2015_04
30
(Thu)00:44
 あたたかいというより、日中は暑くなってきたので、またまた、いちまお着替え。
 米沢紬から、縮緬の単衣へ。
 
 肌着も、紅絹の肌着から、駒絽の肌着に。
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 長襦袢も、おなじ駒絽の長襦袢に。
 
 縮緬の単衣に、帯も絽の三尺帯。
 とんぼの絞りがら。

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 帯は、文庫風?
  
 帯締めがちょっと長かったので、こんなふうに奥さんがしてくれた。
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 リボン^^
 
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 帽子も夏の帽子にして、着物も帽子も涼しげで、いちま、ご機嫌♪
 
 じつは髪も、裾が広がったいわゆる「おかっぱ」から、いまどきの大人ボブ風に(って、だんなんが、髪の裾をくいっくいっとおさえただけだけどね^^)
 
 「おかっぱ」なんて言ってるけど、実は、いちまの髪はもともとボブだった。
 大正時代の「モガ=モダン・ガール」のヘアスタイル。
 つまり、ボブカット。
 
 ちなみに、beforeの「おかっぱ」風はこんなかんじ。
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 最近、暑いだけでなく、かなり乾燥もひどく、いちまの髪はぱさぱさで広がり気味だった。  
  
 
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2015_04
28
(Tue)00:06
 お茶の部屋から。
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 去年植えたナツハゼも芽吹いて、なかなか綺麗に。
 
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 おなじく、去年、紅葉のまわりに植えたキリシマツツジが満開。
 
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 日射しが急につよくなってきたので、パーゴラにすだれを張った。
 すだれは窓に使っていて傷んできたのをつなぎ合わせたものを張る。
 シャインマスカットの方は蔓が結構伸びていたので、その下に。
 
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 デッキにすだれの陰。
 
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 すだれがないと、デッキが熱くなるが、すだれがあるだけで、ひんやり。
 この陰も涼しげでいい。  
 
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2015_04
24
(Fri)19:32
先日(4/15~4/21)まで、京都の高島屋で開催されていた三浦竹泉展。
 そのなかでも特に、竹泉さんが、はじめて出品した、土物の数々が注目っていうのをブログに書いたけど、じつは、ちょっとばかりあるひとに縁があって、そのなかの御本茶碗をつかわせてもらうことができた。
 なんと、飲む方だけでなく、点てる方も。
 
 まず、茶碗自体が、自然光で見ると、様々な色が。
 白い粟田土に、土灰釉という透明の釉がかかっているだけの、土と釉薬で言えば、ある意味、何の変哲もない茶碗。
 ただ、図録によれば、「とっておきの粟田土」と「秘蔵の土灰釉」ということらしい。
 全体にろくろ目がくっきり、ことに、高台まわりのろくろ目はつよく、茶だまりにもろくろめがうっすら。
 口辺が、すっきり角がたっている半分と、ぎこちないというか、ちょっとごてごてした半分。
 ちょっとかけた感じに凹んでいたり、土がついたようにぷくっと膨らんでいるところがあったり。
 また、よれたようなシワがあったり。
 もし、これが、プロの作品としてなら、絶対、こんな口辺のものは出さないだろう、出せないだろうという、ちょっときごちない、甘いところも。
 でも、だからこそ、そこが、なんとも、かけがえのない口辺。
 「好きでつくって、ためておいたもの」という、まったく、そんな感じで、そこもいい。
 しかも、寸法も姿もきっちりとしている石物が本業の竹泉さんが、というところも、なんとも、心に響く。
 
 御本手のあの「星」の現れ具合も、多すぎず、少なすぎず、ちょうどいい。
 茶だまりは白くて、そのうえがオレンジ色にたすきをかけたように帯の環が現れ、その上が青ねず色になっていて、白い「星」とオレンジ色の環と青ねずが、まるで、夜明けか夕暮れのよう。
 最初に、自然光で見ると様々な色、と書いたが、光の加減で、たとえば、見込みが手の陰になると、白か肌色っぽい茶だまりが、オレンジ色の朝焼けか夕焼けの色のようになる。
 青ねず色のところも、光の加減で、赤がさしてみえたり、青みを帯で見えたり、あわい紫色のように見えたり。
 
