2011_07
29
(Fri)23:34
 今年の菓匠会のお菓子は、以下の6種。
 
 菓匠会11
 
 今年は、奧さんはちょっと用事がありこけなかったので、食べたのはひとつ。
 選んだのは・・・
 
 菓匠会10
 蛍の里
 とてもクリーミーなきんとん。
 生クリームのようだった。
 種は、黒粒餡。
 食べた後、聞いてみると、三條若狭屋さん。
 
 で、このとき、係の人がもってるカンニングペーパーがちらっと目に入った。
 どの菓子がどの店か、っていうの。
 で、それ見たら、もうひとつ食べたくなった。
 入場券、もう一枚購入(500円)
 
 食べたのはこれ・・・
 
 菓匠会9
 水の面
 
 なんで食べようと思ったか。
 嘯月さんのとわかったから。
 嘯月さんのは、まだ食べたことないし、予約しないと食べられないので、いい機会。
 これは、寒天餅のようなものらしい。
 というのも、美味しかったのでどういうものか聞きたかったが、店の人はもう帰っていていなくて、聞けなかった。
 食べた感じは、今まで食べたことない、もちもち感。
 種は、緑色に染めた白餡。
 上品で控えめ、それでいてどこか花があり、端正というか、澄んだというか、そんな雰囲気のある風味。
 
 メモしなかったので、ちょっと、記憶に頼りなさもあるけど。。。
 
 
 このあと、四条高島屋へ。
 そこで、奧さんといちまのおみやげに、上生を二個。
 
 とりあえず、2011 菓匠会は、今回で終わり。
 
 
 
 
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2011_07
28
(Thu)21:50
 菓匠会26
 芽生え  亀廣保 
 
 菓匠会25
 
 
 菓匠会24
 人の音  末富
 
 菓匠会22
 なんだかちょっと、不思議なお菓子。
 ムーミンのニョロニョロ(だった?)を連想してしまった。。。
 
 
 菓匠会21 
 
 
 菓匠会20
 菓匠会19
 これは、かなりインパクトがあった。
 韓国の国旗でもおなじみの、陰陽道の太極を形作ってある。
 宇宙の根源と生成をあらわし、中国では、陰陽魚と魚に見立てることも。
 
 たぶん寒天で、そのなかにぼかしのようにいろいろな色が入っている。
 それが、まるで魚のようであり、工芸菓子や上生にはめずらしく、なんともなまなましい雰囲気がした。
 何か生きているようで、今にも動き出しそうな気配さえ感じた。
 何度も見入ってしまった。
 
 
 菓匠会18
 菓匠会17
 菓匠会15
 伝統的な工芸菓子の蓮の花や薔薇の花。
 この蓮の花は、ほんとうに美しかった。
 
 対照的な、二軒の若狭屋。
 
 
 菓匠会14
 菓匠会13
 虹のかけ橋。
 大作の二軒の若狭屋の後であっても、このお菓子にも心ひかれる。
 ちょぼんと、愛らしくて、美しい。
 
 
 菓匠会12
 
 トリは、亀屋良永。
 展示はここまでで、次回は、食べたお菓子。
 
                              つづく・・・
 
 
 
 
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2011_07
26
(Tue)01:48
 きことわ。どうも、最後まで読めそうにない。
 退屈。
 いくら時間のあつかいがどうのこうの、っていっも、結局、記憶だの時間だのなんて、自分の頭のなかの出来事でしかない。
 書こうと思えば、そら、誰でもこのくらい書けるのでは? と思えてくる。
 ただ、そのためには、言葉に現実の裏付けがないこと、が条件だろうけど。
 きことわ、読むほどに、空虚なうつろな話にしか思えなくなってくる。
 まるで、子供が、おぼえたての言葉を、自分の生からくる実感やリアリティもないまま、もてあそんでいる感じだ。
 そんな言葉で構築された積み木。
 なんかそんなふうに感じられて、読むのがむなしくなって、それこそ、苦役になってきた。
 書かれている内容も、なんか、興味も持てない、退屈なことばかり。
 なんか、こんなのを、ほんとに、選者のみなさん、圧倒的に支持しちゃっていいの? って思えてくる。
 
