2013_02
27
(Wed)23:50
 NFLの公式ボール。
 なーんか、実は、気になる・・・
 
 
 
 このアングルから見ると、なーんか・・・
 先が、くちびる に見えて仕方ない。
 
 爬虫類か、何かの、口先に見えて仕方ない。
 
 もともと革だし・・・
 革の表面に、人工的に、ぶつぶつがつけてあるわけだけど・・・
 なーんか、鱗っぽく見えて仕方ない。
 
 奥さんは、ぜんぜん、そんなふうに見えない、って言い張ってるが・・・
 
 
 
 こうして、目をつけてみると・・・
 おおっ ルイスじゃん!
 
 て・・・ルイスって・・・
 
 ルイス、ってのは、もちろん、勝手につけた名前だけど・・・
(今期引退した、レイブンズの レイ・ルイス から?w)
 今は、ボールの振りしてるだけ。
 
 それにしても、ここまで来ると、ほとんど、シュヴァンクマイエルの世界?
 
 レース(白い革紐で縫いあわせてあるところ)がある方が、背中に見えるけど・・・
 
 
 
 腹側に目をつけてみたり・・・
 
 今はボールの振りしてるけど、いつか、絶対、シュヴァンクマイエルのあいつらみたいに、動き出すに違いない・・・
 
(奥さん、シュヴァンクマイエルの『アリス』好きなのに、どうして、ルイスがただのボールに見えてしまうのだろう・・・ 謎) 
 
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2013_02
23
(Sat)22:01
三葉 という名前は、同志社マーク(校章)からの命名(だろう)。
(鱗模様が三枚、「知、徳、体」の同志社の教育理念をあらわしている)
 

 
袋の能書き
    このお菓子は、同志社大学経済学部「Wagashi in life プロジェクト」と
「京菓子司 俵屋吉富」が同校をイメージして共同開発した期間・販路限定商品です。
      カステラ製法を用い、しっとりと焼き上げた生地にやわらかな
        大納言小豆を散らし入れたマドレーヌ風焼き菓子です。
 
 さて、中身は・・・
 
 
 確かに、生地はカステラ風。しっとり。
 甘く煮た大納言小豆が数粒はいっている。
 この大納言は、とても美味しい。
 ただ、カステラ風の生地に、この小豆・・・。
 美味しいことは美味しいが、「俵屋吉富」という名前を出す以上、この程度では、と。
 
 それに、マドレーヌ(同志社?)と大納言小豆(俵屋)というコラボも、安易。
 入れるなら、やっぱり、葡萄では?
 葡萄を和風に仕上げたものを入れる、くらいはして欲しかった。
 
 葡萄はワインの原料だし、ワインはキリストの血。マドレーヌを肉であるパンと見立てる。
 と、そのくらいのことはして欲しい。
 もっとも、同志社はミッションスクールではないので、こだわりすぎる必要もないが。
 
 また、風味的にも、葡萄の酸味が入ることで、もっと美味しくなるだろう。
 でも、レーズンではダメで、葡萄を和風に仕立てたお菓子にする。
 そこが、俵屋の腕の見せ所、となるはず。
 ただ、俵屋の看板商品は餡を中心とした小豆もの。
 なので、ちょっとどうかな? とも。
 もし、そうしたいなら、木の実を使うのが上手な老松とコラボするのがいいかもしれない。
 でも、位置的に、俵屋は同志社大のすぐ近くにあるので、やっぱり、俵屋しかないだろう。
 
 確かに、普通のマドレーヌに比べれば、それなりに美味しい。
 ただ、俵屋というブランドからすれば、?
 カステラ風、というところに注目しても、このマドレーヌを食べるより、ストレートに大極殿のカステラを選ぶ。
 また、大納言小豆を堪能したいなら、俵屋のもなか(特に、本店のもなか)を食う。
 俵屋の菓子としては、個性もない。
 
 59点。
 不可。
 
 
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2013_02
23
(Sat)03:33
 10日の義叔母のお茶会・旧西尾家のあと、お腹が減ったので、何か食べよう、と京都のポルタへ。
 たまたま、ポルタのギャラリー華で・・・
 
 
 