 はたぞりで、大きく、扱いには注意がいる。
 はたぞりの具合が、手にしっくりこない。
 口辺まわりの土身は、しっとりと滑らかな土。
 粟田土といえば京焼の土だが、こんなになめらがでしっとりしていて、ふれているときもちいいのははじめて。
 これは、もしかすると、ほんとの粟田土なのかも知れない。
 今粟田土といって売っているのは、粟田でとれる土ではないので。
 釉薬も、「秘蔵の土灰釉」とあるだけあって、ただの透明釉かと思っていたが、光の加減によってこんなにもさまざまな色合いをみせてくれるのはやっぱり、ありふれた土灰釉ではないのかもしれない。
 
 お湯を注ぎ、捨てると、よく水を弾く感じがする。
 つるんとしていて、水が玉になる感じ。
 こんなに水を弾く感じがする釉薬というのもはじめて。
 
 茶だまりも、茶筅の滑りがとても良いという感じ。
 
 お茶が点って、手にした感じは、ふわりとしていた磁器物とは違って、しっかり硬い感じ。
 でも、その硬さのなかに、どこかふんわりとした、磁器物につうじる芯のようなものがある。
 
 お茶を飲んだあと、吸いきっても、それでもお茶が残るが、それが、やや強めのろくろめにたまって、まるで、竹泉さんの色絵の緑の釉のよう。
 
 とくに、人目を引くような外連味や派手さはないが、なんとも、見ていると飽きない。
 御本手の茶碗って、いままでほとんど興味が無くて見向きもしなかったが、この茶碗は格別。
 シンプルで、奥が深い、とでもいうか。
 茶碗に気品があり、使っていると、ほっこりというより、ちゃんと背筋を伸ばして、この茶碗の気品にみあう扱いをしないとと結構緊張した。
 むしろ、磁器物のほうが格は上なのに、あのふんわりとした手取りから、ほっこりできた気がする。
 そういう意味では、土物でありながら、石物の品格を備えた茶碗、とも。
 
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2015_04
23
(Thu)21:46
 麦手餅、葦、とのセット。
 4/18、京都高島屋の地下の末富さんで。
 
 山吹きんとん  末富
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 きんとんは、持ち帰ってくるときに、いくら気を遣っても遣いすぎということはないが、それでも、結果は、このように、ときとしてかなり悲惨なことも・・・。
 
 山吹の花が、ちょっと、虫の複眼のようにも見えてしまうのが、玉に瑕か・・・。
 
 薯蕷入りのきんとん。
 ただ、みどりのそぼろは薯蕷のあじはあわく、黄色い花はこってりと濃厚。
 花は、薯蕷の甘みがしっかり。
 そぼろは、しっとり、ねっとり、滑らかな口あたりで、種の漉し餡とともに口のなかでとろけていく。
 餡は、そぼろの風味の引き立て役。
 そして、後味に、やはり、今度は、和三盆の爽やかな甘みがしっかり。
 これも、麦手餅、葦同様、甘みは印象的でしっかりしているが、くどくない。
 
 なんとも、磨き抜かれた技、という印象を受けるきんとん。
 そぼろの口当たり、薯蕷と白餡の塩梅、そぼろと餡との調和、そして、これら白餡、薯蕷、小豆を遣って、引き立っている和三盆のすっきりとした爽やかな甘み。
 和三盆糖だけを食べたよりも、和三盆糖のすっきりした甘みが印象に残る。
 この、山吹きんとんだけではなく、麦手餅にしろ、薯蕷の葦にしろ、すべておなじ。
 
 今回の、麦手餅、薯蕷の葦、山吹きんとんのセット。
 黒糖、白砂糖、和三盆糖、和菓子の命であるそれぞれの甘みを充分にたのしみ、堪能してください、と言わんばかりの、気の利いた、すてきなセットだった。
 また、麦手餅は里山の、葦は湖や干潟の、山吹は山の、と、里山、水辺、山と、春のそれぞれの風景を思わせるセットだった。
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2015_04
22
(Wed)19:32
麦手餅とおなじく、4/18、京都高島屋地下の、末富さんで。
 本店だと、上生は5種類くらい、どれで好きな物を選べるが、高島屋の地下の店舗では、3種類がセットになっている。
 3種類それぞれ1個ずつのセットと、おなじ種類のものが2個、2個、1個のセット。
 