 今回の選評で、だんなんの感覚に一番近いのが、なんたることか、僕の嫌いな、石原慎ちゃんだ。
(嫌い、というのは、ことに、プチ・ファシストのよう東京都知事慎ちゃん)
 そのせいか、今まで、選評読むたびに、おいおいって思ってたが、今回は、あまりにも近しい。親しみさえ感じてしまう。
 彼の言う「身体性」というのが、僕で言うところの「言葉の現実からの裏付け」とか「生からくる実感やリアリティ」っていうことだ。
 
 とにかく、こういう空虚な言葉の積み木遊びにつきあうくらいなら、ぼ~としてたほうがいいなぁ、と思ってしまう。
 
 だから、たぶん、きことわはこのまま挫折。
 ま、好みがあわない、ってことだね。
 それにしても、きことわに関して、石原慎ちゃんと近しいということが、かなり、ショックだった(笑
 
 
 ところで、選者の評、というのもじっくり読むと実はなかなか面白い。
 この小説(世界)が、この人にはこんなふうに増幅されて見えてるんだ、とか。
 このくらいの表現が、この人にはこんなに大仰に感じられちゃうんだ、とか。
 案外、そっちの方が面白かったりして。
 
 でも、だんなん的には、以前のひどい状態(町田康 だの 笙野頼子 だの 平野啓一郎 だの)からすると、ちょっと面白い小説が出てきたような感触。
 ただ・・・じゃ、いくらだったら買うか? ときかれたら・・・
(そう、だんなんが読んでるのは「文藝春秋」を図書館で借りてきたのだw)
 きことわ は、もちろん、買わない。
 苦役列車、150~200円の文庫本だったら、まあ、買ってもいいかな?
 
 「以前のようなひどい状態」というのは、なんか、こういう感じ。
 読む方は、自由な消費者。別に、現代の小説だけが楽しみ、というわけではない。たとえば、だんなんにしてみれば、お茶もありゃ、花もありゃ、ネットもありゃ、映画もありゃ、オペラもありゃ、アニメもありゃ、庭もありゃ、いちまの縫い縫いもありゃ、和歌もありゃ、能もありゃ、ワインもありゃ・・・と楽しみはいろいろある。
 
 この楽しみはもちろん、人それぞれ。
 つまり、これらの楽しみに優先順位をつけるとき、ある小説は一体何位になれるか、ということ。
 というか、時間と資金が限られている以上、優先順位をつけざるを得ない。
 そのとき、この小説は一体何位?
 
 つまり、そういういろいろな楽しみと現代の小説は、否応なしに競争しなけゃいけない、一時でも、こちらに消費者の興味をひきつけないといけない、そんな魅力があるのか? って。
 以前、幸か不幸か、文学や小説が特権的な時代があって、小説に関わっている人たちはいまだそんな気分が抜けてないんじゃ?って思えるフシがあるような・・・・そんなのが以前には往々にあった。
 競争相手は、同業者の小説や作品ではない、まったく別のジャンルのありとあらゆる楽しみ、っていう、そういう現実を認識してるのかな? って思えるようなものだ。
 
 今回の小説は、とりあえず、そういうスタートラインに立っている、と思える、そこがいいと思った。
 それに、すくなくとも 苦役列車のほうは、読んで時間を無駄にしたとか、そういう感じもなかった。
(とはいえ、告白しよう、実は途中退屈になって、いくらか読み飛ばしたりした)
(まあね、読み飛ばされるのも作家の幸せ、とバルトがプルーストについて語っていたから、気を悪くしないで^^)

 
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2011_07
23
(Sat)22:05
 菓匠会の途中だけど・・・。
 ずっと気になってた、今年度前期の芥川賞の小説をやっと読むことができた。
 感想。
 