 佐々木虚室 襲名展 というのをやっていたので、ふらっと、寄ってみることに。。。
 
 佐々木虚室さんは、亀岡の茶碗師。
 元は、京都の清水で窯をやっていた家らしい。 詳しくは→ 帰来窯HP
 
 亀岡の茶碗師の佐々木さんといえば、ぽちぽちと聞いたことがある。
 が、虚室という名前ははじめて。
 
 黒楽、赤楽を中心に、茶碗などが展示してあった。
 
 その中でも目を惹いたのが、「淡赤茶碗」。
 「たんあかちゃわん」と読むとのこと(どう読んでくれてもいいけど、一応、そんなふうに、という感じ)。
 
 土は赤楽の土。
 そこに桜色の化粧土をして、備長炭をつかって窯変させる。
 すると、窯変部分が白くなる、とのこと。
 
 「淡赤茶碗」は、四碗展示されていた。
 光悦の乙御前(おとごぜ)を彷彿とさせる茶碗、平茶碗、いわゆる楽茶碗っぽい姿のが二碗。
 そのなかで、乙御前、平茶碗、楽風一碗はすでに売約済み。
 
 残っていた一碗。
 へら使いが特徴的な、窯変がかなりおおい白っぽい茶碗。
 ピンク色の部分は、いちまの肌のような色。
 かなり、かわいい。
 そういえば、ウチには、かわいい茶碗、ってないよな。
 というわけで、さんざん迷ったが、その日はそのまま帰った。
 
 その後、三日くらい、「今頃の季節に、ちょうどいいな」と気になっていた。
 色、雰囲気、楽の土のあたたかさ、などが。
 
 それで、とうとう、奥さんとも相談して買うことに。
 13日に奥さんにギャラリーへ行ってもらい、15日にひきとってきてもらった。
 (展覧会は、2/5~2/17までだったので)
 
 で、翌日、16日に、ゆる茶で。 
 16日は、ちょうど雪も降ってきて・・・
 
 
 
 
 虚室さんが、一応正面はこのへんのつもりで焼きました、という方向から。
 穏やかで、すっきりしている。
 
 へら目が、左から右へとねじれるように。
 口辺まわりにも、へら目が、現れたり消えたり。
 
 
 その裏。
 この茶碗で、もっとも荒々しい面。
 化粧土に入(ヒビ)があり、そのヒビや釉薬が備長炭の煤を吸って、焦げたようになっている。
 
 
 高台まわり。
 高台は土見になってる。
 へら目はやや荒々しい。
 高台ないに、「虚室」の印。
 
 写真撮るので、ちょっと、片手で、品もなく・・・
 大きさは、このくらい、という感じ。
 
 使う前に、ゆるま湯に浸し、その後、熱い湯をかけて、ふきんで拭く。
 すると土に湯が染みて、肌がつやつやしく。
 とくに高台まわりは、みずみずしくさえ。
 
 
 
 見込みにも、窯変が、ほのかに、散らばっている。
 茶だまりも、全体的に、ほんのりと窯変。
  
 湯がしみこんで、あたたかく、ややずっしりと、肌は手に吸いつくよう。
 柔らかく、厚みのある手応え。
 
 2月頃に、春を先取りして感じさせてくれる茶碗。
 色、艶、見た目は春っぽく、手取りは厚めであたたかく、柔らかく、冷えた手を温めてくれる。
 はじめは、見た目がおとなしくてちょっと物足りないかな、と感じたが、使うほどに、手触り、色、姿など、心にしみこんでくる。
 
 銘は、どうしよう? と奥さんと。 
 「風花 と書いて、ふうか」って感じ、と僕。
 
   花さそふあらしの庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり 
 
 入道前太政大臣(にゅうどうさきのだいじょうだいじん・藤原公経)の歌をなんとなく、思いうかべて。。。
 最近、なんとなく、そういう類の感慨に浸る、だんなん・・・
 
  
 さて、虚室さん、帰来窯というのも、ちょっと心に響く。
 
 八方去求道
 渺々困多蹊
 帰来坐虚室
 夕陽在吾西

 八方ゆきて道を求む
 渺々として多蹊にこうず
 帰り来て虚室に坐すれば
 夕陽わが西にあり
 
    宋 黄山谷

 (DMにあるのは、この漢詩の3、4行めのよう)
  
 苦労して八方に道を求めても得られず、疲れ果てて家に帰り、虚室に坐すと、そこに道があった、というような意味かな、と。
 なんとなく、「忘筅」に通じるような。
 「虚室」とは、『荘子』の「人間世」にも、
 
 ・・・有知を以て知る者を聞くも、未だ無知を以て知る者を聞かざるなり。
    彼(か)の闋(けつ=空)を瞻(み)る者は、虚室に白を生じ、吉祥も止まるところに止まる。云々
 
