2011_11
30
(Wed)21:43
 新しく加わったいちまのおとも。
 いちまのおとも
 右端の、スノーマンw
 ちょっとした特技がw
 
 スノーマン 4
 光る! だけじゃなくて・・・

 スノーマン 5
 スノーマン 1
 スノーマン 2
 スノーマン 3
 
 赤くなったり、青くなったり・・・w
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2011_11
29
(Tue)21:28
 残菊 総本家駿河屋
 総本家駿河屋 の 残菊(こなし)
 初冬の、萎れ始めた菊。
 
 着せ綿 のような菊が萎れはじめた感じ。
 花びらが荒れて、色の移ろい始めた菊。
 
  秋をおきて時こそありけれ 菊の花 うつろふからに色のまされば   さだふん

 種は、白漉し餡。
 花弁の薄いところが少し乾燥していて、それがかえって枯れ、萎れ始めた菊の花のよう。
 
 
 残菊  鶴寿庵
 
 こちらは、京都鶴屋鶴壽庵 の 残菊(月餅)
 基本は、光琳菊
 移ろい始めた菊、というよりも、霜か雪のかかった菊。
 
  心あてに折らばやおらん 初霜の おきまどはせる 白菊の花   みつね
 
 種は、黒漉し餡。
 氷餅粉がハラハラと。
 月餅は、外郎よりは求肥の餅っぽいが、求肥よりは外郎のよう。ひんやりとしていて、霜のかかった菊の風情。
 
 
 萎れ、色の移り始めた菊を愛で(平安初期にはもっぱら菊を愛でるといえば色の移ろった菊)、また、霜や雪にうたれた菊の花を愛でる。
 そんな美意識と菊の花への愛着がうんだ上生。
 
  秋の菊 匂ふかぎりはかざしてん 花より先と知らぬ我が身を   つらゆき  
 
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2011_11
28
(Mon)00:12
 紅葉狩り 二條若狭屋
 
 もみじの葉っぱを丸めたような上生。
 夕日に透きとおって輝いているようなもみじの葉は、秋の澄み切った大気を感じさせる。
 
 銘からするともみじ狩りでとってきた葉っぱなのだろうか。
 ただ、この姿を見ていると能の「紅葉狩」の作りもの(紅葉するもみじの峰)を思い浮かべたりする。
 
 能の「紅葉狩」は、平維茂(たいら の これもち)が紅葉の下で宴を催す上臈にさそわれて宴に加わるが、実はその上臈は鬼だったという話しで、たしかに、峰の紅葉もあまりにも美しすぎると鬼が出ても不思議でないような、なにか妖しげな雰囲気が漂ってきたりする。
 
 このもみじ狩りも、写真では緑の葉っぱの方から見ているけど、これを反対側から見ると、この緑の葉がちょっとだけ見えるか見えないかの方から見ると、何か妖しげな雰囲気がしてくる、のだそうだ(奧さんが言うには)。
 
 
 秋の澄んだ空気を感じさせるもみじの葉は、羊羹。
 粒入りの栗餡を包んでいる。
 羊羹は風味でも秋の澄んだ空気を感じさせてくれる。
 栗餡はほろほろとした食感で、栗の甘露煮を砕いた粒が栗の味をくっきりとさせる。
 ただ、葉っぱと栗餡、両方合わさるとちょっと甘くなる。
 そして、残念なことに、このふたつの食感と風味が、なにか調和していない感じがした。
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2011_11
23
(Wed)19:29
 なんとなく、今日のゆる茶。
 
 紅葉
 今年植えた庭のもみじも、よく紅葉して、今が一番綺麗かな(いちま目線で)
 
 床
 軸は、秋に入ってずっとおなじ。直城の秋日。シジュウカラとツタ。
 10月の終わり頃から、シジュウカラやヤマガラの鳴き声が聞こえる。
 ホオジロも来て、最近は、ジョウビタキも。
 
 花  椿
 萩の窯変花入れと椿。
 家の椿。サザンカはいっぱい咲いていて、椿も咲き始めた。
 
 菓子 1
 菓子。
 奧さんのリクエストで、亀屋友永の松露、大納言
 後は、塩芳軒の梅鶴 と 亀廣永の古都大内
 
 だんなんは
 菓子 2
 塩芳軒のひさご
 そのほかはおなじ。
 
 亀廣永の古都大内は、先日、叔母からもらったもの。
 大内山にちなむ、紅白の落雁。
 餡は、粘りのある粒餡? と言っていいのか。
 水飴入りの漉し餡の中に、砕いた小豆の粒が入っている。でもこの小豆粒は、ふつうの粒餡のようなものではなく、干してあるみたいな感じ。そして、ほのかに塩味のような、あるいは、発酵したような、独特のうまみのようなものがあり、餡と相まってとても美味しい。
 ほくほくの落雁の中に、粘りのある餡、そして小豆粒(1級認定)。
 亀廣永は、京都大丸の東の通り、高倉通りにあり、ときどき前を通ったこともある。
 通るたびに、何があるんだろう、と思っていたが、こんな美味しいお菓子があったんだ。
 また、祇園祭には「したたり」という黒糖と寒天のお菓子も出していて、菊水鉾町の茶菓子になっているとか。
 