 苦役列車 西村賢太
 噂では、かなりヤバイ日雇い労働者の話、みたいな感じだったけど、読んでみると結構、普通。
 (というか、読む前に勝手に想像ふくらませてただけかも知れないけど。。。)
 普通、というか、日雇い人足の主人公の貫太は、まとも、小市民。ただ、職業が、日雇い、というだけ。
 もっと、ハチャメチャで、ぶっ壊れてる、ヤバイ主人公を期待してたのに。と、これは、こちらの勝手な期待なので、これでこの小説をどうこう言うのは酷だな。
 文体、このヘタウマな文体は魅力的。語り手の主人公が小市民的な性格だからか、かえって、この文体が輝く。この文体、この人才能あるな、と思う。
 が、器は小さい。なんせ、小市民。小市民的日雇い人足。どこの会社にも、あるいはどこの学校にもいる、自分にコンプレックスを持ってる若い男がしそうなこと、感じそうなこと、考えそうなことが、日雇い人足という「新しい」衣装を纏って描かれている。しかも、この貫太、一応、19歳。19歳の日雇い人足、というよりも、19歳の小市民、というのに驚く。19歳なのに、こんなに完璧に小市民になっちゃって、将来どうするの? と言いたくなる(笑
 と、書きながら、勝手に頭の中で回ってるのが、中上健次の『十九歳の地図』。こいつは、ヤバイ野郎が主人公だった(笑
 ま、比較してもしょうがない。時代が違う。こんなにも、小市民的感覚や価値観が、若年者にも、そして、日雇い人足が社会の最下層に属する人びとだとすると、そんな人びとにまで浸透しちゃってるなんて! ある意味、バブル崩壊以降の日本はすごい。
 貫太くんは、自分がだめな人間だとか、何だとか、いろいろ自虐的に言っているが、結局、小市民の理想であるコームインやリーマンになれなかったから、ただそれだけのこと。(日下部というのが、小市民的理想を実現したわけだが)
 といいつつ、実は、日雇い人足という社会的な立場に、なんとなく、安住してる感じもする。「私小説」というジャンル上、ダメ人間だの、何だの、自虐的なことを言っているような感じで、そこが、器が小さいな、と思ってしまうところ。つまり、「私小説」に安住してる。
 「私小説」と言うジャンルを、ぶちこわす、勇気が、あるのか? ないのか?
 受賞の弁やインタヴューによる限り、今のとこ、なさそう。。。
 ヘタウマな文章は魅力的なのに。でも、このヘタウマな文章では、「私小説」というジャンルにたてつけるほどの強度も臂力もなさそう。
 