 と、孔子が顔回に道を諭す言葉として出てくる。
 もちろん、孔子がそんなことを言ったというのではなく、儒家とは反対の立場に立つ道家の『荘子』のパロディなんだけど。
 
 「知を以て知る者のことは聞くが、無知を以て知る者のことを聞かない」とは、まったく、『荘子』っぽい言葉そのものだけど、禅もそこにつながるわけで、当然、「茶禅一味」といわれる茶の湯も、そこに行き着く。
 「そのような無知によって空虚を見ることで、虚室(空虚な心)に光がさし、吉祥もその心に止まる」というわけだけど、なんか何を言っているのか、わかったような、わからないような、言葉(笑
 ほんと、『荘子』らしい。
 空虚な心、こだわりのない心で、空虚をみることによって、悟りが得られる、と。
 うーん、でも、そもそも、こだわりのない心で空虚を見ること、が、すでに悟った者だけができることでは?
 
 「知を以て知る」のもうひとつ先に進んだかたちが、「無知を以て知る」。
 もちろん、「知を以て知る」のは儒家で、それよりもさらに上をいくのが、「無知を以て知る」と『荘子』はいいたいわけ。
 禅の悟りも、そんなところだと思うけど。
 こういう、自己矛盾した、アンビバレンツな言葉には、でも、とても魅力を感じる。

 中島敦の『名人伝』はこの世界。
 弓の名手紀昌が「不射の射」を体得し、さらには、「弓」とは何だったかさえ忘れて、執着を去る。
 うーん、別の見方をすれば、アルツの世界。
 本人に不安などさえなければ、アルツは天然・自然な悟りとも言えるわけだ。
 ただ、悟りというのは、アルツになってからではなく、「知を以て知る」ことができる段階で、「無知を以て知る」ことを会得するからこそ、悟りなわけだけど。
 
 ま、どうでもいいが、この「風花」で茶を飲むたびに、どっかで、「無知を以て知る」とはどういうことかと、なんとなく、心にこひっかかっていたり、思いを巡らせたり……
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2013_02
22
(Fri)00:00
 去年、年末に、BSプレミアムで5夜連続で放映していた、「華麗なるオペラの世界・ミラノ・スカラ座」。
 知らなくて、気がついたのが「シモン・ボッカネグラ」の途中から。。。
 
 で、一昨日、昨日、今夜とワーグナーの「ジークフリート」を観た。
 なんせ四時間以上もあるので、一日一幕ずつ(笑
 
 演出、舞台装置、すごくよかった。
 CG使って。
 衣装も面白い。
 この演出、舞台装置のお陰で、第一幕は退屈せずにすんだ。
 いや、それだではなく、ミーメとジークフリートの葛藤がよくできていた。
 そして、ジークフリートが
 とはいえ、前奏曲はやっぱり、冗長。
 
 冒頭のミーメが金床で剣を鍛えているシーン、ヴェルディの『トロヴァトーレ』の第二幕、ジプシーのシーンを連想した。
 また、ラストのジークフリートが剣を鍛えているシーン、舞台装置もあってか、ヘルツォークの『フィッツカラルド』で、スクリュー鋳造のシーンが思い浮かんだ。
 
  
 で、二幕め。は……やっぱり、ワーグナー。冗長なんだよなぁ~。
 葦笛なんか、わざわざ吹かなくていいんだって。
 だいたい、深い森の中に葦が生えてるのか・・・?
 いきなり角笛でいいんじゃないか?
 大蛇退治してからも、何か、長い。音楽全体をもうすこし、シャキッとぎゅっと、凝縮して欲しい。
 大蛇そのものと、大蛇退治のシーンは、CGと布を使った演出がとてもよかった。
 森の木々も金属をつないだようなものにCGや光を当てて、とても面白かった。
 
 ワーグナーの冗長さ、って、なんか、なあ……こういうとなんだけど、ワーグナーがちょっとホウケ者だったんじゃないか、と思えてきたり。
 
 三幕もよかった。
 ただ、ジークフリートとブリュンヒルデの愛のデュエット、なんか、言ってることが唐突だったり、チクハグっぽくて、?な感じ。
 このシーンは、プッチーニの『トゥーランドット』の三幕、カラフとトゥーランドットの愛のデュエットを思い浮かべた。
 それから、『ジークフリート』ではオーボエなど木管が多用されている感じがする。
 プッチーニは
かなりワーグナーの影響が濃そうだけど、特に、『ボエーム』のロドルフォのアリア、「冷たい手を」の出だしの印象的なオーボエが思い浮かんだ。ヴェルディとか、あんまのオーボエとか、印象的でない。
 
