2011_05
31
(Tue)21:47
 宿題(?)がたまりまくり・・・
 で、今回も、まとめて。
 今回は、この5月に食べた 俵屋吉富 の上生。
 
  薫風きんとん 俵屋吉富 2011/5/18
 薫風きんとん   2011/5/18
 かなり大胆な銘かも。
 この時期の野辺や里の様子を写しとった感じの色合い。
 そして、銘が、「薫風」。
 ある意味、きんとんのむっくりとした姿には馴染まなさそうな銘。
 種は、黒粒餡。
 いつもの俵屋吉富の、みずみずしいきんとん。
 手芒のそぼろとこのみずみずしさが、「薫風」にふさわしいか。
 
 菖蒲 求肥 俵屋吉富  2011/5/18
 菖蒲 求肥   2011/5/11
 うっすらと菖蒲の花の色に染めた求肥に、菖蒲の焼き印。
 地と絵柄が反転した影絵のような感じ。
 こういう色と焼き印の使い方も面白い(よくあるといえばよくある)。
 種は、黒粒餡。
 求肥の中に卵白が入っているが、泡立ててあるかのような食感。
 ただ柔らかくもっちりしているだけではなく、ふわぁとホイップしている感じなのだ。
 
 花菖蒲  俵屋吉富 2011/5/4
 花菖蒲 きんとん   2011/5/4
 花菖蒲の花の色合いのきんとん。
 一輪というよりは、群れ咲いているような感じ。
 種は、黒粒餡。
 
 富貴草 俵屋吉富  2011/5/4
  富貴草 こなし   2011/5/4
 富貴草(牡丹)をかたどったこなし。
 同じこなしで、富貴草、というと、以前こんなのを食べた。

 富貴草 こなし 俵屋吉富 富貴草 こなし 俵屋吉富
 
 前に食べたのの方が、姿は好み。
 今回の、種は、黒漉し餡。
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2011_05
30
(Mon)01:22
「ベアトリーチェ・ディ・テンダ(テンダのベアトリーチェ)」  ベッリーニ  
  フィリポ    ミケーレ・カルマンディ
 ベアトリーチェ ディミトラ・テオドッシュウ
 アニェーゼ   ホセ・マリア・ロ・モナコ
 オロンベルロ  アレハンドロ・ロイ
 アニキーノ   ミケーレ・マウロ
 リッツァルド  アルフィオ・マルレッタ
   アントニオ・ピロルリ指揮 
   カターニア・ベルリーニ劇場管弦楽団
 
またまた、BSプレミアムネタ。
「ボリス・ゴドノフ」(と同じ日のもう一本)は聴いてないのでなんとも言えないけど、
小澤「マノン・レスコー」以来のBSプレミアムのオペラで、一番、しっくりきた。

ベッリーニの生地のオペラハウスでの上演。
指揮者、歌手についても、まったく知らない人ばかり。
ただ、名前からして、指揮者はイタリア人っぽい。イタリアの地方の劇場だから、まさか、
外国人の指揮者ということもないだろう。
ベアトリーチェのテオドッシュウス、ネットで調べてみたら、来日もしてるのだそうだ。

最近、シャイーの「リゴレット」のCD(DVDではなくて、CD)や、セラフィンの
「リゴレット」や「トゥーランドット」を聴いて、イタリアオペラの指揮はやっぱり、
イタリアの指揮者がいいなぁ、と。
どういいか、というと、いままで他国の指揮者だと、なんか、しっくりこない、違和感が
ある、という感じがしてた。
楽譜の解釈が違ってくるのか。微妙なところなんだろうけど、とにかく、なんかしっくり
こない。「リゴレット」にしろ「トゥーランドット」にしろ、歌とオケがうまく貼り合わ
さってない、とでもいうか。それが、イタリアの指揮者だととてもしっくりくる。

この「ベアトリーチェ」、最近、たまたま、ボニング指揮、ロンドン管、サザーランドの
ベアトリーチェで聴いていたところ。比べると、これは、硬い。別の曲のような感じさえ
する。
今回のピロルリのは、そういう感じはなく、とても自然だった。

また、「ベル・カント」についても、今回のテオドッシュウのは、今まで思っていたのと
は違ったものだと、というより、これがベル・カントの本質なのかと思わせてくれるもの
だった。
「ベル・カント」というとなんとなく、高度に技巧的装飾を駆使した、あるいは、伴った
歌唱、という感じで、おもに声楽的、技巧的美しさ、もっと言えば、うわべだけの美しさ、
を追求するような、表現するようなそんなイメージがあった。でも、それこそが、外国人
の理解なのだと思った。
今回のテオドッシュウが表現したベル・カントはそういったものではなく、公妃ベアトリ
ーチェの人柄、心の清らかさ、美しさといったもので、それが結果としていわゆる「ベル・
カント」のような歌唱になった、というに過ぎない。
つまり、「ベル・カント」とは、高度に様式化された内面の表現(たとえば美しい、清ら
かな人柄といったもの)であり、ただ、技巧的な美しさを競うものではない。

ちなみに、wikeで「ベルカント」のところを見てみると、「ベルカント」の衰退の理
由のひとつに、「オペラをはじめとした声楽作品が、ヴァーグナーやヴェルディなどに典
型的に見られるように、技巧的装飾よりも、より内面的な、劇的で力強い表現を中心と
したスタイルに変化していったこと」をあげているが、これからも明らかなように、
「ベル・カント」は内面の表現ではない、というのが一般的なイメージや理解なのだろう。
でも、そうではない、というのが、今回のテオドッシュウだった。
そして、それこそが、イタリアオペラなんだな~、いいなぁ・・・と(笑

この「ベアトリーチェ」はそれほど聴いていないので、同じベッリーニの「清教徒」
について考えてみても、やはりそんな気がする。グルベローバやサザーランドのは、
いわゆる技巧面のでの「ベル・カント」は美しく歌っても、テオドッシュウのような
内面の表現としてのベル・カントには至ってないような気がする。

(カラスのBOXに、「清教徒」もあるので、また楽しみ。しかも、指揮がセラフィ
ン!)