 
 きことわ 朝吹真理子
 冒頭、ちょっと読んで、この人はうまい、と思ったものだ。
 どううまいのか。いままで小説というジャンルが蓄積してきた「公式」をほんとに上手に使っている。こういう風に、上手に「公式」を使いこなされては、同業者の圧倒的支持を受けるのは当然だ。
 でもなぁ~、だんなん、残念ながら同業者じゃない。物理学者にとって「公式」は完璧でリアルでも、実際に生活している人間にとって、それはあんまりリアルじゃない。たしかに、ある条件下で、その「公式」はリアルで有効で美しい。が、実際の生活では、いろいろなノイズや夾雑物があるから、「公式」通りにいくことはまずない。そういうノイズや夾雑物に耳をふさぎ目をつぶって読むと、この小説はやっぱりすごいのだろう。
 でも、だいたい、素人なんて、夾雑物やノイズだけの感性で小説を読む。そうするとなんか、細かいことが、いろいろと気になり始める。
 たとえば、永遠子と貴子が車の後部シードでじゃれ合ってるシーン。すごいなあ、ここも、と思う。象徴的で、暗示的で・・・普通、こんなに上手に描けないだろう、こんなに上手に「公式」使いこなせないだろう、って素直に感じる。が、一方、15歳の永遠子と8歳の貴子がじゃれあってて、自他のわからない状態になるなんて、とノイズが聞こえてくる。もちろん、本人同士がそうなる、というのは、まあ、詩や小説では、愛しあうシーンなどでは基本的な表現上の「公式」だ。ところが、それを見ている母親である春子までわからなくなる、って? むろん、表現上のなにか、だとはわかる。永遠子と貴子との関係をあらわしている何か、暗示している何か、だろう、とはわかる。「公式」の応用、だとはわかる。けど、15歳と8歳といえば、体格的に、かなり差があるんじゃないのか? なんてノイズがささやく。いやいや、永遠子は実は8歳なみの成長不良少女だったのかも知れないし、いやいや、貴子が15歳なみの健康優良児だったんだ、とか・・・いやいや、二人とも、11~12歳なみの体つきだったんだ、とか・・・たぶん、というか、99%までこの小説にとってはまったく無意味な、考えるだけ時間が無駄な、そんないらんことをいろいろ考えてしまう。もちろん、このシーン、もしかすると40歳の永遠子の夢なのかも知れない、と思えば、結局、夢のなかの登場人物の春子は永遠子の分身だから、区別がつかなくてもイイじゃん、とか、それなりに解釈してしまったりするのだが・・・。
 占いや宗教者の説教などと同じで、小説も、どんなにむちゃくちゃなことが書いてあっても、それについて思いを巡らせれば、それなりに、なんとなく納得できる解釈ができて、そのむちゃくちゃなことを受け入れることができてしまう、という面がある。
 普段から「公式」にどっぷり、というか、「公式」を使う訓練をしている同業者の人たちは、こういうノイズなしに、すんなり、「公式」の上で、「公式」にそって、「公式」を使って、受け入れられてしまうのかもしれない。
 けどなぁ、素人のだんなんとしては、いちいち、その「公式」がノイズからしてもリアルかどうか、たしかめながらじゃないと、読み進めない。そうすると、かくも見事な「公式」集は、かくも見事な「公式」集であるがゆえに、うつろなうわべだけの感じのものにも思えてしまう。
 でも、あま、これは、こんな読み方をしてしまう、だんなんの責任、といえばそれまでだけど^^
 「公式」と言ったが、小説の「公式」と物理の「公式」とは性格も性質も違う。
 この作家さんが、ほんとに上手なことはよくわかる。でも、その「公式」に疑問や違和感を持ってないのだろうか、というのがだんなんの疑問。あまりにもうまく「公式」に立脚しているので、「公式」に違和感を持っている人からすると、この小説世界はいともたやすく瓦解する? ・・・かな?
って、ま、そんなヤツは最初から小説なんか、読まないか。縁無き衆生は度し難し?(笑

(きことわ まだ途中)
 
 「私小説」に安住と、「公式」上の楼閣・・・何となく、似たもの同士?
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2011_07
22
(Fri)23:15
 2011 菓匠会、つづき。
 菓題は、「希望」。
 
 34
 陽がのぼる  亀末廣
 
 
33
 希望の星へ  亀屋良長
 見えにくいけど、「希望の星へ」の楽譜などが敷いてある。
 
 
 32
 光明  本家玉壽軒
 こういうシンプルなのが好き。
 

 31
 思い  千本玉壽軒
 右上の二本の寒天が、どういう思いを象徴しているのか・・・
 
 
 菓匠会30
 萌え  塩芳軒
 季節柄、生菓子は、寒天や葛などが多いなか、これは、なんなんだろう、と興味がわき、
一番美味しそうで、食べてみたかった^^
 
 
 菓匠会29
 新たなる旅立ち  笹屋伊織
 
 
 菓匠会28
 菓匠会27
 断面がとても綺麗な子持ち薯蕷。
 世界の破壊と再生をあらわす円環?
 
                           つづく・・・

 
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2011_07
20
(Wed)23:23
 2011年の菓匠会の菓題は、「希望」。
 各菓匠、菓子司のお菓子を展示順に・・・
 
 菓匠会3   
ひかり  鶴屋吉信

 放射状のガーベラの花が希望のひかり、ということなのか。。。
 実は、一目見て、だんなん、とても気に入ったもの。
 うえの写真からじゃその理由、はっきり見えないけど・・・
 
 お菓子の縁をよく見ると・・・
 菓匠会4
 硝子の器の底に筋が入っていて、光がこんなふうに・・・。
 「ひかり」という銘は、これも含めて、かな?
 