 
 老人と若者と剣。
 ミーメも老人だし、さすらい人(ウォータン)も老人。
 ジークフリートは向こう見ずな、恐れを知らない若者。
 ミーメに鍛錬できなかった名剣ノートゥングを鍛え直す。
 また、ブリュンヒルデのところへ行こうとするのを阻止しようとするさすらい人の槍を、ジークフリートのノートゥクンが打ち砕く。
 そして、岩山の上で眠っているブリュンヒルデの鎧をノートゥンクが解く。
 こういうシーンを見ていると、ノートゥンクについて、フロイト的な解釈をしたくなってくる。
 というか、きっと、暗示している。
 ブリュンヒルデの鎧は処女性の象徴だろうし、その鎧を解くわけだから。
 こういう象徴性も、ワーグナーの舞台がエロチックな所以だろう。
 イタリアオペラでは、こういう暗喩は全くない気がする。
 思わせぶりだから、より、エロチックになる、という寸法だろう。
 
 それにしても、ドイツ人は寝るのが好きなのか? とも思えてくる。
 大蛇のファフナーも寝ているし、エルダも眠っている。
 どちらも、眠りを覚まされるわけだけど。
 
 なかなかよかったので、おなじ指揮者、配役、スタッフで『指環』全曲を観たくなった。
 あんまり、ワーグナーは好きじゃないけど。
 
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2013_02
19
(Tue)22:31
 母屋などの次は、路地へ。
 
 
 ここの路地には、灯籠がたくさん。
 路地に入ったすぐの灯籠。
 
 入り口入ったところから、いかにも、藪内風。
 
 
 母屋。
 1で、障子に陽が入っていたところを、外から。
 おっきな手水。
 
 お付きの人が、手前の石の上に立って、柄杓で水を掬っていたのでは?
 
 
 別のところから、母屋と。
 
 
 
 
 それにしても、ほんと、藪内風な植栽。
 
  
 
 茶室『雲脚』写しの手水。
 
 
 積翠庵(燕庵写し)
 
 
 その手水。
 奇妙な、灯籠?
 火ぶくろがなく、土に埋まっている。
 でも、手水の左右に平らな石があるところを見ると、その石の上に灯りを置いたんだろうな、と。
 
 灯籠が多いのも、すでに、明治に入ってからの庭なので、昔のように暗いのがイヤだったのかも。
 明るいのが、もてなし、って感じで。
 
                              おわり
 
  
  家紋入りの鬼瓦 
 
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2013_02
16
(Sat)21:43
 義叔母の梅のお茶会の後、勧められた、旧西尾家住宅へ。
 この家は、仙洞御所の御料地の庄屋だった家。
 今の住宅は、明治中期から昭和初期にかけて建築・整備されたもの。
 
 
 表門
 
 
 計量(はかり)部屋にある、ジオラマ。
 はかり部屋は年貢の米を量ったり、検査したところ。
 はかり部屋から直接、年貢専用の米倉へとつながっていた。
 
 
 水屋。
 母屋に、3,4室の茶室があったような。。。
 牡丹と百合の戸棚が気に入った。
 
 
 釘隠。
 おっ、なんとなく、桂離宮風?
 
 
 廊下にさした日射しが、書院の障子に影を落とす。
 
 
 母屋 書院の客間
 釣り鐘のかたちをした時計が掛かっていた。
 以前は、ちゃんと、鳴ったらしい。
 面白い物をつくるね、むかしの人は。
 
 
 西尾家の家紋・三階菱が入った提灯。
 揚羽は女性用、だとか。
 
 
 長押の上の子壁の四角い穴。
 ここに提灯を入れて、照明にした。
 桔梗の釘隠。
 
 
 廊下にレトロな電話が。
 吹田で、初めての電話だということ。
 だから、番号は、「0001」番w(今でも、「0001」)
 2番がどこそこで、3番が、吹田市役所、だって。
 うーん、役所より、すごい家だったわけだ。
 
 
 キッチンに、配電盤。
 これも、レトロ。
 
 
 客間である書院とはうってかわって、質素な家族の居室。
 まあ、質素と言っても、ウチの家に比べればとても贅沢なわけだけど・・・。
 
 手前に、貴志康一の写真や功績、略年表などが展示されているのは、ここ西尾家のお嬢さんが貴志康一のお母さんだから。
 貴志康一はこの部屋で生まれた。
 でも、貴志康一、ってだれ?
 すいません、よく知らなくて・・・ なんでも、作曲家、ヴァイオリニスト、らしい。
 
 そ、それにしても・・・後ろの箪笥の上に・・・
 ガイドさんに特別に許可を頂いて、、、
 
 おおっ!!!
 