 葦  薯蕷製  末富
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 春から初夏にかけて、さまざまな草木が芽吹き、花を咲かせるので、上生でも、いろいろな花や草木がモチーフとなる。
 たとえば、この季節のポピュラーで印象深いのが、「岩根つつじ」。
 緑のそぼろにピンクや赤の細かいそぼろがぷちぷちといろあざやかな、きんとん。
 そのほかにも、杜若や富貴草、楓の若葉を扱ったものなど、はなやかなものがいろいろあるなかで、葦に着眼するとは、なかなか、しぶい。
 たしかに、葦も芽吹くのだけど・・・ほかの草木に比べると、やはり地味なんじゃないかな?
 
 でも、そこがいい。
 純白の薯蕷の肌に、葦の焼き印が、芽吹いたばかりの葦を思わせて、すがすがしい。
 (焼き印は、芽吹いたばかりの葦ではないが)
 
 しっとり、ふっくら、もっちり薯蕷のなかに、しっとり漉し餡。
 とても澄んだ甘み。
 やはり、甘みがしっかり、しかし、くどくない。
 これも、麦手餅どうよう、甘みを楽しんでください、といった感じで、餡や薯蕷の風味よりも、甘みが印象に残る。
 麦手餅はみずみずしい黒糖、この薯蕷は、白砂糖の、ずかずかしい澄みきった甘み。
 
 となると、最後の一品は・・・
 
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2015_04
21
(Tue)22:34
 4/18 竹泉展に行った折りに。
 京都の高島屋の地下の末富さんで購入。
 
 麦手餅  末富
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 麦代餅といえば、最初にピンと来るのが、中村軒さんの。
 以前ブログにも載せたことがある。 
   →  ミニ麦代餅   中村軒  2011/10/11
 
 さて、末富さんの麦手餅。
 たしか、「麦代餅」ではなくて、「麦手餅」となっていたように思うので、そう表記した。
 
 そろそろ田植えがはじまるので、出ているのだろう。
 そもそも麦手餅とは、農作業のおりのおやつだった。
 
 中村軒さんのものとは、形状など、かなり違っている。
 きな粉がかかっているところはおなじだけど。
 
 餅は、求肥の餅ではなくて、やわらかめの、餅らしい餅で、嚙みごたえがある。
 しかも、黒糖風味。
 種は、中村軒さんのは粒餡だったが、こちらは漉し餡。
 餡の風味よりも、黒糖の風味が口に広がり、また、末富さんの菓子らしく、黒糖がしっかりと甘い。
 お菓子というのは、「甘み」をたのしむ、味わう、というのが、末富のご主人さんの信条であり、それがよくでている。
 しっかりと甘いが、くどくなく、すっきり。
 余韻に残る黒糖の風味が、なんともみずみずしい。
 
 黒糖は、白い砂糖や和三盆よりも疲れが癒される気がするが、麦手餅が農作業の折のおやつだったことを思うと、なかなか気が利いていて、なるほど、と。
 たしかに、白い餅には粒餡が力が湧いてきそうだが、餅を黒糖で味付けしたら、粒餡ではくどくなる。
 
 中村軒さんのものがもともとの形に近いのかも知れないが、おなじ菓子でも、洛中の菓匠がイメージするとこんなふうに生まれ変わる、ということなのか。
 それとも、中村軒タイプとは別に、こういった黒糖入りの漉し餡の麦手餅がもともと存在していたのか、そのあたりはよくわからないが・・・。
 
 あと、今ふと思ったのだが、「麦手」と書くのは、茶碗などで「御本手」などというときの、その「手」という意味合いも含んでいるのだろか。
 「麦の穂のような」形の、餅。
 ただ、麦秋、には、まだ、ちょっと早い?
 