 菓匠会5
 
 菓匠会7
 
 お菓子の展示とともに花が生けてあるのだが、その花かと思ってしまった^^;
 鉄瓶に生けてある。
 菓匠会8
 
 菓匠会6
 ”キラリ”未来へ  亀屋陸奥 
 右下の緑のは、蓮の葉をかたどってある。
 上の、茶碗と茶碗の中の碧い球体は、何なんだろう?
 
 36 
 
 清流に、まきす、そのうえに青もみじとうちわ。
 これは、貴船の川床の風景?

 35
 
 仲よき事は善き事なり  長久堂
 二羽のおしどり。
 震災後、家族とか、身近なひととかを大切に思うようになった、という人が多くなった、とかいうアンケート結果をテレビでやってたけど、そのこと思い出した。
 ま、たしかに、人間、こういうことがあればそういうことも思うだろうけど・・・。
 その反面、なにもなければ・・・どう思ってたんだろう、なんて、、、ね^^
 
                                   つづく・・・
 
  
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2011_07
17
(Sun)22:57
 昨日(7/16)、祇園祭の献茶会で菓匠会があったので、行ってきた。
 菓匠会1
 
 菓匠会2
 
 今年の菓題は、例の震災もあって「希望」。
 それにしても実朝の

「世の中は常にもがもな 渚漕ぐあまの小舟の綱手かなしも」
 
 の歌が引き合いに出されているには、すこし驚いた。
 今回の震災のことを歌った短歌は、某短歌雑誌などでそんな特集もあっていろいろ
あるようだけど、実朝の感慨と今回の震災を結びつける、そんな感性のあり方に共感
を感じた。
 むしろ、今回の震災にひきつけてこの実朝の歌をよりリアルに感じた。
 
 実朝の歌は、
 
 海を眺めていると、漁師が作業をしている、そののどかな情景を見て、世の中とい
うのはいつもこうであってほしい、みたいなしみじみとした感慨を催す、
 
 といったものだ。
 漁師ののどかな日常の生業の様を見て、そうでない世界、いわゆる無常の世の中を、
そしてそんな無常の世に身を置いている自分の身の上に悲しみを覚える、といった感
じだ。
 
 遠目にはのどかに見える漁師の作業の姿も、漁師にしてみれば生きるための格闘だ
といえばそうだろうけど、しかし、日々の日常であり、実朝はその様子に常に変わら
ないものを見ている。その不易なものに無常の自分を対比して、感慨を催している。
 
 ・・・と、お菓子のことよりもなぜか実朝の歌の方が気になってしまった。。。
 
                          つづく・・・
  
 
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2011_07
15
(Fri)01:11
 先週の日曜日、別に用はないが何となく京都へ。
 行ったはいいが、暑いわ、JRの往復チケットを買ったら手持ちの現金がほとんどなく
なるわ、で、JR伊勢丹でぼんやり涼むことに。
 で、涼みすぎて冷えてきたので、そういえば・・・式に、JR伊勢丹ビルをぶらつく
ことに。
 ここを宿にホームレスをしたら面白そう、などと思っていると、ななな・・・なんと、
そういえばこういう建造物が京都にはあったのだ!
 