 
 だんなんのケータイのなかに入っていたいちまが、ケータイから飛び出し、いきなり、話はじめた・・・
 
 いちま 「こんにちは はじめまして」
 西尾さん 「こんにちは はじめまして」
 いちま 「・・・いちまといいます。よろしくね」
 西尾さん 「こちらこそ、西尾・・・といいます、よろしくね」
 
 と、早速意気投合して仲良くなる二人。
 なにやら十分ほど話をしていた。
 
 いちま曰く、「西尾さん、かわいそお。ここに、ずっと、ひとりぼっちで。。。そのうえ、見学に来る子どもたちに、『こわい』とか『きもちわるい』とか言われて。おとうさん、なんとかしてあげてよぉ」
 うーーむ、どうしたらいいんだろう?
 
 とりあえず、髪をとかしてもらう。今、アフロみたいにぼさぼさなのでひどい顔に見えるけど、髪をといたら、とても上品でかわいくなるに違いない。
 あとは、「人形虐待だ」とか言って、何とかするように、吹田市役所にメールでもするか。。。
 
 それにしても、ほんと、いちまの言うとおり、かわいそう。
 こんなぼさぼさの髪で、人前に。
 夜はひとりぼっち。
 あんな大きなお屋敷に住んでるのに・・・
 
 というわけで、いちまも、早速、おうちに招待。
 本体を抜け出した西尾さん、いちまといっしょに、ウチに来た。というか、その夜、だんなんが寝ていると、夢うつつともつかない状態の時に、いちまがやってきて、西尾さんも一緒、って。見ると、確かに、西尾さんも。
 で、翌々日、西尾さんもいっしょに、お茶を。
 お菓子を食べ、お茶を飲み、お茶が終わると、西尾さんはさみしそうに帰っていったのだった。。。
 
 お友達ができたいちまはルン♪
 でも、西尾さんのことを思うと、浮かない気分。
 「おとうさん、西尾さん、また、ウチに呼んでもいい? 一緒に、お茶とお菓子を頂くの~」
 
 「いいよ~、いちま、いつでもよんどいで・・・」
 (あんな大きなお屋敷の子だからなにか福徳のおこぼれがあるのでは・・・と密かに計算高いだんなんであった・・・)
 
                            つづく・・・
   
 
 
 
 
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2013_02
15
(Fri)23:57
 お菓子もはこびこまれて・・・
  
 
 
 
 
 主菓子  ことほぎ  きんとん  高砂製    種 黒粒餡
  そぼろは、白餡。

 干菓子  越の雪  松葉   大和屋製
  大和屋は、新潟の長岡のお店。
  越の雪、はここの銘菓。 詳しくは、お店のHPへ → 越の雪本舗大和屋HP
 
 新年に雪が降ると、豊作の兆しとか(雪で害虫が退治できる)。それで、干菓子を越の雪にしたのだそうだ。
 口溶けが鄙びていて(だんなん)、米粉の味が感じよかった(奥さん)。
 ちょっと砂糖が甘かった・・・(だんなん)
 
 うーん・・・菓子については、普段に、京都のいいものを食べ過ぎだよな。。。
 
 お菓子の後は、お茶・・・
 だけど、お茶の点った茶碗が撮れなくて・・・
 飲んだ後のを^^
 
 
 
  ぶれちゃった・・・
 
 
 
 
 この二碗が、主茶碗。
 十三代 惺入(せいにゅう、1887年(明治20)~1944年(昭和19))の
  北野天神千廿五年記念の松竹梅 ふたつ入り
 
 赤茶碗が 松。
 で、もうひとつのあおい釉薬の茶碗に、梅。
 じゃ、竹は?
 実は、梅の裏に……
 写し忘れた……
 
 よく焼き締まった茶碗だったなぁ。。。
 
 絵付けの茶碗、ってあんまり好きじゃないけど、この梅はとてもいい感じ。
 すごく気に入っちゃった。
 竹の絵もよかった。けど、撮り忘れた……
 
  ピンボケ
 
 
 替え茶碗 乾山写し 雪竹  永楽
 
 会記にはなかったけど、もうひと碗
 
 
 