 
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2015_04
20
(Mon)21:04
 4/18、四条高島屋で開催されている、
 
  京の色絵磁器  三浦竹泉展
 
 に。
 会場には、立礼の席がもうけてあって、みていると、なにやら点前がはじまったよう。
 奥さんが聞いてみると、どうやら、頂けるということ。
 
 P4180212 (448x336)
 
 でてきたお菓子。
 滋賀県近江八幡の、たねやさんの 銘 遠山霞。
 こなしに、漉し餡。
 山道の類。
 
 お菓子もともかく、茶碗がなんと、竹泉さんの茶碗。
 あとでご本人とお話したとき、「茶碗はつかうものなので、見てもらって、使ってもらって」という趣旨で、お茶を出しているということ。
 しかも、ラッキーなことに、出された茶碗が・・・
 
 画像がないのは残念だけど・・・
 
 色絵宝福寿文茶碗。
 宝づくしのがらに、金彩を施したもの。
 
 手取りが・・・
 かるい。
 ただ、かるいだけではなくて、ふんわり。
 磁器で、こんなにふんわりした感じの茶碗は、はじめて。
 しかも、かるいはかるいけど、茶碗の形に重さ輪郭があるような感じ。
 どこかに重心があって、どっしりしているとかいうのとはぜんぜんちがう。
 わりと胎土は厚めだったので、磁器でこの厚みだと結構重い、硬いと思うけど、まったく、そんな磁器らしくない磁器。
 あとで話したとき、「ふんわりして感じで」というと、「そういっていたたげると、うれしいですね」ということ。
 
 ちなみに、奥さんは、色絵菖蒲茶碗。
 
 京都の高島屋で、新作展をやるのは、今回で4回目。
 以前、2回目の2008/11 と、もういちど、3回目のを見に行った。
 2008の2回目の時は、そうとう 感動して、ブロクに。
 
   → 三浦竹泉(みうら ちくせん)展  高島屋京都店   2008/11/16
 
 3回目は、答礼人形を見に行ったあとで、そっちの方がメインだったみたいで、さらっと触れてある程度。 
  
   → 海を渡った人形大使 と 竹泉 と 嘨月
 
 今回の色絵は、なんとなく、2008年の時に比べて、輪郭が太い感じ。
 ことに、竹の色絵。
 以前は竹がとても涼やかだったなのに、なんとなく、そのあたりが。
 
 ここで、三浦竹泉、というのは、個人ではなく、いわば、ブランド名。
 三浦竹泉の名で出されている色絵磁器ものは、言ってみれば、竹泉さんプロデュースというもの。
 実際に絵を描くのは職人さんだが、柄、構図、色目、などなど、指示するのが竹泉さん。
 色絵の職人さんのわざが冴えてたのは、むしろ、2006年だったと思う。
 ただ、金襴のものは、今年の方がよかったみたいな。
 渋い、抑えた金彩。
 
 ただ、今回の新作展で殊に注目なのは、なんと、土物があったこと。
 三浦竹泉、といえば、もともとは、祥瑞という藍物の家。
 それが、今の五代目が、裏千家の鵬雲斎大宗匠からいろいろとアドバイスなどがあって、色絵などもはじめた、ということ。
 とはいえ、やはり、石物、つまり、磁器の家。
 その磁器の三浦竹泉が、土物、つまり、陶器を出していた。
 
 と、まさか土物が出ているなんて思ってもみなかったので、ちょっと、びっくり。
 茶碗は、焼き締め、刷毛目、御本手、花入では、焼き締めのたすきなどがあった。
 
 大学を卒業して、修行をはじめたとき、手回しろくろからはじめられたということ。
 手回しろくろで、土も、最初は磁器ではなく、陶器の土から。
 で、馴れてきてから、はじめて、磁器の土を扱えるようになるのだそうだ。
 ただ、本業の磁器ををやりはじめてからも、土物を、それこそ、好きでつくってきて、今回の土物は、そういうのもふくまれているとのこと。
 
 竹泉といえば、やっぱり、祥瑞、色絵、染め付け・・・というイメージがあるので、さて、その土物はどうか・・・といえば、でも、それでも、やっぱり、竹泉。
 本業の磁器の方は、職人さんを使って作っているけど、土物は、ご本人が、個人的に、好きで作ったという物なので、むしろ、逆に、竹泉さんの個人の感性やセンスが、如実に表れている感じ。
 祥瑞や絵付けや染め付けのあの感性やセンスが、絵や色のないところで、絵や色がないにもかかわらず、すっきりと現れている感じで、とてもよかった。
 不思議、といえば不思議だけど・・・。
 絵付け、染め付けを修行してきて、その道に専心してきた人が、ある意味、その一番得意な物を「捨てて」、その上でつくった物が、それでもやっぱり、ご本人の物であることを、しっかりと、かんじさせてくれるのだから。
 