 15
 
 京都タワー!
 なんですか、この奥ゆかしさも恥じらいも感じられないお姿は。。。
 などと言ってはいけません、なんでも、和ろうそくだか燭台だかをモデルにしたとい
うこの姿。
 この趣味の悪さは、エッフェル塔や東京タワーや東京スカイツリーといい勝負?(な
わけないな・・・)
 
 こいつが、どどーんと目の前に聳え立っている・・・ばかりか、JR伊勢丹ビルをぶ
らつくだんなんにしつこくつきまとって離れない。。。
 
 13
 鏡の国の京都タワー
 
 14
 籠の鳥京都タワー
 
 
 7
 8
 びよびよ~ん京都タワー

 9
 和風おすまし京都タワー
 
 10
 ダンシン京都タワー
 
 11
 笑う京都タワー
 
 1
 けなげに働く京都タワー
 
 2
 (なぜか)郵便局とツーショット京都タワー
 
 5
 オブジェ気取り京都タワー
 
 4
 くずかご行き京都タワー
 
 17
 京都タワー
 
 ・・・京都タワーにとりつかれた悪夢のような夏の一日だった・・・
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2011_07
04
(Mon)21:24
 芝生の公園などでもよく見かけるネジバナ。
 べつに植えたわけでもないし、たぶん、前の持ち主も植えたのではないだろうけど、
結構、今、ウチの庭でも花が咲いている。
 
ネジバナ
 
 雑草、といえば雑草なんだけど、好きな草なのでこのまま。
 
 生垣のベニバナトキワマンサク。
 花期は春で、ときに秋に狂い咲きがある、ということだけど、今、何故か、ぽちぽ
ち咲いている。
 
 トキワマンサク  
 
 トキワマンサク 蕾
 
 蕾もまだまだついている。
 
 そして、これも、結構、住み着いている^^
 
 アマガエル
 
 サザンカの幹で。。。 
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2011_07
03
(Sun)21:25
 グリーンカーテンをつくることに・・・
 
 グリーンカーテン1
 
 というわけで、こんな感じ。
 60幅のテラコッタ風プランター。
 ファイバークレイ製なので軽い。
 
 ネットを張って・・・
 
 ゴーヤ
 
 プランター毎に違う植物を植えることにした。
 向こうから二つ目、まずは、定番のゴーヤw
 近所の生花店で。一株150円。
 
 「栴檀は双葉より芳し」
 じゃないが、ゴーヤの苗、すでに立派にゴーヤの香りが。。。
 風が強いと、何となく、家の中にゴーヤの香り?が・・・。
 ま、嫌いじゃないからいいけど^^
 
 のこりの三鉢は・・・ネットショップで。
 まだ、届いていない。
 
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2011_07
01
(Fri)00:21
 明日から、七月。
 といって、別に何、というわけじゃないが、ニュースを見てると、やっぱ、節電、節電。
 マスコミって、ほんと、こういうプロパガンダ好きだなぁ。
 ま、戦争中、さんざんあおってたのと同じだけどw
 
 前々から書いてるけど、だんなんちは、エアコン・フリーw(エアコンないって言うと、
貧乏くさいので。って、貧乏なんだけど^^)
 で、どんな暑さ凌ぎをしているか・・・。
 
 まず・・・着る物。
 今、阿波しじら。
 もうすこし暑くなってくると、絽だの、上布だの。
 しかも、全部、リサイクル物。
 だから、汗かいても、気にせず洗える。
 
 昨年のブログ 駒絽
          能登上布 1
          能登上布 2
 お出かけは、小千谷ちぢみ ロックポートのサンダルw
 
 クールビズ、なんて中途半端なことしてないで、みんな、麻の着物をラフに着たら
どんなに涼しいことか。
 風があればいいんだから。
 
 下着は、冷感下着。
 
 さて、扇風機くらいはあるけど、まだほとんど使っていない。
 扇風機の代わりに使ってるのが、これ。
 龍馬扇 (宮脇売扇庵)
 龍馬扇
 龍馬扇だけの画像が見つからなかったので。 
 着てるのは、阿波しじら。
 この龍馬扇。いろいろな大きさのがある。50センチくらいのもあったような(もっ
とおおきかったかもしれない)。
 だんなんのは、24~5と普通の扇子よりすこし大きめ。
 大きいと何が違うかというと、風が違う。
 ふわっ、とした風になる。
 この風に馴染むと、扇風機の風やエアコンの風なんて、風として質が悪い、と思えて
しまう。
 そういうわけで、家にいるときはこの龍馬扇を使っている。
 持ち歩いてるのは、もうひとまわり小さい扇子。
 