 
 こっちの梅の方が、いかにも乾山写し、だった。
 
 
 「もう一回おいで」と義叔母が誘ってくれたので、次の二席は待合でうだうだして、二回目も。
 菓子も二回食べて、お茶も全部で四服も頂いてしまった。
 
 それにしても、今回は、その筋の人が多かった。
 主客にその筋の人がなると、義叔母もやりやすいようだ。
 素人さんだと、いろいろと、作法を説明しないといけないので。
 
 二回目の席が終わって暇乞いをすると、「ここへ行ってみる?」と、あるチラシをもらった。
 旧西尾家住宅。
 歩いて、20分ほどのところにあるということ。
 
 ついでなので、ふら~と、行ってみた。。。
 
                       梅のお茶会 おわり
 
  
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2013_02
13
(Wed)01:02
 いよいよ席入り。
 
 
 
 と、この画像は、実は、終わったところ・・・。
 
 掛け軸。
 うっかりしてたけど、待合、本席、ともに、以前のお雛様の茶会のものとおなじだった。
 
 
 
 花 ロウバイと紅白の椿。ロウバイは、鳥取の大山からのものとか。このあたりでは、もう、花が咲いてしまっているので。
 会記には、紅白梅とあったけど・・・ちょっと勘違い、かな?
 
 
 香合
 この香合も、とても、よかった。。。
 
 
 釜
 
 炉縁はなんだったんだろう?
 春慶か何か?
 
 釜は、とても肌がよかった。
 肩に霰があり、龍と波の紋が入っている。
 
 
 
 
 
 それにしても、この釜。
 義叔母が、なんとなく控えめに話をしていたが・・・。
 何か、縁があって、すっと、私のところに来た、と、そんなことをさらりと語っただけだったが・・・。
 
 「天猫」というのがなんかひっかかり、今、ブログかきながら、『茶器とその扱い』(佐々木三昧)で、ちょっと釜のところを見てみた。
 そしたら……
  
 なんか、思いもよらない釜、だった・・・。
 
 そう、よくよく見ると、なんとも、蓋が不自然。
 どう見ても、後で、新しく補った蓋。
 
 しかも、会記。
 よく見ると、大西清右衞門「箱」となっている。
 「造」じゃなくて・・・。
 大西清右衞門といえば、寛文(17世紀)の頃からつづく、京の釜師。
 だから、清右衞門と見て、勝手に、「造」と思ってしまっていた。
 ところが、「箱書」が、清右衞門さん。
 つまり、釜の専門家がこれは「天猫」釜だと、保証した、ということ。
 (「天猫」は、「テンミョウ」と読む)
 
 そうか、それで、この肌合いの何ともいえない、良さ。
 どこか、新しい釜とは肌合いがちがう、って感じてたけど、そう思いながら、新しいものだと思ってしまっていた、とは。。。
 
  
 
 茶器と茶杓
 
 
 
 この茶器の蒔絵も、よかった。
 ただ、この茶器は、ちょっと変わった姿をしている。
 棗型で、蓋の面がとってある。
 
 中次だと、「面取」といって、蓋の面取りがしてあるのは、そう呼ばれている。
 ただ、中次は、蓋と胴の継ぎ目が名前のとおり真ん中にあって、円筒形。
 
 これに近いので、日の出棗というのがあるけど、それは、朱色で、蓋に鶴が書いてある。松と鶴。かたちではなくて、そういう全体をさして「日の出棗」というのだろうし。
 
 義叔母も、「ちょっと、なんていうのかわからないのですが……」と、その筋の人に、説明していた。
 あ、その筋の人とは、ヤバイ人じゃなくて、お茶をやってる方、です(笑
 
 
 
 棚と蓋置きと水差し
 
 これも、終わって、飾ってあるところ。
 
 
 
 蓋置きがかわいい。
 ほしいな~(笑
 
 ていうか……香合や、釜や、棗も、ほしいけど、蓋置きくらいなら、おねだりしたら頂けないかな~なんて。
 他のものは、ぼくには分不相応、すぎるから。。。
 
 
 水差しも、この赤絵のほどよさ。
 あらっぽくもなく、丁寧すぎず、ほどよい筆の勢い。
 
 
 というわけで、いよいよ、道具も運び込まれて・・・
 
 
 
                              つづく
 
 
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2013_02
11
(Mon)16:07
 2月10日、大阪の某所で、義叔母の梅のお茶会に招かれたので、れいによって、ゆる茶モードでお邪魔を。
 