とにかく、今回の「ベアトリーチェ」は、もう一度聴きたいと思うものだった。
演出も、斬新でよかった。衣装のあの色使いは、さすが、イタリア。イタリアのオ
ペラの衣装、一歩間違えば、何とかと何とかは紙一重の悪い方になりそうなのを、
下手するとほんと悪趣味につきない、その一歩手前で踏みとどまっている。その、
ギリギリのところのセンスと、洗練がとても気に入っている。そういうところも満
足させてくれた。
 
それにしても、この「ベアトリーチェ」、聴いていて、ヴェルディの旋律を彷彿と
させるところがかなりあった。ちょっとこの音をあれにしてやればあの曲のあの場
面の旋律とほとんど変わりないなぁ、とか、ここの伴奏の盛り上げ方なんかまった
く同じ、なんてところがかなりあった。具体的には、「椿姫」や「トロヴァトーレ」
や「ドン・カルロ」など。
場面的にも、ここはまるで、「トロヴァトーレ」と「ドン・カルロ」を足して二で
割ったような(?)なんてところもw
まるで、ヴェルディの先駆者といった趣。今まで、ベッリーニの曲にヴェルディの
旋律を聴き取るようなことはなかったけど、そのあたりも、やはり、指揮者がイタ
リア人(たぶん)だったからなのだろうか。それとも、この「ベアトリーチェ」が
殊にヴェルディに影響を与えたのだろうか? とにかく、ヴェルディとの間に非常
に濃い血縁性を感じさせる公演(曲)だった。

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2011_05
27
(Fri)21:28
 五月風  鶴屋吉信  2011/5/4
 
 久しぶりに上生。
 あまりにも久しぶりすぎて、お菓子はかなり季節外れになってしまった。
 五月風邪と変換されてしまうと五月病のようになってしまうが、これは、もちろん、
吹く風の五月風。
 端午の節句の鯉のぼりの吹き流しをかたどっている。
 
 目に見えない風を上生であらわそうとすると、風そのものは難しいので、風を感じさ
せる何かを意匠にすると言うのは、他にも、たとえば、こんなのがある。
 薫風 老松  薫風  老松 
 さて、五月風。
 鶴屋吉信らしい色使いと発色。鮮明なすっきりとした色合いだが、決して下品にはな
らない。
 
 種は、黒漉し餡。
 こなしはややかため。
 
 
 他に、今月食べた鶴屋吉信の上生は、
 瀬の音 鶴屋吉信
 ふんわり、しっとりの薯蕷のしろい肌に、蛇篭の焼き印も涼しげな、瀬の音
 
 青園  鶴屋吉信
 びわの果実をかたどった外郎、青園
 これは、果肉のようなみずみずしさのある、白餡と外郎。
 ほんとに、なにかフルーツを食べているような食感と風味。
 
 
 そうそう、同じ吹き流しをかたどっても、たとえばこんな意匠の仕方もある。
 吹流し  長久堂 吹流し  長久堂
 
 そして、大胆にも、風をかたどった、末富の 青嵐(上記、吹流し と同じページに)
 
 
* 以前食べたことがあるものは、サムネイルで表示。

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2011_05
26
(Thu)00:06
カラスのBOXのなかの一曲。
リゴレット ゴッビ
公爵 ディ・ステーファノ
ジルダ カラス
ミラノ・スカラ座管。
1955録音

カラスのBOXのセラフィンの指揮する「トゥーランドット」を聴いてえらく感動したし、
感嘆だったし、なんかとにかくよかったので、次は何にしようかと、ヴェルディの「リゴ
レット」を聴いてみた。

セラフィンって、歌い手の実力を120%引き出してる感じだ。

それぞれの歌い手は、結構自分の好きなように歌っているようなのに、だからなのか、
重唱にくるとほんとに感動的。合わせているんじゃなくて、それぞれの声が、情緒が、
感情が、ぶつかり合い、火花を散らし、溶けあい、嵐のようなのに、不思議な調和が
ある。

そう、三幕の四重唱といわゆる嵐の三重唱。ジルダは歌というよりまるで叫びだ。なの
に決して重唱や曲を破壊することなく、その中に溶けこんでいる。

歌は、歌というより、リズムのある台詞、というか、感情が入ってくると普通にしゃべ
っていても自然にリズムを持ってくるが、そんな感じだ。まさに、歌が歌として生成す
る瞬間に立ち会ってる感じ。