 茶碗は、黄瀬戸。
 あとは、いつもと同じ。
 
 いちま
 お菓子いっぱいで、手描き友禅に着替えてからちょっとおしとやかないちまは、ほくほく。
 
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2011_11
22
(Tue)01:55
 今晩(11/21)、やっと、いちまの手描き友禅の袷ができた。
 早速、試着。
 
 手描き友禅の袷
 
 今回は、衿の幅を2.5センチと今までで一番広くしてみた。
 また、腰上げの位置が、衿の菊にあわせて身頃の菊を出すことにしたので、今までより低くなった。
 ので、今までのより、訪問着の手描き友禅の柄にも関わらず、ちょっと幼い感じになった。
 奧さんが言うには、「七五三の『三』になったなぁ、いちま」だって。
 
 帯をとりあえず三尺帯にしておいたが、格上の帯なら、そこそこフォーマルな感じになりそうだ。
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2011_11
21
(Mon)01:47
 先日のだんなんのブログで、不評の 京野菜シュー の クレーム・デ・ラ・クレーム
 このままではよろしくない、ということで、ご主人おすすめの一品を食べてみた。
 それが、この ロイヤル・ブリュレ
 
 ロイヤル・ブリュレ
 
 丹波の何とか言う玉子を使っている、バニラビーンズもどこどこ産のもので、和三盆も入っている。注文があってから焼き色をつける、などなど、いろいろと能書きはあるが・・・
 やっぱり、もうひとつ物足りない。
 というか、感動がない。
(率直な感想を言えば、これを食べるくらいならスーパーで売っているなんとかプリンで十分、だと思った。)
 
 他にも、スタンダードの シュークリーム や わらび餅 を食べてみた。
 わらびもち
 
 わらび餅
 ただのわらび餅ではなく、ミニシューをわらび餅でくるみきな粉をふってある。
 小さい方が粒餡、大きい方がカスタードクリーム。
 
 粒餡の餡は、、、奧さんのコメントを載せておこう^^
「蕎麦ボウロ屋さんからはじめた、ということだけど、京都のもと和菓子屋というのなら、餡くらいちゃんと炊けないと」
 同感。粒餡というより、液状化した漉餡の中に入っている粒餡だった。
 こういう餡が狙いだとしたら、ウチとはまったく好みがあわない、ということだ。
 このわらび餅は、それにしてもシュー皮が、やはり、割合として厚くなる。
 わらび餅と言うより、シュー皮を食べたような感じだ。
 
 シュー皮と言えば、このクレーム・デ・ラ・クレームのシューは、どれも、シュー皮の味が濃い。
 京野菜シューはそれ自体の大きさが小さいので、シュー皮の割合が大きくなる。
 だからどれもクリームよりも、シュー皮を食べたような気になってしまう。
 一般に、シュークリームというのは、クリームを味わうために、その器としてシュー皮に盛るのだから、器の割合が大きく、風味も器の方が強い・濃い、というのでは、いくら器を味わう京料理風とはいっても、ちょっと違う気がする。
 
 ようするに、ウチの好みには合わない、というだけのことなのだが。
 
 さて、もう一つ、シルシルミシルさんデーつながりで、若菜屋 の 焼き栗きんとん を食べてみたw
 
 焼き栗きんとん (塩芳軒の梅鶴 と)
 
 焼き栗以上に焼き栗か? といわれれば、焼き栗以上に口当たりは滑らか、ど~んと重いが、ほっこり品よい焼き栗風味。栗と砂糖と手芒だけで、焼き栗そのものではない食感と風味を作り出している。
 そういう意味で、ちゃんとした和菓子。
 重いところ、そして、表面の焼がちょっと調和を壊している気がするが、そのほかの点では悪くないのでは?
 
