さんから聞いた。
 しかも、お正月用に、薯蕷入り。
 
 俵屋さんだけに限らず、だんなんが知っている限り、お正月になると、
京都の菓匠、菓子司では、上生に、普段よりワンランク上の材料を使うところが少なくない。
 その分、価格が上がるところもあれば、価格はそのままで使うところもある。
 この紅梅は、たぶん、普段と同じ価格で、薯蕷入りだったと思うけど・・・。
(上生の価格、実ははっきり知らなくて・・・。
だいたい、300円~500円くらいだと思ってる。店によってもちろん違っている。
それは、材料とともに大きさにもよる。また、同じ店のものでも、
材料によって少し高いものもある。
要するに、満足がいくので、価格的には適切かと・・・)
 
 さて、ところで、この「こなし」と「ねりきり」。
 一体何が違うの? といわれると・・・実はよくわかってません(笑
 とりあえず、京都では「こなし」、関東では「ねりきり」とよく似たものを言っています。
 
 実は、だんなんだけではなく、世間でもよくわからない、という感じだそうで。。。
 菓匠、菓子司毎にも、いろいろな見解があるようです。
 
 ただ、だんなんの個人的な感覚からいくと、こんな感じかな、ということをあげると、
 「ねりきり」のほうは何となくねっとりしてる感じ。
あるいは、ねっとり感が強い、粘りがある、というか。
 それに対して「こなし」の方は、結構、ぽろぽろというか。
もちろん、ぽろぽろ、ぱさぱさしているわけではないけど、何となく、粘り感が違うのです。
 
 一説によると、「ねりきり」というのは水飴を入れて粘りを出すのだそうですが、
「ねりきり」の粘り感は水飴のような感じがすると言えばします。
 水飴を入れるのは、形成を容易にするためです。
 一方、「こなし」の方は水飴など入れません。だから、同じ「粘り」といっても
「こなし」の方は、あんこの粘り、小麦粉の粘り、といった感じです。
 
 そういう関係で、火の入れ方や回数も「ねりきり」と「こなし」では違うようです。
 
 また、水飴が入るせいか、甘みも何となく違う気がします。
 
 「こなし」の方は、粘りがありながら、手芒餡や白餡の「ほろほろ」した感じも
生きていて、だんなんはこなしの方が好みです。
 
 まあ、以上は、個人的な、しかもかなり感覚的なことなので、それは食べる人
それぞれの好み、ということになりますが。
 
 
 さて、この紅梅。
 「ねりきり」とはいっても、生地の粘りは、むしろ薯蕷の感じ。
 「ねりきり」といっても水飴を入れないところもあるようで、もしかすると、
俵屋さんの場合、普段の餡と小麦粉などの「こなし」に薯蕷をくわえたものを
「ねりきり」と呼ぶのかもしれない。
 水飴の粘りではなくて、薯蕷の滑らかさ。
 口に含むと、まろやかで、とろけるよう(これもたぶん薯蕷の効果)。
 そう、とろけ方が、餡と小麦粉などの「こなし」と明らかに違う(たとえば、
「こなし」はさっきも言ったように、あえて言葉にするなら「ほろほろ」とかいう溶け方。
この紅梅は、薯蕷のあの滑らかさを思い起こさせる)。
 俵屋さんの持ち味のフレッシュさも十分、薯蕷の風味もゆたか。
 このフレッシュさも、今回はこの薯蕷に負うところが大きい感じ。
 姿同様、風味にも、みずみずしい花がある。
 
 
 
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2011_01
10
(Mon)14:49
 幸の葉  2010123001
 
 今年の歌会始の勅題、「葉」にちなんだ上生。
 「幸の葉」として、四つ葉のクローバーをかたどってある。
 葉のすべてを緑などの一色にせず、
こなしの自然な色合いと市松にしたところが、おしゃれ。
 
 ただこのお菓子の正面、
 幸の葉 2010123002
 こんなふうにもできそう?
  