オケはテンポがかなりゆっくりめ。歌もゆっくりなのだが、歌以上に、曲に織り込まれ
ている登場人物の感情の綾を繊細に、腑分けするように、取り出して見せてくれる感じ。
本来、ヴェルディの曲ってこんなにも、繊細に、相対立するような複雑な感情が織り込
まれているのだと、納得。
だから、誰かさんのように、やたらテンポを上げればいいってもんじゃないよw

それにしても、「リゴレット」というのは、こんなにも悲しみにみちた曲だったなんて。


* ちなみに、第二幕の、ジルダを掠ったのが廷臣だとわかって公爵が大喜びするとこ
ろ、省略されてる。
 何故だろう?
 とにかく、廷臣の話がおわると、いきなり、リゴレットが来て「ララッラ・・・」となる。
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2011_05
23
(Mon)22:20
またまたBSプレミアムネタ。
先週の「ボリス・ゴドノフ」は録画してたけど、なんか暗そうなので見てない。

今週の、「トロイ人」。フランスのベルリオーズのオペラ。あんまり上演される機会も
ない、結構めずらしい曲では? 
指揮はゲルギエフ。ゲルギエフと言えば、ロパートキナがオデットの「白鳥の湖」。大
好きなので、かといって、大々的に期待できるかというとどうだろう、っていうので、
ほどほどに期待。
観てびっくり? というか・・・評価不能?w
演出が、、、まるで、安っぽい「スター・ウォーズ」w そう、「スター・ウォーズ」で
もいいけど、「安っぽい」はいただけないw
トロイの木馬によって陥落したトロイ人がカルタゴへ漂着し、さらにイタリアを目指す、
というあの神話的叙事詩をオペラにしたんだから、「スター・ウォーズ」と見立てるこ
の演出家はなかなか慧眼、と思った。また、ところどころわるくないなぁと思う演出も
あったものの、とにかく、この安っぽい衣装を何とかしなさい。
ただ、音楽としてみると、どうかなぁ。。。まず、曲そのものが退屈そう。もし、こう
いう外連味のある演出でないとしたら、とても四時間もつきあう気にならないよなぁ。
それに、これは、オペラ?となんとなく疑問も持ってしまう。

実は、まだ、最後まで観てない。二幕の、そろそろトロイの英雄が旅立つのかなぁ、と
いうところまで。二日に分けて観たけど、なんかくたびれる。スクリーンにちかちかど
っちでもいいような映像をうつすのは、やめてほしいよなぁ。目と神経にくるw


それで、口直しに、カラスでも・・・と、「マダマ・バタフライ」と「トゥーランドッ
ト」を聴いた。
実は、これ、カラスの30曲入りBOXの。64枚セットで、7000円チョイでアマ
ゾンで買った。先々週くらいに届いたけど、まだ手をつけてなかったのだ。
このBOXとは別に、カラスの「カルメン」もいっしょに買って、二度ほど聴いた。
カラスの声、結構ひどい。というのも、この「カルメン」カラス最晩年の64年の。特
に、胸声(低音)がひどい。声が籠もってビブラートがかかっている。で、なにがひど
いかというと、胸声になると、カルメンなのに、おたふくがたれたほっぺたをぷるぷる
ふるわせて歌ってる、そんなイメージが彷彿としちゃうのだ。
カラスのアリア集で、「恋は野の鳥」と「セギディーりヤ」が結構よかったので期待し
てたが・・・

さて、「マダマ・バタフライ」
指揮はカラヤン。カラヤンって人は、誰と組んでも音楽がまったく動じない、というか、
揺るぎない、というか。以前、フレーニ、パヴァロッティのを聴いたけど、歌手が誰で
あろうと、あの、よく磨きがかけられた大理石のようなオケはまったく不動。こういう
ところ、安っぽい「スター・ウォーズ」に疲弊した心にはとても心地よいし、安堵さえ
感じる。そうそう、外連味もいいけど、こういう気品、ってのをわすれたらオペラでは
ないのでは? と言いたくなる。
ただ、ちょっと他ごとをしながら聴いていたので、気がつくと、もう、「ある晴れた日
に」。これは、カラスとカラヤンのとっくみあい? いままではカラスもそれなりにお
となしくカラヤンの言うとおりに歌っていたのが、ついに堪忍袋の緒が切れた? カラ
スが歌う蝶々さんって、どっか奔放なとこがあって、もしかするとアングルの「泉」の
少女の大理石の肌を夢見るカラヤンとは、そりが合わない? で、とっくみあいの軍配
は、というと、やっぱり、カラス? 「ある晴れた日に」のあと、ちょっとオケが不安
定になった、というか、ほんのちょっとだけ、奔放の綻びが見え隠れするみたいに思え
たけど、どうかな?
55年録音で、カラスの声はみずみずしい。
それに、カラスがすごいのは、アリアはそれは誰でもそれなりに聴かせてくれるだろう
けど、どんなささいなフレーズでも聴かせてくれるところ、かと、実は今、また、聴き
ながら書いててそう思う。

「トゥーランドット」
指揮は、セラフィン。はじめて聴く、セラフィン。
「トゥーランドット」 他に二枚ほど聴いている。
指揮レヴァイン、ドミンゴ、マルトン、ミッチェル メトロポリタンのDVD(ちなみ
に、演出ゼッフィレッリ。この演出は見物)
もう一枚は、指揮メータ、パヴァ、サザーランド、カバリエ ロンドンフィル。