 ただ、これを食べるなら、価格ははるが、 老松の栗しぼり を食べたい。
 もっとも 栗しぼりは上生なので、お土産、と言うわけには行かない。
 
 じゃ、京都のお土産として菓子をチョイスするなら何を? という お土産お菓子、というシルシルミシルさんデーの原点に戻ると、だんなんなら何にするか。
 京野菜シュー 今日の白味噌の回では、満月 の 阿闍梨餅と言った。
 これは、シルシルミシルさんデーの路線で選んでみたのだ。
 つまり、風味重視。
 というか、風味だけ。というのが、どうみても シルシルミシルさんデー の路線だろう。そして、一般的に食べ物と言えば、問題なのは、風味、と言うこと。つまり、食べ物を評価する上で第一のものは風味、ということだろう。
 
 しかし、京都の菓子は違う。
 季節感、姿、銘、風味、すくなくともこの四つの要素がほぼ同じ割合で調和していてこそ、いいお菓子、なのだ。
 風味だけをとりあげて、ただ、美味しければいい、というのではない。
 というか、美味しいのは当たり前。その上で、季節感、姿、銘などでいかに楽しませてくれるか。
 そして、食べる方も、いかに楽しめるか。
 だから、京都のお土産の和菓子、といった場合、自然、この京都的な楽しみ方を土産にする、プレゼントする、ということになる。ただ、美味しいだけじゃなくて、季節感・姿・銘を含んだお菓子という歴史に培われた京都文化を贈る、ということになる。
 となれば、そこそこ日持ちがして、季節感があり、姿もかわいくて、イメージを膨らましてくれる銘、そして美味しい、といえば、やはり、上生屋の季節の干菓子だろう。
 
 お菓子は食べ物だから、といって、ただ味だけではない。
 季節感・姿・銘・そして味。
 たかがお菓子でもそういう楽しみ方をするのが京都であり、わかって欲しいのもそこだ。
 ただお菓子が美味しい、ということではないのだ。
 お菓子そのものの風味だけではなく、そういう楽しみ方や、そういう楽しみ方をする生活がある、ということこそをお土産として持ち帰って欲しいのだ。
 そして、そんなことにも思いをはせながら、そのお菓子を楽しみ、味わってくれれば・・・
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2011_11
18
(Fri)00:56
 先日の、クレーム・デ・ラ・クレーム の京野菜シュー。
 今日は、紫ずきん と 万願寺とうがらし
 
 紫ずきん
 緑色のクリーム。
 まあ、枝豆、というか、青い豆の味がする。
 でも、これを食べるくらいなら、紫ずきんの枝豆を食べるなぁ。。。
 
 万願寺とうがらし 
 クリームは、オレンジ色。
 ちょっと意外。
 というのは、万願寺とうがらし、ってあんまり赤いのを食べたことがないので。たいていは、緑のを食べている。
 肉厚のふっくらとした食感、独特の甘みなど、万願寺とうがらしの特徴をクリームで表現するのは無理のようだ。
 辛みがあって、これは美味しい、と思ったが・・・どうやら、添加されている調味料(アミノ酸)のだし味のようだ。
 万願寺とうがらしを食べたような気にはなれなかった。
 やっぱり、これを食べるなら、万願寺とうがらしを食べた方がいいな、と。 
 
 と、あんまりだんなん的には評価はよくない。
 実は、奧さんが買いに行ったときお店の人と話して、おすすめは、別にあるということ。
 そのうち、そのおすすめの方を食べてみたいと思う。
 雪辱を期待して。
 
 とはいえ、まあ、お土産 としてはそれなりに悪くないのでは、とは思う。
 でも、実物をそのまま食べている者からすると、らしくない、物足りない、って感じだ。
 
  
 で、口なおしに、たまたままウチにあった、緑壽庵清水 の 巨峰金平糖 を食べた。
 たまたま、と書いたが、実は、まったくたまたまというわけでもない。
 というのも、この金平糖は、これを食べるなら巨峰そのもののを食べた方がいいな、とは思わないからだ。
 袋をあけると、巨峰の香り。口に含めば、やはり、巨峰の香りと風味。金平糖の甘み。
 巨峰そのものは巨峰そのものとしておいしいとして、一方、この巨峰金平糖はこの巨峰金平糖でいいな、美味しいな、と思うからだ。
 
 つまり、せっかく手間暇かけるのだから、「これはこれでいいな、美味しいな」というお菓子を作らないと、作った甲斐がないんじゃないか、と。
 「お土産だからこれでいい」というのは、言い訳のようにも聞こえる。
 また、「これを食べるくらいなら、もとのものを食べた方がいい」というのは、菓子として完成されていない、ってことじゃないか、とも。
 