 何か気分の問題で、これを食べたときはサムネイルのように置いた気がする。
 その時は何とも思わなかったけど、今あらためて「×」おきの画像を見てみると、
 なんとなくバッタか何かの顔に見えてしまう。
 
 今日は、冒頭の「+」の方がいいかな、と^^
 
 老松さんではどっちだったかな?
 たしか「+」の方だったと。
 
 
 種は、黒漉し餡。
 緑のところは、ほのかに抹茶の風味がさわやか。
 この抹茶の風味が、餡とこなしの味を引き締めている。
 まろやかな甘み。
 こくがある餡とこなし、抹茶との調和。
 
 姿、味ともに、渋い、落ち着いた風情。
 そして、地味の中に花がある。
 
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2011_01
06
(Thu)22:57
 京都大丸の鶴屋吉信さんに、名前を覚えられている奧さんw
 今日、上生を買ったら、こんないいものを戴いてきた。
 
 おふきん 2011 鶴屋吉信
 
 御富貴運。
 と当てて、やっぱり、「おふきん」と読むんだろうね。
(「京都手帖」も卯なので・・・)
 
 薬師如来の眷属で、薬師如来を信仰する者を守護すると言われている十二の夜叉大将。
 その十二神将が十二支と結びつき、このような干支の姿で描かれることも。
 
 卯年は、摩虎羅(まこら)大将。
 (卯年なのにトラまでついてるw タイガースファンにはたまらない?)
 
 と、思いきや、十二支との対応は逆のものも。
 そうすると、安底羅(あんちら)大将。
 
 その両方があるから、御富貴運は絵だけなのかも。
 
 でも、ま、だんなんが嬉しかったのは、、、
 ・・・実は、だんなん、年男なんだよね~。
 
(それにしても「年男」って、節分の豆を撒くことから
「豆男」とも。。
 って、、、おもわず、
「かのまめおとこ・・・」なんて、『伊勢物語』の一節を思い浮かべたり。
 ま、「豆男」の意味が全然違うけどw)
 
 そういうわけで、「こいつぁ、春から、縁起がいいわぇ」
 ・・・は、ちと、時季ハズレですか^^
 

「月も朧(おぼろ)に白魚の篝(かがり)も霞む春の空、
冷てえ風も微酔(ほろよい)に心持よくうかうかと、
浮かれ烏(うかれがらす)のただ一羽塒(ねぐら)へ帰る川端(かわばた)で、
棹(さお)の雫(しずく)か濡手で粟、思いがけなく手に入(い)る百両、
[御厄(おんやく)払いましょか、厄落し(やくおとし)、という厄払いの声]
ほんに今夜は節分か、西の海より川の中、落ちた夜鷹(よたか)は厄落し、
豆沢山(まめだくさん)に一文の銭と違って金包み、
こいつぁ春から縁起がいいわえ
 (『三人吉三郭初買(さんにんきちざくるわのはつかい)』 
   お嬢吉三(おじょうきちざ)の台詞)

 だそうで・・・

 
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2011_01
03
(Mon)01:30
 雪も解けたようだし、家にばかりいてもなんなので、琵琶湖に。
 いつもの、和邇浜。
 ここは、ぐるりと視界が開けて、とても気持ちいいし、見晴らしよくて、景色も美しい。
 
 20110102 琵琶湖 伊吹山
 
 正面に、白く輝く小さな雪山が、伊吹山。
 
 ざぶーーーん、ものすごい波だった。
 
 水鳥も結構いろいろいる。
 今日見たのは、ヒドリガモ、キンクロハジロ、アシガモ、ハシビロガモ、マガモ、
カンムリカイツブリ、ウ、コサギ、ユリカモメ、など。
 トビやセキレイなんかは、まあ、いいとして。
 松原があり、そこには山の鳥も来る。
 メジロ、ジョウビタキ、アオジ、など。
 山の鳥、水鳥、両方みれるなんて、なかなか面白い。
 
 20110102 琵琶湖 比良山
 比良山はずっとこんなふうに雲がかかっていて、雪が降っていたようだ。 
 
 蜃気楼なんかも出ていた。
 ちょっとびっくり。
 20110102 琵琶湖 蜃気楼
 見にくい写真だけど、
 右から下ってきてる山の裾の先端の、木。
 宙に、あるいは、水面に浮いているみたいになっている。
 双眼鏡で見るともっと大きく見えるけど、キャノンのデジカメではこれが精一杯。
 ここだけでなく、ずっと水際を見ていくと出ていることもわかった。
 
 実は、最初の伊吹山の写真も、よく見ると水際が盛り上がって見える。
 それも蜃気楼かも。
 
 それにしても、湖水のむこうに雪山、なんか、スイスっぽくない?
 というわけで、なぜか、「おじいさ~ん」「ペーター」「クララァ~」
 などと呼んでいる奧さんなのであった・・・
 