レヴァインは、明快。オペラ心もあって、イタリア物、結構的確。ただ、小粒っぽい。
コーヒーと同じで、アメリカンなのだ。理性もあり自制心もある王子として、ドミンゴ
のカラフは、適役。マルトンは、王女としてはどうか。「トロヴァトォーレ」のレオノ
ーラあたりが適役かと。ミッチェルは、リューの死に臨むアリアを劇的に歌いすぎ。リ
ューは、プッチーニの究極の理想少女。それをああいう歌い方では・・・

メータの方は、もう、お祭り騒ぎ。カラフがパヴァというところからしても、お祭りの
予感w パヴァの声に、ドミンゴのような自制心や理性を求めるのは御法度だ。トゥー
ランドットがサザーランドだったのには驚いた。あまり印象に残ってない。カバリエの
リューも好きではない。

というか、レヴァインにしろ、メータにしろ、ちょっと勘違いしてないか? と聴いて
みたくなる。リューが死に臨んでトゥーランドットに歌うあのアリア、「氷のように冷
たいあなた」、この二人、どっちもテンポが速過ぎる。要するに、脇役だから、早く済
ませて、みたいな感じで。けどね、リューは、プッチの究極の理想少女。その理想少女
を葬って描こうとしたのが、リューのアンチテーゼである、トゥーランドット。そうい
うことを考えれば、この二指揮者のあつかいは、リューに、というより、プッチに冷た
すぎる、氷の心過ぎる。

リューのアリアで好きなのは、フレーニ。フレーニのアリア集でしか聴いてないが。声
の質も、こういう表向きは柔らかいが芯のある、意思の力のある、みずみずしい声がふ
さわしいと思う。

そして、もうひとつ。「トゥーランドット」とタイトル・ロールなのに、どっちのも影が
薄かった。もっと言うと、なんで、「トゥーランドット」というタイトルなのか、レヴ
ァインでも、メータでも納得できなかった。


それが・・・やはり、さすがはカラス・・・背筋がぞくぞくした。
そう、この曲は、やっぱり、「トゥーランドット」なのだ。
あのシーン、カラフに謎をかけるあのシーン。
歌唱テクニック的にトゥーランドットが難しいのかどうかは知らないが、役としては、
やっぱり、簡単ではないだろう。
プッチにとっても、難しい役だったのだろう。リューの葬送の曲までで、プッチは亡く
なってしまった。「マノン・レスコー」に始まり、ずっと追求してきた理想少女の究極
であるリューを自ら葬ったところで、プチッと逝ってしまったのだ。
それを、カラスは見事に、歌っている。
こんなに存在感のあるトゥーランドットははじめてだ。
カラスにして初めて、トゥーランドットは「トゥーランドット」の主役になった。

そして、セラフィンの指揮。一言で言えば、自然。自然に、歌い手の、そして役柄の
心情を引き出す。どこか目を引く、目立ってすごい、とか言うところは全然無いけど、
すごくいい。過不足ない完全な存在が、時に凡庸に見えてしまう、そういう感じ? 
と、そういうのともちょっと違うけど。

リューの歌わせ方も、あのアリアのところ、すごくよかった。
カラフの声に、ちょっと品があればもっとよかったが。
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2011_05
19
(Thu)02:24
 最近、トーマス・マンの「ブッデンブローグ」と「トニオ」を連続で読んじゃった(笑
 「ブ」を読んだ勢いで「ト」もイケイケ、て感じで。
 
 「ブ」は、現在絶版中。図書館のを借りた。「ト」も図書館のを借りて、読み終わって欲しくなって岩波文庫のを注文した。
 
 「ブ」は、読んでいるととても不快感のある小説。なんせ、繁栄している豪商でもあり地方の名家でもある一族が先細りで絶えていく話だから。はじめから、絶えていく予兆がぷんぷん臭っている。
 それにしても、アントーニエを見てると、こういう家に生まれた女は不幸にしかならないのかなぁ、というか、不幸にしかなれない思考法だなぁ、と思えてくる。で、もう、とっても個人的な読み方だけど、ウチの母親を思い出す。よく似ていた。発想法や、行動様式。
 小説を読んで、人は何を理解するのか? 小説のなかに何を見るのか?
 たいていは、自分? 自分の姿?
 母親の姿を見た気がする。というか、僕にとって母親の不可解だった生き方に、このアントーニエの思考過程を注入すると、なんとなく理解できてしまった、というか。。。
 表面しか見えなかった母親の不可解な生き方、このアントーニエの内面につきあうことで、それを内側から見ることができたような。
 彼女は自分では自分の意思で自分の生き方を選び取っている気でも、髪の毛の先まで家に支配されている。ただの家、じゃなくて、「名家」という家。こっちから見てると、ちょっとその枠から出れば、いくらでも別の幸せがあるのに、そういうのは全然見えなくて、不幸ばかりを選んでいく。
 あんたのその考え方、感性じゃ、そりゃ、不幸にしかならないよ、と何度もつぶやいたね、オレは(母親に対してじゃなく、アントーニエにたいして)。。。
 いくら地方の名家か知らんが、そんなもん、そんな枠、捨てちゃいなさい、そこから自由になりなさい、ってね。
 けど、その不幸の根源こそが、逆に、彼女たちに不幸な人生に耐える力を与えている。なんて悪循環! 
 