 京野菜、っていうのは、京都近辺に住んでればべつに特別なものでもないし、めずらしくもないけど、京都近辺以外の地方ではどうなのだろう?
 一方、巨峰は、それこそ日本中、どこでも出回る季節には出回る。
 そのあたりが、この京野菜シューは、詰めが甘い、というか、甘えている、というか、京都ってところにあぐらをかいている、とでもいうか。。。
 と、今回も、かなりきついコメントm(_ _)m
 (奧さんもほぼ同じ意見)
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2011_11
16
(Wed)22:30
 山里  薯蕷  鶴屋吉信  2011/11/15
  
 山里  鶴屋吉信
 
 久しぶりの上生。
 山里、という銘もあって、なんとなく山里の、しずかな秋の夕暮れの情景を思わせる。
 でも、このがらを見ていると、何となく、定家の、
 
  みわたせば花ももみぢもなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ
 
 が思い浮かんできた。
 
 でも、やっぱり、オレンジ色のところは紅葉なのかな。。。
 
 つややかな白い薯蕷は、ふっくら、もっちり、しっとり。
 饅頭の薯蕷と違って、厚みがあり、その厚みは均一。
 そこがさらに、薯蕷の食感と風味を豊かにしている。
 薯蕷の風味はしっかりしているが、嫌みなところは全然無い。透きとおっているというより、ふっくらとした豊かな風味。
  
 餡は漉し餡で、栗の甘露煮が入っている。ややこりっとした食感を残してある栗。
 
 薯蕷のふっくら、もっちり、しっとりとした食感、どちらかというと透きとおった砂糖の甘みを最初に感じ、栗の後は、餡と栗と薯蕷の風味、食感が口の中でひとつにとけあう。そして、最後に薯蕷の甘みの余韻がほのかに漂う。
 
 薯蕷は、以前の鶴屋吉信のものより、よりしっとり、もっちり、ふっくらしたような気がする。
 今年の薯蕷がそうなのか、それとも、鶴屋吉信がそんなふうに調製しているのか。どうなのかはよくわからないが、以前に比べてより美味しくなったように感じた。
 
 それにしても、上生。
 格付けで、準特急、とか言ってたけど、やっぱり、これは、別格。
 干菓子もいいし、そのほかの和菓子もいいけど、上生は格別。
 姿に花もあり、風味も、干菓子やそのほかの和菓子に比べたら、別物。
 
(ことに、鶴屋吉信の上生の姿にはほんとに華がある。銘も風雅なものもが少なくない。しかも、今時っぽい。でも、ちょっとミーハーっぽい、かも、なんて思うこともあるけど、でもなぁ・・・侘びたりさびたりばっかしてることもないわけだしw それに、一期一会の茶会なんかで出すのならともかく、ウチでふつうに毎日お茶を飲んでると、茶道具は季節ごとくらいしかかわらないし、花もしばらく生けたままのだし、軸もやっぱりしばらくおなじ軸が掛けてあったり・・・。そんななかで、菓子だけがかわる。ことに上生。その日のうちに食べないといけない上生。そんな上生に「今このとき」をよりつよく象徴させる、というものいいんじゃないか、って。しかも、菓子は食べたらほんとになくなっちゃう。「今このとき」だけの美しさ。わび・さびの菓子は鎮め系なのかも知れないが、鶴屋吉信は明らかに高揚系。うきうきする。華がある、っていうのはそういうこと)
 
 目で見てここちよく、耳でも味わい、イメージを膨らまして楽しみ、最後に舌を喜ばせる。
 上生、格付け外、だなぁ。。。
 
 最近、上生をアップしてなくて、なんとなく潤いがなくて、すさんだ感じがしていたけど、、、やっぱり、上生はいい。
 和菓子のなかの和菓子、いやいや、菓子のなかの菓子、だね。 
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2011_11
15
(Tue)21:26
 「シルシルミシルさんデー」というTV番組に、「お菓1 グランプリ」というコーナーがある。
 どんなコーナーかというと、各地の隠れたお土産お菓子を4つほどエントリーして、その中でどれが一番美味しいかを、一般の人100人の投票によって競うのだ。
 先日、11/13は、たまたま京都だった。いつもは一都道府県から1個エントリーされるのだが、菓子激戦区の京都の「京都頂上決戦」というわけで、京都から4個エントリーされた。
 
 どんな菓子が出てくるのだろうか、と思ってみていたら、そこそこに食べる店もエントリーされていた。
 ちなみに、エントリーされていたのは、
 
   鼓月  千寿せんべい
   シェ・アガタ  抹茶のテリーヌ
   若菜屋  焼き栗きんとん
   クレーム・デ・ラ・クレーム  京野菜シュー  京の白味噌
    
 鼓月 の 千寿せんべいは、まあ、よくある洋風のせんべい。とは言っても、確かに、この手のせんべいのなかでは、軽やかな口当たりで、鼓月のこれを真似たようなせんべいが出回っている理由もよくわかる。ただ、買ってまで食べたい、とは思わない。
 