 ことに、御本茶碗。
 御本手といって、土と、透明釉だけの茶碗。
 藍も、色も、絵柄も、何にもない茶碗。
 なのに、それが、やっぱり、竹泉さんのそれって、よくわかる、というか、よくかんじさせてくれる、というか。
 
 論語に、「七十にして己の欲するところに従って、矩をこえず」という言葉があるが、まさに、その言葉を実感させてくれる茶碗。
 また、お茶では、「忘筅」などと言う言葉もあるけど、ある種、その「忘筅」にもつうじる。
 また、中島敦の「名人伝」という小説に、紀昌という弓の名人を扱ったものがあり、最後には、弓を見てもそれがなにかわからなくなった、それが名人の境地だという、道家思想をあらわしたものがあるが、でも、そこまで言うとそれは単に「痴呆」の世界であり、ほんとうの名人の境地とは、この御本茶碗のようなものでは、などとも、思わせてくれる。
 
 刷毛目のなかには、金彩の刷毛目があった。
 ふつう白泥みたいのでつける刷毛目を、金彩でつけてあるのだ。
 竹泉さんの奥さんは今回の個展の前に「こんな茶碗」とダメを出していたらしいけど、結構、売れてたみたいで(笑
 
 京都大丸の茶道具売り場で、はじめて、今の五代竹泉さんの宝づくしの京焼茶碗を見てから、もう、20年くらい経っているだろうか。
 僕よりも、むしろ奥さんが大ファンで、今回の個展では、図録にサインまでもらってきた(笑
 色絵や染め付けなど、値段も値段で手が届かないし、それ以上に、華やかすぎて、まさに晴れのお茶にふさわしい感じで、なかなか、個人で好きでお茶を楽しんでいる、といううちには不向きな感じがしていたが・・・
  
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2015_04
16
(Thu)23:17
 花見団子  千本玉壽軒
 
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 4/11に、買って、食べた。
 買ったのは、京都高島屋の地下、上生売り場で。
 末富さんの「花たより」を買ったあとだったが、それでも、この団子にはひかれた^^
 
 つやつやしているのは、寒天がかけてあるから。
 練り切り製といっても、かなり、やわらかめで、ゆるめ。
 寒天でコーティングしてあるから、しっとり。
 桜色と草色は、白餡風味。
 小豆色は、ほんのり小豆風味。
 寒天がひんやり。
 でも、このひんやりのあとに、しっとり、ねっとり柔らかい練り切りの白餡風味が、あるいは、小豆風味が口に広がるのが、春らしくてよかった。
 寒天につつんだこういうお菓子というと、なんとなく「烏羽玉」を連想して、ついつい比べたくなるけど、黒糖入りの亀屋良長さんの「烏羽玉」は、しっかり黒糖風味があって、まったくべつもの。
 また、「烏羽玉」は、黒糖風味ということで、僕としては、夏、ちょっと冷やして食べるのが好き。
 ただ、口当たりは、こちらの団子の方が、ねっとり、なめらか。
 
 末富さんの 花見団子 もおなじ日に食べたが、こっちの千本玉壽軒さんのほうが、なんとなく、好みかな。
 まあ、今年の4/11に食べた感じでは。
 
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2015_04
15
(Wed)01:47
 ひさびさ、オペラ。
 先日、4/13の深夜に、NHKBSで録画した、「トロヴァトーレ」(ヴェルディ)を見た。
 「トロヴァトーレ」とは吟遊詩人のこと。
 あんまり、見る気はなかった。
 見る気がなかったのは、このオペラは、むちゃくちゃ、暗い、血塗られて、おどろおどろしい、というのがまずひとつ。
 はじめて、パヴァがマンリーコ(吟遊詩人)をやってるDVDみたときは、ぞっとした。
 とくに、アズチューナ。
 CDもあるけど、よっぽどその気にならないと、聴かない。
 ラストも、主な登場人物が、総不幸状態。
 誰も救われず、皆、不幸のどん底で、幕切れ。。。
 ヴェルディのなかでも、いいや、オペラの中でも、1、2を争うくらいおどろおどろしいんじゃないか、と。
 