 それにしても、そういう繁栄しているある一族が滅びていくのは、健康の問題なんですねぇ。
 マンは、一族の滅びていく象徴としてそういう存在を描いたのかも知れないけど、だんなんには逆に見える。
 まさに、体力、健康の問題。そして、そんな不健全な体に、不健全な精神や内面が宿る。で、滅びていくのに拍車をかける。
 
 
 「ト」は、まあ、「ブ」の一部を切り取った感じ。ただ、「ブ」では一族の男はみんな死んでしまうが、「ト」では芸術家として名をなす。
 懐かしい、というか、ぬるっとしていてなまなましい感じがしたのが、トニオが生家を訪れる場面。
 トニオの生家は今は図書館になっている。つまり、没落して売りに出されて、図書館になっている。
 自分の生まれ育ったところが、別の何かに変わっている、その別の何かになった生家を訪れているあの感じ。
 なーんか、イヤだけど、懐かしい、っていう妙な感じ。
 
 しかし、それとは別に、トニオは不幸だな。
 自分の愛する物に手が出せない。
 それは、「ペニスに死す」のアッシェンバッハと同じだ。
 自分が愛する美しいものを見ながら死を迎える、これは、たしかに、幸福とも言えるが、裏返せば、愛するものに永遠に触れることができなくなる、あるいは、愛するものに触れることを拒絶している、ともとれる。とすると、不幸だ。というか、「ト」と「ベ」のラストは、同一のものの裏表。
 「ト」のトニオはそんな自分を不幸だと思うが、「ベ」の教授は幸福だと感じる。(トニオは死ぬわけではなくて、かつて自分が好きだった男とかつて自分が好きだった女のようなカップルに思いをはせている)
 
 結局、愛するものに触れられない、ということは変わりない。ただ、以前はそれを不幸だと思い、今はそれを幸福だと思う、、、
 どうせなら、愛するものに触れられない、というところも変わっちゃえばいいのに、なぁ。。。
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2011_05
16
(Mon)00:37
 4/30
 楽天の「桃源郷」さんで組み立て式ウッド・デッキ落札。
 税込み、39800円を 税抜き、29800円で落札。
 組み立て式ウッドデッキ
 送料、税込みで、34755円。
 
 で、組み立てにインパクトドライバーが必要だというので、リョービのDIY向きのを
ひとつ購入。
 税、送料込みで、8670円。
 
 5/11
 届いたデッキを見て、これはやっぱり、というので、塗料やローラーや刷毛などを
5/14に購入。
 税込み、5001円。
 塗料は、床をヴッド・デッキ用の木部保護塗料。
 でも、手すりまで全部それでは面白みがないので、手すりはペンキ。色は、グリーン。
 
 5/14
 塗料を買ってきてから、デッキ用の方を塗装。
 塗料、いろいろ種類があった中で、メープルというのを選んだ(黄色い明るい色で、
いちばん色が薄い)
 だんなんローラーで、おくさんが細かいところを刷毛などで。
 なかなか深い、いい色合いになった。
 二度塗りなので結構、くたびれた・・・。
 この日はこれで終わり。
 
 5/15
 手すりのペンキを塗り、組み立て。
 インパクトドライバー、初体験w
 ちょっと慣れてくると、これはなかなかすごい。
 
 足台、はじめはデッキの床と同じデッキ用の木部保護材を塗っていたけど、手すりと
同じにしたらアクセントになって面白そう、と塗ってみた。
 
 で、できあがったのが、これ!w  

デッキ
 
 右側の方、手すりがないのは、部屋から庭がよく見えるように。
 かつ、濡れ縁っぽく。
 
 手すり、足台、緑のペンキにして大正解!
 いかにもウッド・デッキっていう感じじゃなくなって、それに、なんか、かわいいw
(実は、この配色にはモデルが・・・。大学の頃住んでいた寮の一棟が木造の洋館で、
白い壁、グリーンの窓枠、そしてまさにバルコニーがこんな配色だったので^^)
 
 工具代も合わせて、48426円。
 手前味噌だけど、ちょっと、5万以下には見えない?^^
 
 くたびれた~けど、こんな仕上がりで、楽しい、嬉しい^^ 
 
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2011_05
12
(Thu)21:46
 今、カルロス・クライバーの「椿姫」を聴いている。
 前奏曲が終わって、これから、アルフレードの「乾杯の歌」。
 実は、すでに、もう、CD止めたくて、がまんならなくなってるw
 ううう・・・ ドミンゴもさえん。
 トラヴィアータ(ヴィオレッタ)は誰?
 あああああ・・・今、ヴィオレッタが歌ってる。。。
 ああああ・・・よくここまでがまんしたw
 でも、やっぱ、そろそろ限界・・・
 
 単純・単調すぎるよ、オケ、クライバーよぉ。
 と、ゴタク並べてるうちに、「乾杯の歌」は何とか乗り越えた。。。
 ああ・・がまん・・がまん・・ しかし、がまんして聴くこともないなぁw
 