 シェ・アガタ  抹茶のテリーヌ
 抹茶を毎日飲んでるだんなんからすれば、「抹茶入りなんとか」っていうのはほとんど食べないし、食べたいとも思わない。そんなもの食べるくらいなら、抹茶飲んだほうが美味しいよ、って感じで^^
 だから、あまり食指が動かない。
 
 若菜屋は、正月に、栗納豆黒豆納豆、また、最近は入手困難なおたふく納豆(これは珍味系の何とも素敵なお菓子)、そのほかに栗阿弥などを食べているが、この焼き栗きんとんは、まだ食べたことがない。
 テレビで店の人が言っていた、「栗以上に栗らしい」というところが、なかなか和菓子っぽそうだ(というか、和菓子の本質をあらわしているが、この価格でどの程度まで迫れているか、というので食べてみたくなる)。
 
 そして、一番興味を持ったのが、クレーム・デ・ラ・クレーム の 京野菜シュー  京の白味噌
 なぜか。
 まず、なんと言っても、シューのなかに入ってる、生麩。なんと、半兵衛麩粟麩が入っているのだ。ナレーションにあったように半兵衛麩粟麩が「最高級」かどうかは知らないが、とにかく、生麩好きのだんなんには、たまらない。
 また、白味噌のカスタードというのも、興味をそそる。白味噌餡の菓子と言えば、正月の花びら餅などが思い浮かぶが、白味噌入りのカスタードは一体どんなものだろう?
 
 というわけで、クレーム・デ・ラ・クレーム の 京野菜シュー  京の白味噌を、食べてみることにした。
   
 京野菜シュー
 
 実は、この白味噌シューは、京野菜シュー というシリーズのなかの一つで、クレーム・デ・ラ・クレームでは、季節の京野菜でほかにもいろいろなカスタードクリームのシューをつくっている。
(買ってきたのは例のごとく奧さんで、白味噌の他に、万願寺とうがらし と 紫ずきん のを買ってきてくれた)
 
 さて、とりあえず、今回のブログは、京野菜シュー  京の白味噌
 京の白味噌(なかみ)

 ただ、コメントの前に一言断っておきたいのは、人には「和菓子舌」と「洋菓子舌」というもがあるらしい、ということ。そして、だんなんは、「和菓子舌」。
 その「和菓子舌」で味わうと、このシューは、もの足りん。
 確かに、白味噌カスタードと粟麩のコラボは、面白く、興味をそそる。
 でも、生麩は厚みが薄いし、シュー皮が生麩にくっついてせっかくのあの生麩の食感を損なってしまう。
 白味噌カスタードも、花びら餅の白味噌餡を知ってる者からすると、カスタードクリームで薄められた白味噌って感じ。また、白味噌の味よりもベタベタと脂っこいカスタードを強く感じてしまう。そして、やっぱり、甘ったるい後味。
 あるいは、粟麩と白味噌、この二つの取り合わせなら生麩の田楽などで出会う幸せなマリアージュだが、そこにシュー皮やカスタードクリームが割り込むことで、せっかくのマリアージュに水を差している。

 要するに、粟麩だけ食べればもっと美味しいし、白味噌餡のたとえば花びら餅ならもっと白味噌餡を堪能できるし、生麩の田楽ならもっと満足できる・・・といった、物足りなさとフラストレーションが残る。
 
 せめて、粟麩の食感をいかすために、いっそのこと、生麩まんじゅうの餡を、粟麩の皮とこのカスタードクリームの餡にしてみてはどうか、などとも思ったが、それでも、この物足りなさとフラストレーションは解決できなさそうな気もする。
 
 と、言うのが、「和菓子舌」の率直な感想。
 
 一方、「洋菓子舌」の人なら、たぶん、白味噌味のカスタードクリームなんてちょっとめずらしいし、そのカスタードに生麩のもちもちした食感がマッチして、とても美味しい、などとなるのだろう。
 
 また、京都の土産としてどうか、という点では、これはなかなか良いのではないか、とは思う。
 というのは、まず、白味噌カスタードだの生麩だの、京都っぽいもの満載。これだけでも話題にできる。
 その上、粟麩なんてあんまり食べたことのない人への土産にしたら、この食感と風味はちょっとしたサプライズになるかも。
 ただ、粟麩のおいしさを知っている人、白味噌餡のお菓子のおいしさを知っている人、生麩の田楽のおいしさをしっている人からすると、やっぱり、物足りないだろう。