 もうひとつ、あんまり聴く気にならなかったのは、レオノーラをやってる、ソプラノのネトレプコ。
 以前、「椿姫」を見て、なんだかなぁ~、期待はずれ。
 ちょっと容姿が綺麗で、ついでに歌も歌える、くらいの歌手にしか思えなかった。
 
 ついでに、もうひとつ、あんまり期待できないのが、ザルツブルグ。
 がちがち、ドイツ系。
 ドイツ系音楽の劇場がイタリアオペラやると・・・目も当てられない場合が多々あったり・・・。
 客の方もドイツ系の発声になじんでたりというせいがあるのかないのかしらないけど、イタリアオペラなのに、ドイツ系の発声の歌手を連れてきて、支離滅裂な曲になってしまったり・・・
 
 ただ、この「トロヴァトーレ」の前に、「アンナ・ザ・グレート」という、ネトレプコのドキュメンタリーをやっていて、それを先に見た。
 そこで、ドミンゴが曰く、「アンナはカラスに似ている」とかなんとか。
 それは言い過ぎでしょう、と、「椿姫」で期待はずれだった僕は、半信半疑。
 
 ただ、ドミンゴが出てる、というのにはちょっと興味があった。
 御年70代のドミンゴが、歌えるのか?
 しかも、役が、ルーナ伯爵。
 そのうえ、バリトン。
 ドミンゴは、テノール。
 
 「トロヴァトーレ」は、ほぼ、四人が主役と言っていい。
 マンリーコ テノール
 レオノーラ ソプラノ
 ルーナ伯爵 バリトン
 アズチューナ メゾソプラノ。
 全員が、よくないと。
 
 ネトレプコの第一声を聴いて、息が詰まる思いがした。
 最後まで聴き通せるのか、と感じた。
 途中で、息が詰まって、耐えられなくなるんじゃないか、って。
 そのくらい、素晴らしかった。
 そんなシーンでも何でもないのに、こちらの感情がせり上がってくる、とでもいうか。
 それで、息が詰まりそうになったのだ。
 
 「カラスに似ている」というのも頷けた。
 まず、声の質。
 カラスは、胸声、中声、頭声、ぜんぶくぐもってたいるようなところがあった。
 低い声になると、そんなカラスの声に似ている。
 でも、どの声もカラスよりのびのびとしていて、しかも、すこしくぐもったところもある。
 だから、同時に相反する感情をも、表現できる。
 ヴェルディの登場人物は、ことに主役級は、いたばさみ、ジレンマ、アンビヴァレンツな感情に支配されている人がほとんどなので、こういった感情表現ができないと。
 たとえば、愛の陶酔の中にある死の予感・予兆へのおそれ、とか。
 ネトレプコの声は、そういう感情表現が可能になったよう。
 
 もうひとつ、似ていると感じたのは、歌唱に対するアプローチとでも言うか、態度とでも言うか。
 ただ、技法上のなにか、テクニック上のなにかに留まらず、そういうアプローチとか哲学とか、そういう所が似ている結果、歌唱上もにたかんじになるのかな、と。
 
 ネトレプコが歌い出すと、容姿や、衣装や、セットや、なんやかんや、もう、どうでもよくなる。
 そういったものは存在しなくなる。
 歌唱以外、すべては消し飛んでしまう。 
 そして、ただ歌唱だけが、ドラマを織りあげていく。
 すばらしい歌唱、歌手とはそういったものだと、オペラを聴いている人ならそういう経験があると思うけど、今回のネトレプコはまさにそれだった。
 「椿姫」では、恵まれた容姿+そこそこの歌唱、だったのが、あきらかに、逆転した。
 素晴らしい歌唱、+ 歌うことによって輝きがます容姿。
 歌っている顔が、よりうつくしい、かがやいている、というオペラ歌手も、あんまり見たことがないので、これにも驚き。
 
 第一声を聴いたとき、これから展開する様々な場面が、とても楽しみになった。
 あんまり聴かないとはいっても、それなりに、印象的なシーンや重唱は、パヴァで何度も何度もしつこいほど聴いているので自然に思い浮かんできて、聴く前から想像して楽しみだった。
 そして、どのシーンや重唱も、期待を裏切るものではなかった。
 