 
 BSプレミアムのクライバーの番組で興もがわいて、CDのBOX買ったことは前に書いた。
 まだ全部聴いてない。
 
 聴いたのでいうと、ベートーヴェンの5番(いわゆる「運命」ってやつ)は一聴の価値
あり、と思った。

(ああああ、今、アルフレードとヴィオレッタのデュエット。全然、あかん。虫ずが走る。
それにしても、ヴィオレッタ、誰? コトルバス? メト・レヴァインの「リゴレット」
でジルダを聴いたけど、ジルダはなかなかよかった。けど、このヴィオレッタは・・・? 
高級娼婦、海千山千のヴィオレッタにしては線が細い。「椿姫」は、金でなんとでもなる
高級娼婦、すさんだ、退廃した世界に生きる女が「純愛」に目覚める物語。それがはじめ
から「清純」でいかにもなよなよとした感じでは、、、つまらん。
(今、ヴィオレッタのあのアリア。アルフレードから愛を告白されて、懊悩する・・・。声が
綺麗で、細い。歌い方も、力強さがなく、ヘンに上品。高音不安定・・・)
 
 とりあえず、「運命」は、名演かどうかは別として、こんな景気のいい5番はなかなか
ないのでは?
 この景気のよさは特筆もの。
 元気が出るw イケイケgogo!!! バブリーなNO.5! バブリーな「運命」。
 で、なかなかよろしいw

(「ジョオリイィィ・・・」というところ、全然あかん。これじゃ、最初から、肺病が膏
肓に入ってる感じ。クライバーのイメージでは、ヴィオレッタは最初から重病人、という
ことなのかねぇ・・・。じゃ、こんな中途半端に綺麗じゃなくて、血を吐くくらい悲壮に
歌って欲しいなぁ・・・)
 
 ドミンゴもさえん。
 今、二幕のアルフレードのアリア。ドミンゴなら、もっと、一語一語、一音一音豊で複
雑なニュアンスをつけられるのに、やっぱり、単純すぎる。
 ああああ・・・それに、今、だんなんの頭の中で響いてるのは、実は、パヴァが歌って
る同じ曲。パヴァのを聴きすぎたせいか、頭の中で勝手にパヴァの声、歌唱に修正が入っ
てしまう・・・w
 パヴァに比べると、ドミンゴ、まったく頼りない。力強さもない。もっとも、このアル
フレードというのは、言ってみれば、太宰治みたいな感じでいいので、頼りなく、腰抜け
でいいわけだけど・・・いいわけだけど・・・つまらん。。。
 
 
 ドツイ・ウィーン系の指揮者、オペラ、まず、曲ありき。
 イタリアの指揮者、オペラ、まず、歌ありき。
 って感じがする。
 美しい旋律、美しい曲、その曲の枠にはめられた歌手の歌、それがドイツ・ウィーン系
の美。
 曲を旋律を、ほとばしる感情の奔流が時には歪める、ぶちこわす、破壊する、それが歌
手の歌となって現れる、それがイタリアオペラの美。
 
(今、アルフレードの親父がヴィオレッタに別れを迫っている場面。なかなか、コトルバ
スいいけど、やっぱ、なんか力強さというか、上っ滑りな美声。上っ滑りな声しか出ない
ほどの病人なら、逆に、もっと血まみれの汚い音を、声をはき出せないかな? 初めて
「純愛」に目覚めた女が、相手の男の父親から別れろと言われてるんだよ? もっとなり
ふり構わず必死にならないか? こんなに綺麗な歌唱ですむはずないだろ? と、これが、
まとも、イタリアオペラ的感覚、だと自分でも呆れたりw)
 
 パヴァが好きなのは、あの声もあるけど、彼はどう歌っても結局パヴァ。
 「清教徒」のアルトゥーロなんかを聴けばわかるけど、アルトゥーロはカウンター・テナ
ーが歌ったりもするような、ベルカントな役。それをパヴァが歌うと、最初、たしかにベル
カントっぽいけど、そのアルトゥーロをパヴァが食い尽くしてしまって、登場のアリアが終
わる頃には、まったく、パヴァ。パヴァの声がアルトゥーロを飲み尽くしてしまう。どんな
役をやっても、パヴァ。時には、曲のストーリーまでも変えてしまうような(たとえば「ド
ン・カルロ」)。
 
 パヴァより、もっと、驚嘆なのが、言わずと知れたカルーソー。
 もう、ぶちこわしまくり。でも、そこがいい。
 
 ドイツ・ウィーン系は、全体のまとまりのようなものを重視するのか? 統制、統御、指
揮者による、指揮者が意図する、指揮者が完成する、調和。
 それが、もうひとつ面白みがないと、交響曲ならまだしも、オペラではそんなふうに感じ
てしまう。
 
 能。
 実は、能は、合わせているようで、合わせたりしていない、って知ってる?(知ってる人
は知ってるか)
 合わせることよりも、自分であること、自分を出すことに重きが置かれる、とか。
 このあたり、ある意味、実は、全然日本的じゃなかったり。
 そうやって、各自が、自分を出し切ること。そこに生まれる調和。
 もちろん、調和すればいいが、調和しなければ、まったく箸にも棒にも、ってことになら
ないとも限らない。
 でも、でも・・・だ。あらかじめ、一人の人間が頭の中でイメージしたり、築き上げたり
した調和に対して、各人が自分の持てるものをのびのびと出し切ったうえで、個性がかみ合
った、そんな予期しない調和、というのが、そんな調和があらわれるのに立ち会うことがど
れほど素晴らしいことか。
 