 
 「和菓子舌」 と 「洋菓子舌」 について
 以前、マロンクリームのところでもおなじことを感じた。
 生クリームに薄められた栗。
 今回もおなじ。カスタードクリームに薄められた白味噌。
 そんなふうに感じるのが、「和菓子舌」。
 「洋菓子舌」は、栗の入った生クリーム、白味噌風味のカスタードクリーム、と言ったふうに感じる。
 要は、おなじものを味わっているのだが、その味わい方のベクトルが逆を向いている。
 引き算の和菓子と、足し算の洋菓子。
 和菓子の場合、たとえば栗餡というのは栗だけではなく、白餡も混ぜるものもある。ただ、混ぜた上で目指すのは、「栗以上に栗らいしい栗の味」。白餡を混ぜることで、「栗風味の白餡」をつくるのではない。
 洋菓子の場合、生クリームに栗を混ぜてもやっぱり、生クリーム。栗味の生クリーム。どこまでいっても生クリーム。生クリームに栗の風味をトッピング。
 そういう「栗餡」を味わっている「和菓子舌」には、マロンクリームは、「生クリームに薄められた栗」に感じてしまうのだ。


* ちなみに、「お菓子1グランプリ」 の結果は、
 
 優勝  31票  クレーム・デ・ラ・クレーム  京野菜シュー  京の白味噌
  2位  30票  シェ・アガタ  抹茶のテリーヌ
  3位  22票  若菜屋  焼き栗きんとん
  4位  17票  鼓月  千寿せんべい
 
 ちなみに、このくらいの価格の京都のお土産、というなら、だんなんなら・・・
 満月 の 阿闍梨餅(一個100円)を推すなぁ。。。
 餅米をベースに卵などを練り込んだもちもちとした皮の食感。
 そして、丹波大納言の粒餡。
 この二つの調和。
 千日回峰修業を行なう阿闍梨がかぶる網代笠を象った、姿。厳しい修行中に餅を食べて飢えをしのいだことからの命名(ほんと、この阿闍梨餅、小さいけど一個食べると結構お腹がふくれて、元気が出てくる)。
 創業安政三年と、歴史もある。
 等々、たんなるスイーツというのではなく、京都の和菓子として、この価格で、しっかりと最低限の条件を備えているので。
  
 
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2011_11
13
(Sun)22:35
 久々にいちま。
 
 10月
 10月
 
 もみじの単衣。
 帯は、10/22に塩芳軒に行ったとき、途中で通りかかった 戻橋 というアンティークショップで買った。
 いつものとおり、三尺帯。
 こういう、えび茶色の帯はなかなか見かけないので、思わず手が出てしまった。
 
 10月の前半は、帯は紺。着物の柄がもみじで、帯を水と見立てて、龍田の錦、とかねw
 この単衣は奧さんが縫った。
 衿と袖からのぞいているダテのかさね、が実は水色の絞りを使っている。つまり、龍田の錦。
 
 このえび茶の帯は後半に締めた。
 堰き止めていたもみじの色がもっと深くなった、という風情で。
 
 11月
 11月
 
 10月があたたかかったので、なかなか袷という感じではなかったが、いきなり冷え込んだので、着替えさせた。
 真朱の袷。
 この帯も、10/22におなじ店で購入。
 これは、ニットのベレーの色に合わせて。
 匂い袋も、新調。というか、単に新しいのに取り替えただけ。匂い袋、というか、たが袖という防虫香。松栄堂の。
 
 で、今、縫い縫い中の手描き友禅の袷
 今日、衿をつけた。
 袷
 
 ま、細かいところはいろいろとアレだけど、着せる段には、たぶん問題ない^^
 これは、かなり、かわいいおべべになる。
 かわいくて、上品で、どこへお出かけするんや? みたいな感じ。
 
 あとは、腰あげ、袖付け、肩あげ、だけ。。。
 と、書けば三つの単語ですむが、これが、なかなか・・・。
(というか、裁断から手抜きはできない)
 
 今日の衿つけも、6時間ぐらいかかった。
 小さいから、人間に比べて、縫う距離は短い。
 とはいえ、人間の着物とおなじことをするから、手間はおなじ。
 細かいから、かえってやりにくいところもある。
 

 
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2011_11
10
(Thu)21:44
 また、Bellissima
 昨日、この映画は、ドニゼッティのオペラ「愛の妙薬」の曲をうまく使っている、という事を書いたけど、今日、またまた「愛の妙薬」を聞いていたら、もっといろいろと面白いことに気づいた(ま、僕だけの思い込みかもしれんけどw)。
 