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2011_01
01
(Sat)17:55
 いつもの通り 寄せ集めお節^^ 
 2011 お節
 
 右、ワインの横の小鉢、自家製の筑前炊き
 ただ、これがものすごく美味しかったのは、つくった奧さんの
腕が上がったからではなく、材料のお陰。
 材料の野菜はすべて、例の、京野菜の八百屋さん、かぎはらさんで。
 鶏は、ふじのさん。
 このふじのさんの、国産豚の腕の細切れが、安くて、また、
とても美味しいので、鶏もかってみた。
 鳥取の大山の鶏。これも美味しかった。
 
 その手前の小鉢、東寺ゆば 湯葉弥さん。
 ゆり根やぎんなんなどの入ったひろうすを湯葉で巻いてある。家で炊く。
 
 右の一番手前は、今さら言うまでもない、いづうさんの鯖姿寿司
 
 さて、ワインの左。
 2011 お節 子持ち鮎 (クリックで大きく・・・)
 ランチュウ、じゃないですよw
 いくら食いしん坊のいちまがいるとはいえ、金魚までは食べません^^
 子持ち鮎甘露煮 魚善さん
 堅田の魚屋さん。琵琶湖産の魚をあつかつている。
 右上もおなじく、手長海老甘露煮
 
 で、いよいよ、いろいろ盛り。
 2011 お節 メイン (クリックで大きく・・・ しつこい)
 左向こうから手前へ、
  飯蛸 竹の子 蕗 錦平野さん
 かまぼこ二品は、月しろ チーズかまぼこ(手前四角いの) 京かまぼこ茨木屋さん
 
 二列目
  たつくり 八幡巻   錦平野さん 
 三列目
  鰊こぶまき 錦糸巻 赤目芋 黒豆  錦平野さん
 
 四列目
  手長海老  魚善さん
  キンカン甘露煮 酢れんこん  錦平野さん
 
 五列目 
  鯛の子 手毬麩  錦平野さん
  海老の方に頭の魚 鰉(ひがい)甘露煮  魚善さん
  このヒガイについてはまた後ほど。
  慈姑 玉椿(にんじんを蕪で巻いた酢の物)  錦平野さん 
 
 と、ほぼ毎年同じもの。
 残念なのは、やはり、一昨年店を閉じた錦味さんの、巻物がないこと。
 日の出からすみ 鹿の子真丈 が惜しまれる。。。
 
  
 ところで、ヒガイについて。
 2011 お節 ひがい (クリックで・・・w)
 魚偏に皇帝の「皇」とつくって、ヒガイ。
 「鰉魚」というとチョウザメのことだけど、それとは無関係。
 明治天皇がことのほか好きだったというので、
それまで漢字のなかったヒガイにこの字を作ったとか。
   詳しくはここをどうぞ→「大膳職御用達 鰉」 
  
 湖西に17、8年住んでいるけど、なかなか見かけることのなかった鰉。
 ちょっとめずらしい魚であることはたしか。
 それがたまたま出ていたので、奧さんが鮎や手長海老といっしょに買ってきてくれた。
 煮上がった姿が、とても美しい。
 味の方も、美味。
 小ブナのふわふわした肉質と、ハス(これも琵琶湖水系特有の肉食魚。
とてもおいしい)の締まった肉質の両方をあわせ持ち、ほどほどに脂ものっていて、
口の中でとろける感じ。
 なかなかラッキーな年の瀬 & 新春^^
 
 
 餅も、いつものとおり、豆餅 粟餅 草餅  鳴海屋さん
 
 お酒は、ボルドー ペサックレオニヤンの辛口白
 2011 お節 ワイン フューザル ブラン 96
  CH.ド・フューザル ブラン  1996
  良作年のよく熟した芳醇な白。フューザルのあの清楚な香水のようなすらりとした風味に、よく実り瓶熟した甘みも加わり、ちょっとばかり、バルザック風の甘口の面影さえ。
  お屠蘇といっても、いい感じ。
 
 お節の後、締めくくりは、これまたおきまりの ユーハイムフランクフルター・クランツとコーヒー(キリマンジャロ)
 
  ・・・というわけで、ごちそうさまでした。。。  
 
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