 イタリアオペラも、能と同じ、そういう系だと、だんなん、勝手に思ってます。
 そういうイタリアオペラが体験できるかな、というCDは、たとえば、シャイー指揮・ボ
ローニャ管の「リゴレット」。公爵はもちろん、パヴァ。
 これ、ドイツ・ウィーン系の美的感覚の人が聴いたら、むちゃくちゃな、って思うかも。
 しかも、いつ聴いてもいいわけでなく、こちらの気分やテンションも同じくらいじゃない
と、それこそ、空中分解してるようにさえ聞こえる。ひどいなぁ、とさえ感じることもある。
でも、こちらの気分・テンションがしっくり来たときには・・・ものすごい。そう、聴く方も参
加するわけだから。・・・イタリアオペラの醍醐味。オケの音の一音一音までが、登場人物
の感情、激情のほとばしり。
 今まで、ヴェルディの曲って、オケと歌がなんかしっくりこない、不釣り合い、とか感じ
てたけど、このシャイーの聴いて、そうじゃないんだと、納得。ヴェルディの曲自体が、ド
イツ・ウィーン系的美意識に基づいた調和を求めるような曲作りではあかんのや、と。
 
 などと言っているうちに、「椿姫」のCD1が終わっていた・・・
 
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2011_05
04
(Wed)23:55
 京都国立近代美術館の、クレー展に行ってきた。

 ・・・・・これは、作品鑑賞というより、資料閲覧といった趣の展覧会だった。
 
 それは、それでいいとして、でも、数点は、これはやっぱりいいな~とか、すごい
なぁとか、
「鑑賞」向きの、しかも、有名な作品を置いておいてほしかったものだ。
 そういう有名な「鑑賞」向きの作品はなかった。
 そういう意味で期待はずれ。
 
 でも、資料閲覧としても、なんかもうひとつつまらなかった。
 だいたい、同じテーマの作品が多すぎる。
 「テーマ」というのは、クレーの絵のテーマではなくて、今回の展覧会の展覧形式
の「テーマ」。
 作品の制作プロセス別の「テーマ」を設定して展示してあったが、くどすぎ。ひと
つのプロセスについて、鑑賞に堪えるものを数点厳選してあれば十分。なのに、くど
くどと・・・
 
 それに、制作プロセスとしてカテゴリー化することに?を感じるものもある。
 その最たるものが、「プロセス4 おもて/うら/おもて 両面作品」。
 つまり、裏にも何か描いてあったり、する、というもの。
 あるいは、何かの裏に、たとえばざっと広告のチラシの裏に描いてあったりする、
というもの。
 作品として、表裏に描いてあることが「意味」を持っているとするならともかく、
単に、昔描いたものの裏に描いた、というようなものがほとんどだったような感じが
する。もっと言えば、たまたまそこに裏の白いチラシがあったから描いた、とか、画
材が手に入らないから習作みたいなのの裏に書き留めた、その程度にしか思えないよ
うなもの。
 要するに、クレーが表裏に描くことを何かの意図を持ってやったのか、そうでない
のか。
 意図があったのなら、それは作品だし、意図がなかったのなら、ただの偶然に過ぎ
ない。
 その偶然をあたかも「意図」があったかのような、そんな展示の仕方だ。
 もったいないから裏も使おう、って、僕はよくやるけどなぁw(絵じゃないけど)
 その程度の動機で描いていたのなら、それは、表と裏ということを強調する理由は
全くない。たまたま、表と裏だった、というに過ぎないから。
 つまり、クレーは倹約家だったということはわかっても、作品の理解にはなんにも
関係ない。
 もちろん、クレーのひととなりを理解するための展示というのなら、もっと、様々
なものを展示してもいいはずだ。そういう意味でも、中途半端な展覧会。
 
 結構、クレーは好きで、二十数年前に『クレーの日記』を読んだ。
 もう詳しいことは全然覚えてないけど、いろいろと、芸術上のことで苦悩していた、
みたいな印象があった。
 記憶違いかもしれないけど、貧乏なときもあって、画材が手に入らないと言ったよ
うなことも・・・(でも、かなり曖昧)。
 
 それに、今回の展覧会は不親切。
 どうしてクレーが、切ったり、張ったり、分けたり、、、といろいろな製作法をし
たのか、しなければならなかったのか、そういう作家の内面にはまったく触れてない
し、触れようともしていない。
 解説、聞いてないしね~w
 
 ***
 
 クレーっぽかったののひとつは、『蛾の踊り』。
 今回の展覧会のテーマで行けば、「写して/塗って/写して 油彩転写の作品」と
いうテーマ。
 それは、線描と色彩をいかに統合するかというクレーの問題意識を扱ったテーマだ
が、そのなかで唯一「作品」と呼べそうなものがこの『蛾の踊り』だった。
 躍動的な「蛾の踊り」を踊る踊り子? それとも、擬人化された蛾? とにかく画
の中心で線描の女のようなものが踊っている。その上に、モザイク状のグラデーショ
ンの水彩。
 ただ単に線描と色彩の統合というだけでなく、この色彩のグラデーションは踊り子
の内的な感覚までもあらわしていると思った。
 くどくどといっぱい並べ立てるよりも、こういう作品を各テーマ毎に数点そろえて
いれば、それでいいんじゃない? って、思うんだけどねぇ。。。
 