 待合 主室
 
 
 まるで、ちょっとした、盆梅展のよう。
 そういえば、長浜で毎年盆梅展があり、以前行ったことがある。
 その盆梅を思い出したり・・・
 
 床には、会記
 例によって、これは、だんなんのようなお茶の道の素人さんへの、義叔母の心遣い。
 
 この会記を見て、「ふむふむ、今日はどんな道具でもてなしてくれるのかな」、「あ、あれは、そういうものなのか」などといろいろ勉強になるわけ。
 
 たとえば、「茶碗」
 二段目が、どんな茶碗か、あるいは、茶碗の名前や銘。
 三段目が、「造」というのでつくった人。
 「替」というのは、替え茶碗。
 
 たとえば、「茶器」
 二段目は、誰がつくったどんな茶器か。
 三段目が、「箱」。これは、この茶器の箱に、「箱書き」というのがあり、それを、誰がしたのか、ということ。
 「箱書き」というのは、この茶器の名前や、作者、由来などを箱に書き記す。
 これは道具の「保証書」のようなもの。
 「箱書き」と取り立てて言うときは、たいていは、お茶の世界のえらい人がしたもの。お茶の世界のえらい人がした、ということで、その道具の信頼性が高くなり、まあ、一種の箔がつく。
 
 下世話な話だけど、こういうお茶の世界のえらい人のした箱書きつきの道具は、当然、価格も高くなる。
 お茶をしてないだんなんは、「箱書き」つきの道具は買わない(笑
 
 たとえば、「蓋置」。
 やはり、二段目は、どんな蓋置きか、ということ。
 三段目は、作者ではなく、窯、あるいは、産地。特に有名な作者ではない、ということ。
 
 また、最初の「待合」というのは、待合の床に飾られた軸。
 おなじく、「本席」というのは、茶室の床の軸。
 
 ざっと、見て、箱書きは、お茶の家元、宗匠さん。
 作者は、千家十職さん、などが並んでいる感じ。
 お菓子は、地元の菓匠さんのよう。
 
   
 
 待合 床 丹羽貴子画伯 萬国春(ばんこくのはる)
 
 ぶりぶりという玩具を描いた絵。
 ぶりぶりっていうのは、宮中の、むかしの子どもの玩具。
 車輪がついていて、紐で引っ張って遊んだ。ひっぱると、「ぶりぶり」音がするので、「ぶりぶり」となったとか。
 後には、祝儀用の飾り物になったようで、おめでたいもの。
 
 「梅」とはあんまり関係ないな~、けど、まあ、おめでたい感じていいか、程度に思っていると、席で義叔母からの話。
 なんでも、今日、2月10日は、旧暦の元旦なのだそうだ。
 ま、それで、梅のお茶会と言いつつ、旧暦の新年も祝って、おめでたいぶりぶりを。
 
 あ、それで、この会記にはないけど、床の脇には・・・
 
 
 
 巳年の弁天さんの置物。
 実は、さりげなく、ぶりぶりの軸の理由を、暗示していたわけ。
 ぼんやりしているだんなんは、もちろん、気づかなかった・・・。
 
 ま、ね、お茶会って、こういう謎解きみたいなとこもあったり、ね^^
 
 
 
 盆梅は、義叔母のフラワーアレンジメントのお弟子さんのお父さんが、大切にされていたもの。
 そのお父さんが亡くなられて、誰も見る人もないのもさみしいので、ということで、待合に。
 
 
 
 
 
 
 
 それほど大きくはないといいながら、なかなかよかった。
 それにしても、これほどになるのを世話するのは、ものすごく大変だろうな~、と。
 余程、愛情をもって、丹精込めて、手入れと世話をしていたのだろうな、と。
 
 障子のほうの二鉢は、フラワーアレンジメントのお弟子さんが活けたもの。
 ここまでのだと、前日に、ノコギリやらなんやらまでつかっての大作。 
 逆光で、うまく撮れなかったので、ちょっと、アップできないのが、残念。
 
 他にも、二部屋、待合が。
 
 
 
 
 
 白梅と水仙。たぶん、信楽の花入れ。
 この梅は、よく香っていた。
 
 そして、もう一室。
 その部屋は茶室にも使えるように、炉が切ってあり、床もある。
 
  
 
 な、なんだろう、この妖怪チックなものは・・・。
 
 日陰蔓卯杖飾り(ひかげのかずらうづえかざり) 
 