 で、家は、南向きで、夏は暑い。
 ので、すだれ。
 二階のバルコニーもすだれ。
 
 そして、木を植えた。
 ヤマボウシ 2
 山法師。
 即効性はないが、3~5年すれば、それなりに夏の日差しをさえぎってくれるくら
い繁るだろう。
 このように、家の窓近くに落葉樹を植えると、夏は日差しよけになる。一方、冬は
落葉するので、あたたかい日差しをさえぎることはない。
 こういうのは、昔からの植栽の常識。
 ただ、暑気りゃエアコンで冷やせばいい、寒けりゃやっぱりエアコン、なんてそん
な家ばかりが建つようになった戦後、こういう家は減っていった。この家も、前の持
ち主さんは、エアコン頼りだった。せっかく土地があるのに、そういう知恵がない。
 この家、引っ越す前一応エアコン付きだったけど、撤去したもらった。「エアコン
撤去して」と言ったときは、仲介業者さん、前の持ち主さん、さすがに妙な顔をして
いた。
 
 家の南側、もう一本木を植えた。
もみじ
 家の中からでちょっと見づらいけど、モミジ。
 位置的には、山法師の写真で、オレンジ色の物がある、そのもうすこし向こう。
 作業に使った、軍手が干したままになってる^^
 これも即効性はない。
 ただ、モミジはいまから見た目、涼やか。
 
 あと、今はやりの、グリーンカーテンを作る予定。
 デッキの手すりのないとこらへんに。
 ちょっと出遅れの感はあるが、まあ、ここに来て一年目なのでこんなもんだろう、
と。
 
 それにしても、木。
 山法師は、根鉢が直径30センチ、厚み25センチで、ひとりで楽に扱えた。
 モミジは、直径45、厚み30。ここまで来ると、なかなか一人で無理だった。
 
 この二本は、ヤフオクで買った。
 山法師は、税・送料込みで、7800円(即決価格)。
 モミジは、ちょっと競ってしまって、税、送料込み、15900円。
 どちらも、信州の横屋さんという植木屋さん。
 植木屋さんというと九州が楽天などでも多いが、なんか、あたたかいところで繁り
すぎ、という感じもする。
 植木って、買ったときは立派でも、環境が合わないととてもみすぼらしくなる。
 小さく買って、大きく育てる、というのが理想かな、と(小さく産んで大きく育て
る、ってのは、子供だったかw)。
 横屋さんのは、なんとなく、幹や枝振りに風情があるような物が多い感じがした。
 モミジは、7800が初めて、何故か、他にも欲しい人がいて、12000円で落
札。
 けど、この値段ならまだ送料分くらいは安いか、と。
 
 ま、テレビでは、「節電で私たちの生活をかえないと」、などと言っているとこも
あるが、ここまでやる気ありますか? と聞いてみたい。
 って、別に、だんなんは、節電なんかあんまり意識してないけどね。
 嫌いなだけ、エアコン頼りの生活が。そして、そういう、文化のあり方、文明のあ
り方。
 エアコンが、どれだけ、こういう知恵をダメにしたか。
 つまり、戦後の大半ハウスメーカーが、そして国の政策が、住むということについて、
それまでの知恵や思想をダメにしてきた。
 だいたい、いまでこそ高級住宅、なんて顔してコマーシャルしてる大手ハウスメーカ
ーなんて、元を正せば、ただのプレハブ屋。
 エアコンをもてはやすのは、プレハ屋の発想。
 その共犯の国や政府。
 そういう奴らが、今度は、節電だの、自然エネルギーだの・・・儲かるとなると、ほ
んと、節操ない。
 だけど、せっかくだからそういう連中を利用して、ここは、みんな、自分なりの快適
生活を築くチャンスかと。
 
 にしても、「エアコン・フリー」ってちょい、イケてないか?w
 さっき、思いついただけだけどw
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