 というのは、曲をうまく使っているだけではなくて、もう、ほとんど登場人物なんかを下敷きにしている、って。
 Bellissima の主人公であるお母さん マッダレーナ は、「愛の妙薬」の ネモリーノ そのもの。
 マリア は、 アディーナ。
 ベルコーレ は、マッダレーナの夫の スパルタコ。ラスト近くで、家の頭金にするはずだった貯金をつかってしまったマッダレーナを許す、心優し夫は、まさに、結婚の約束を破ってネモリーノを選ぶアディーナを許す、ベルコーレそのもの。
 そして、「愛の妙薬」に詐欺師ドゥルカマーラが出てくるように、Bellissima にも詐欺を働くアンノバッティなんてのも登場する。そう、関係者に根回しするともちかけて家の頭金をまんまとだまし取って、バイクを買ってしまう。
 
 でも、Bellissima は、逆戻りしていく。
 「愛の妙薬」は、最後は、ネモリーノのことをアディーナが受け入れる。ただの愚か者じゃない、ネモリーノのその愚かさは自分への愛ゆえ、と気づき、ハッピーエンド。
  Bellissima は、この愚かさからはじまる。というか、親ばかさを描いていくわけだが、マッダレーナは自分の親ばかな愛情を娘のためだと思い込んでいるところから、はじまる。だから、マリアも自分のことを好きだろうと、たぶんそんなふうに思い込んでいるところからはじまる。ところが、それが、ラストで、孤独になる。というか、マリアに自分の思いは伝わらないまま、映画は終わる。だから、「Quant e bella,quant e cara!」となる・・・。
 映画の始まりが、ジャンネッタのあの曲、で、時間が逆戻りして、、「Quant e bella,quant e cara!」。
 だから、マッダレーナは夫と仲なおりする。つまり、「愛の妙薬」では、アディーナとベルコーレは結婚式のであげるのだから。
 だから、もしかすると、Bellissima は、一見喜劇を装った悲劇、かも。

 
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2011_11
09
(Wed)22:19
 BSでやってた、ヴィスコンティの映画。
 1951年。
 
 で、Bellissima と聞いて、何を思ったか、というと、ドニゼッティの「愛の妙薬」の一場面。
 ネモリーノが、ドットーレから「愛の妙薬」(じつは、ただの安ボルドー)をやっと手に入れて、酔っ払っていい気分で出てくるあの場面。
 手に入れたとはいっても、実は、恋敵のベルコーレ軍曹の率いる軍隊に入隊することで得た金で買った妙薬。
 それを飲んで、いい気分で現れる。
 そこで「E Bellissima!」(E のうえに チョボがある) と歌うところがあって、ベリッシマ という音がリンクしたってわけ。
 
(Bellissima は、belloe の絶対最上級。映画の中では、「美少女コンテスト」とも掛けてある。「もっとも美しい女性」という意味だと、ネットの映画解説には説明してある。たぶん、主人公である母親((マッダレーナ))のことを言っているのだろう。が、どうもそれだけじゃないと、思ったり)
 
 で、映画を見始めると、のっけから、「愛の妙薬」の曲が。
 「美少女コンテスト」出場者募集のラジオ放送で流されているのだ。
 「ネモリーノの叔父さんが死んで、遺産が転がり込んでくる、で、今やネモリーノは村一番の金持ち、村の名士」とジャンネッタが村娘たちに言いふらす、あの曲だ。
 さっきの「E Bellissima!」 につながる、直前の場面になる。
 
 そうすると、やっぱり、ネモリーノの「E Bellissima!」 がどうしても思い浮かんで、映画のタイトル、また、「美少女コンテスト」ともかさなってくる。
 
 それだけでなく、随所に「愛の妙薬」の曲が、多くは変奏されてだが、BGMで使われている。
 とくに、ネモリーノのアリア、第一幕のっけのあの「Quant e bella,quant e cara!」。
 これは、ネモリーノが片思いしているアディーナを遠くに見て、「なんて、綺麗でかわいい人だ・・・」とため息混じりに恋い焦がれている歌。
 要するに、大切な人を想う歌。
 