 ドミンゴのルーナ伯爵もよかった。
 本質は知的な、理性的な男であるのだが、レオノーラのために、その嫉妬のために、理性も知性も失った自分自身に翻弄されている、猛り狂っている、そんな伯爵だった。
 ただ、マンリーコと最初に重唱するところでは、テノール同士ちょっと声が被ったのが、玉に瑕、って感じだったけど、そのうちそういうこともなくなった。
 それにしても、ドミンゴは、よっぽど、ネトレプコに惚れてるのかねぇ(笑
 
 指揮も、とてもよかった。
 ガッティって、僕ははじめて聞く名前だったけど、やっぱり、イタリアオペラはイタリアの指揮者に限る!^^
 (なんせパヴァロッティで僕のオペラの時間は止まっている感じなので・・・指揮者も、そのあたりの人で止まっている・・・)
 なんていうのか、オケによるその場面のふさわしい感情表現、とでもいうか・・・
 イタリア語なんてできないので当然字幕を読みながら見てるわけだけど、こういうオケだと字幕がいらなくなる・・・というか、字幕読んでなくてもちょくせつ、ビンビン伝わってくる。
 前奏から、もう、ツボを押さえている、ツボにはまっている、というか・・・
 そして、例によって、アンビヴァレンツの感情の表現、これもばっちり。
 
 今まで、見た、聴いたオペラの中で、1,2を争うほどよかった。
 すくなくとも、一度は、見てみるべき、見ておくべき、と言いたくなる。
 ここでこういうと、どちらかというとこういう悲劇にたいして評価が高い日本で、こういうのもなんだけど、今回の「トロヴァトーレ」と1,2を争っているのがなにかというと、レヴァイン指揮、メト、パヴァロッティ、バトル、ダーラ、ポンスの「愛の妙薬」(ドニゼッティ)。
 
 もちろん、ほかにもいろいろいい公演はあるけど、でも、是非一度は、見てみるべき、見ておくべき、というふうに人に勧めるとしたら、今のところ、この二曲。
 
 追記
 衣装やセットや演出について、ぜんぜん触れてないけど、まあ、ネトレプコの歌唱にくらべれば、どっちでもいいかな、っていう感じなので。
 面白い、というか、ある美術館でのはなし、みたいな演出とセットで、まあ、ところどころ歌詞と齟齬があったりしたけど、手もつけられないほどひどいというものではなかったし、そんなちょっとばかり変わった演出であったわりには、ちゃんと、直球勝負のイタリアオペに仕上がっていた点は、とてもよかった。
 
 とにかく、ネトレプコとドミンゴに尽きる^^
 
 それで、思ったのは、「ドン・カルロ」を、是非見てみたい、なんて(笑
 ネトレプコのエリザベッタ、ドミンゴがフェリペ二世。
 フェリペ二世は、バスだから、ちょっと、難しいか・・・。
 
 ドミンゴ=カルロ、フレーニ=エリザベッタでは、最終シーン、フレーニが圧巻だった。
 あのフレーニ以上のエリザベッタが、ネトレプコなら演じられるかも、って、期待して。 (4/16 追記)
 
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2015_04
11
(Sat)23:01
 ちょっと、今日、4/11、京都へ。
 毎年のように、地下鉄東西線の東山から白川沿いに知恩院へ行って、円山公園、四条河原町、と桜を見に行きたかったけど、なんかちょっと疲れ気味なので、四条烏丸から高島屋、高瀬川へ。
 
 高瀬川に沿って、四条からすこし北へ歩いてみたけど、桜はこんな感じ。
 P4110164 (448x336)
 
 P4110165 (448x336)
 
 だいぶ花は散っていて、葉桜っぽく。
 とりあえず、「はなはさかりをのみ、みるものかは。」と言っておこう(笑
 
 住んでいるところ(大津市北部)は、まだ、盛り。
 京都へ行くまで、湖西線からみえる比叡山にぽこぽこと桜が咲いていて、なかなか綺麗だった。
 余談だけど、湖西線の眺め、なかなかいいかと。
 東側は琵琶湖を見渡せるし、西側は比叡山、もっと北は、比良山地。
 こっちに引っ越してくる前、京都から30分以内で、京都からの各鉄道の各路線をすべてあたってみたけど、湖西線の眺めが一番よかった。
 東は琵琶湖で開けていて、西には比叡山、比良山地の山並み。
 