 作品を切り分けたのは、クレー自身が絵のテーマを絞れるようになったから、だと
思った。
 『バルトロ 復讐だ、おお! 復讐だ!』という作品があるが、これは、オペラ
『セビリアの理髪師』から。
 これを見ると、オペラという豊饒な世界の登場人物をこのように簡潔に描ききって
いる。
 つまり、テーマを絞る、絞ったテーマを洗練させ、いらないものをそぎ落としてい
く、とそういうことができる目をクレーが持つことができたことを物語っている。
 そして、切り分けた作品の多くとこの『バルトロ 復讐だ、おお! 復讐だ!』の
時期が重なっている、あるいはそれ以降のではないか、と。
 ただ、作品の制作年というのが、切り分けた年なのか、切り分ける前にできたとき
のものなのか、はっきりしない気がした。ので、勝手に、切り分けられるようになっ
たのは『バルトロ 復讐だ、おお! 復讐だ!』前後から、と解釈したw
 切り分ける前の絵には、複数のテーマが未整理のままひとつの絵になっている。
 それを切り分けることによって、すっきりと、ひとつの絵にひとつのテーマとした、
と見て取れた。
 別の見方をすれば、以前に描いた絵をもう一度別のテーマで見直したとき、どうか、
ということ。
 そうすると、いらない部分があったり、過剰であったり、今見ている見方とは別の
テーマが含まれていたり、とそういう絵を切り取ることによって、今のテーマをクロ
ーズアップしたのだ。
 
 面白かったのは、「特別クラス」。
 過剰だが、よい作品が多かった。
 ただ、「よい」というのは「鑑賞向き」と言うことではなく、これらの絵を観てい
ると、次、こんなことをしよう、こんなふうにしてみてはどうか、と絵画制作上のさ
まざまなインスピレーションがわいてきそうだ、という意味で。
 クレーが手元に残した理由のひとつは、そんなところにあるのでは、と感じた。
 だから、普通に「鑑賞」するにはちょっと過剰だったりする。
 
 
 で、この中からもし一点あげる、といわれたらどれが欲しい? って、奧さんと話
した(笑
(どれを買う? じゃなくて、ただでもらうw)
 奧さんは、『船の凶星』 色が好き
 だんなん 『結晶化』 「特別クラス」のなかであまり過剰じゃないから。
 
 ***
 
 それにしても、京都国立近代美術館の催しって、期待はずれが多いな・・・
 学芸員にセンスがないのだろうか?(今回だったら、東京国立近代とかも?)
 今回 100点満点として30点  テンション上昇度 52%(平常時を50%
として。2%は歩いたり移動によって血流がよくなったからだけだったりして) 
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2011_05
02
(Mon)22:13
 つつじ 道明寺 亀末廣  2011/4/25
 
 4/4に食べた、春の夢 と見まごうほど?
 道明寺 亀末廣 2011/4/4
 
 躑躅というのも銘ではなく、あくまでも、躑躅をかたどったということ。
 五弁になっているところが一輪とも見えると同時に、道明寺のふっくらした感じと氷
餅粉が、ふわふわと群れ咲く躑躅の雰囲気をも醸し出している。
 
 そういえば、道明寺っていうと、桜餅(俵屋吉富)椿餅(老松)なんかではよく見るけど、意匠をこらした上生ではあんまり見ないなぁ・・・と思って以前食べたのを見てみると・・・そうでもなかった・・・
 
 春の夢や躑躅と同じ、氷餅粉をまぶした道明寺・・・
 涼  塩芳軒  涼 塩芳軒
 
 氷餅粉をまぶした道明寺に寒天で・・・
 送り火  二條若狭屋 送り火 二條若狭屋
 
 寒天の中に・・・
 蝉時雨  本家玉壽軒  蝉しぐれ  本家玉壽軒
 
 姿の美しさと、その姿と銘との妙が幻想的でことにお気に入り・・・ 
 水の音  亀屋良長  水の音  亀屋良長
 
 
 今回の躑躅。
 種は、白漉し餡。
 ゴマがアクセント。
 白漉し餡と道明寺の調和、その調和が群れ咲く躑躅のふんわりとした趣を口の中
に漂わせた。 
  
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2011_05
01
(Sun)21:48
 京のよすが 5月上 4月下旬
 
 亀末廣さんのミニ京のよすが。
 京都観世会などが主催した義援能(4/25)の帰りに買ってきた。

 ピンク色の薔薇・緑色のきんとんをかたどったものが、もち(求肥)。
 真ん中の緑の楓が、干琥珀(かんこはく)。
 三色団子が、松露。
 団子の下の薄緑のが、、、不明。感じとしては、砂糖でできた石灰岩。というとまず
そうだが、オキナワの海岸の岩みたいにポリポリしている。もちろん、それよりはもっ
と柔らかくて、おいしいけど。上品なあまさ。
 水紋が、落雁。
 蕨が、州浜。
 白と黄緑の四角いのが、白雪糕(はくせんこう)。
 緑の木の葉が、生砂糖(きざと)。
 

 下のは、4月中旬。
 
 京のよすが  亀末廣  2011/4/16 
 
 餅が、木の芽餅(木の芽薯蕷をかたどってある)。小さいけど、山椒の風味がさわや
か。
 
 
 すこしずつ、入れ替わっていく。
 桜が、新緑や水紋など、初夏のさわやかさを感じさせるものに。
 同じものでも、松露の三色団子の色が変わったり、きんとんをかたどってあるもちに
かかっている砂糖の色が変わったり。
 
 どれが一番好きか、と聞かれると、答えるのは難しい。。。
 
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