 その曲が、この映画でもここぞというところに使われていて、、、泣けてくる。。。
 歌詞も映画の内容とリンクするところがあったり。
 
 映画は、どんな内容かというと、イタリアの下町の、教養もない、あまり裕福ともいえないウチの母親(マッダレーナ)が、五歳の娘(マリア)を「美少女コンテスト」に優勝させて、女優にしよう、と奮闘するって感じ。
 今で言う、ステージ・ママってやつの卵ママですか。
 で、いろいろあって、最終選考のフィルムテストまで進む。
 フィルムを見るのは関係者だけというのを無理を言って見せてもらうまではいいが、そこで、娘がスタッフの笑いものにされてる。
 自分にとって一番かわいい、一番大切な娘が・・・。
 マッダレーナにとっては、娘のマリアこそが、何があっても、Bellissima なんだよね・・・。
 そのあたりで、この「Quant e bella,quant e cara!」が流れていたような・・・。
 
 いや、ラスト。
 娘が眠っているところ、ここで使われていた。
 
 この「Quant e bella,quant e cara!」、ちょっと日本語にすると・・・(音楽の友社のテノールⅠ 参照しながら)
 
 なんてかわいい、綺麗な人!
 見れば見るほど、好きになる。
 でも、彼女はほんのちょっとでもこっちを向いてさえくれない。
 彼女は、本を読んで勉強し、自分のものにして、知らない事なんて何もないくらいだ。
 それに比べて、僕ときたら、ほんとうに愚か者で、ため息をついているくらいが関の山。
 なんてかわいい、綺麗な人! ・・・
 
 と、「愛の妙薬」のネモリーノの立場での訳。
 
 でも、これ、「僕」を「私」、つまり、映画のマッダレーナにすれば、まさに、マッダレーナの気持ちそのまま。
 娘を女優にするために、演技の勉強だの、バレエだのを習わせたりもしたわけだし。
 
 「こんなにあなたのことを思っていろいろしてるのに、あなたときたら親の気持ちなんかぜんぜんわかってくれない」
 と、ちょっと綺麗な言葉で書いたけど、これって、よ~く親に言われた言葉だなぁw
 「親の心、子不知」ってやつw
 
 それを、イタリア映画らしく、ドニゼッティの「愛の妙薬」を下敷きにして、、、さすがは、ヴィスコンティ!ってねw
 しかも、「愛の妙薬」とおなじく、喜劇。
 
 マッダレーナにとって娘のマリアが Bellissima だったように、ヴィスコンティにとってはこのマッダレーナが、Bellissima なんだろうね。
 
 で、結局、監督が気に入って映画会社の者が契約のために家にやってくる。
 マリアは疲れて、マッダレーナに抱かれて眠っている。
 マッダレーナは契約を断る。もう、これ以上、自分の一番大切な娘を笑いものなんかにしたくないのだ。
 で、マリアをベッドに寝かせるのだが、ここで、「Quant e bella,quant e cara!」がそのまま流れる。
 
 マッダレーナは、マリアのためと思って女優にしようといろいろとしてきたわけだが、果たしてそれはどうだったのか?
 それに、ここでこの曲が流れることからすると、マッダレーナは娘のことを理解したわけではないし、たぶん、これからも理解することなんてできないだろう。
 かたわらからマリアを見つめて、マリアのことを思って、ただ、ため息をついているだけ。
 でも、所詮、親が子を理解するなんて、子が親を理解するなんて、無理な話、とここでここの曲をながすヴィスコンティは、そんな冷めた認識をしているような。
 でも、それでいいんじゃないか? と。
 わからないままに、わかってもらえないままに、なんてかわいいって切ない気持ちで、かたわらで見つめて、何もできないで、ただため息をついている、親だのなんだのえらそうにいっても、結局、それでいいんじゃないか、と。
 そして、それが、なににもまして深い愛情なのじゃないか、と。
 
 そんな映画に思えたわけ。。。
 
 
 それにしても、ヴィスコンティの音楽の使い方、「ヴェニスに死す」でも「ルードヴィヒ」でもおなじ。 
 
 
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2011_11
05
(Sat)19:39
 麦代餅(むぎてもち)3級)の 中村軒
 11/2から京都大丸で出店していて、そこで購入した、栗きんつば
 
 四角かったのを三角に四つ切りして、奧さんの希望で、亀屋友永松露・大納言2級)と。
 
中村軒 栗きんつば (もりつけ だんなんw)
 
 で、楢山 と奧さんが命名(笑
 栗きんつばが黄色く色づき始めた山で、大納言が雲。
 
 栗きんつばは、口当たりは栗だが、味は甘すぎて栗と言うよりさつまいものよう。。。
 他にも、中村軒のは、きんつば、そして栗餡ころを食べてみたが、どれも、格付け認定には至らず。
 中村軒 栗餡ころ 中村軒  栗餡ころ
 
 麦代餅(むぎてもち)3級)には、来歴があり、風味もいかにも鄙びた田舎を思わせるものがあり、楽しめるが、今回の三品はどれもいまいちだった。 
 
 
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