 というものだそうだ。
 新年の飾りだそうだけど、由来などは、ちょっとネットで・・・  → ここ 
 
 うぅむ…… いろいろと、勉強になります。。。
 
 そ、それにしても・・・この彼、どこかで見たことが・・・ 
 
 
 
 そう、以前、お雛様の茶会で知りあった、いちまのお友達の、福王丸くん。
 今日も、若水を汲んで、お手伝い。
 実は、いちま、だんなんのケータイに入って、同行。
 いちまとは、一年ぶりくらいの再会を喜んだのだった(笑
 
 それにしても、若水、っで、元旦の朝にはじめてくんだ水、でもあるけど、もともとは、立春に主水司から天皇に奉じた水ということらしい。
 そういえば、今年は、2/4が立春。
 これで言うと、新年より立春が早く来た、ということになる。
 『古今集』の冒頭の歌みたいな年。
 
 二首目の貫之の歌、
  
   袖ひちてむすびし水のこほれるを 春たつけふの風やとくらむ
 
 は、この若水を意識してもいるのかな、と。
 そうすると、より、鮮やかな印象になる。
 凍っていたのが解けた、だからこそ、若水。
 それに、「袖ひちてむすぶ」という行為が、以前夏に掬ったと言うだけではなく、若水を掬おう、とするイメージに重なる。掬ったのが過去だけではなく、春たつ今日にも、掬おう、と。
 
 
                          つづく
  
   
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2013_02
05
(Tue)20:17
 京のおまんじゅう 八重  俵屋吉富
 
 
 
 この袋見たら、NHK大河ドラマ『八重の桜』思い浮かべる人も少なくないのでは?
 そのとおり、なんでも、店の人が言うには、タイアップ商品なのだそう。
 もともと、「八重」という名前の饅頭があって、袋のガラを桜にした、ということらしい。
 
 というか、春と秋に売っていて、秋は菊。
 春は桜。
 タイアップ、というのは、なんとなくそんなことを言わはったのかも知れない。
 
 まあ、俵屋吉富(烏丸店)さん、同志社大のすぐ近くにある。
 先代の社長さん、今の社長さんも、確か、同志社出身。
 というわけで、縁浅からぬ、というわけかな?
 
 袋に、「もちもちした食感の生地に上品な漉し餡」云々とあり、これは、なんとなく、阿闍梨餅(満月) や つばらつばら(鶴屋吉信) などの仲間か、と思いふくろをあけると・・・
 
  
 
 こーんな感じの饅頭が。
 
 皮はとても薄い。
 もっちり・・・たしかに、もっちりの皮。でも、阿闍梨餅やつばらつばらは、皮が厚く、餅というだけあって、ほんとにもっちり。
 これは、ぷにゅ というか。
 奧さんがいうには、「この食感は八重桜のあのぷにぷに感を思わせる」と。
 
 餡も、饅頭ということで、ほくほくした餡を想像したが、さにあらず。
 まるで、最中の餡のような色つや、粘り。
 
 これは、なかなか面白い。
 
 NHK『八重の桜』。
 ちょっとした縁があって、第一回を見た。
 うーーん、つまらん。
 だいたい、日本の、だか、会津のだか、忘れたけど、「ジャンヌ・ダルク」は言い過ぎ。
 ジャンヌ・ダルクはフランスを救ったけど、八重さんは、会津も幕府も救ってない。
 だいたい、ドラマの構成が、ドベタクソ。
 最初に会津戦争のシーン出して、その後、いかにして八重は鉄砲撃ちになり、会津戦争に参戦したか? というストーリー展開は、くどい。
 会津戦争のシーン出したら、それですべて、言い尽くしてるわけだから、何も今さら、それまでの経緯を説明する必要なんてない。
 
 それに、西田敏行の西郷ナンとか、という家老(だっけ?)さん。
 八重の草履を食らって、なぜ、八重を怒る?
 狩が戦? そんな妄言。
 ほんとの戦なら、草履なんかで済まない。矢や、実弾や、砲弾が飛んでくる。首が飛んでたところだろう。なのに、たかが草履ごときにびびって・・・ほんとに、実戦のつもりでやってるの? と、可笑しくなった。西田敏行だから、笑わせよう、という演出なのだろうか?
 
 他にもいろいろ、マヂなのか、笑いをとろうとしているのか、よくわからない部分がいっぱい。
 オダギリジョーがニイジマジョーというのも、やっぱり、笑いをとろうとしてるのだろうか?
 
 というわけで、以降、見る気にもならない。
 
 でも、この京のおまんじゅう 八重 は、また食べたいな。
 
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