 さて、高島屋で、上生を。
 なんか、ぱっと見て、今日はややこしいのよりも、シンプルなのがよくて・・・
  
 P4110168 (384x288)
 
 それにしても、いつみても、艶っぽい、末富さんとこの。
 なんか、いかにも、お土産、っていう包み。
 しかも、サラリーマンのお父さんがいっぱい飲んできたあとのお土産、っていうんじゃなくて、いわゆる旦那衆がおきやさんかなんかでちょっと遊んできた帰りのお土産、っていう、そんな感じがして、とても好き。
 
 今日は、これを持って、花見に行こう!
 といいつつ、くたびれ気味なので、花見には行かず、そのほかちょっといるものを買って、帰宅。
 その帰りにどこかで桜の花を買って、活けて、おうち花見、といきたかったが桜も手に入らずじまい。 
 でも、まあいいか^^
 ゆる茶で、花のない花見、と洒落よう(笑
 
 茶碗は、総梅花皮(そうかいらぎ)のあの茶碗。
 「梅花皮」、ではなく、「桜花皮」としたくなる。
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 桜は散っても、掌のなかに満開の桜。
 
 お茶を飲む前に・・・
 
 花たより  上生詰め合わせ   末富
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 花見だんご と 桜合わせ と 桜きんとん の詰め合わせ。
 
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 花見だんご  末富
 ふつうのよく目にする花見団子は、色が、上から、桜、白、緑。
 なんか、いろいろ説があるみたいで、たとえば、桜は桜、白が雪、緑が蓬で、春、冬、夏をあらわし、秋がないから「飽きが来ない」とか。。。
 
 だんなん的には、まあ、雛祭りの菱餅とおなじかな、と。
 ただ、ピンクは、桃ではなくて、桜。
 餅には邪気を払う力があるとされているので、厄払いの意味もあるのかな、と。
 もっとも、菱餅か花見団子か、どっちが古いのか知らないので、とりあえず、花見団子が菱餅を真似た、という考え方で。
 ようするに、菱餅の団子版が、花見団子かな、と。
 
 でも、末富さんのはちょっと違っている。
 ピンク、緑、小豆。
 さらに、一番上のピンクと、緑のあいだに隙間がある。
 
 奥さんの説、「ピンクは桜、緑は下草、たとえば蓬、小豆は大地。桜は見あげる空、蓬は足元なので、隙間が空いている」。
 もっとも、とおもうけど・・・。
 
 あえて、ここは、ピンクは桜、緑は柳、として、
 
   みわたせば柳桜をこきまぜてみやこぞはるの錦なりける 
 
 と、素性さんの歌の風情を。
 最下段の、小豆は?
 まあ、「錦」だから、いろいろな色があるわけで、小豆もありでしょ? と(笑
 
 ひとつめの、桜色の団子は、こなし。
 こなしといっても、餡っぽいこなし。
 
 ふたつめは、蓬入りのこなし。
 蓬の風味はまろやかで、深みとこくがある。
 さわやか、とか、早春といった風情ではない。
 
 みっつめは、小豆。
 餡と団子生地のあいだみたいな柔らかさ、口当たり。
 黒漉し餡のこなし、とでもいうか。
 
 いわゆる花見団子の外郎っぽい生地とも、みたらし団子の団子っぽい生地とも、違っている。
 
 言ってみれば、こなしの花見団子。
 もっとも、ふつうのこなしよりも、餡っぽいし、蓬も入っている。
 こういう花見団子も、なかなか、オツでいいなぁ、と。
 
 桜合わせ  薯蕷製  末富
 今さら改めて断る必要もないと思うけど、念のため、上の画像の右側、桜の花のかたちをしたのが、桜合わせ。
 これは、以前、ブログの記事にしている。
 
 ぷりぷり、ふかふかの薯蕷。
 漉し餡が挟んであって、食べると、もっちり、ほんのり甘い。
 甘みは、ふっくらしている。
 
 ここで一服。
 
 お茶を点てると、掌のなかに、「柳桜をこきまぜて・・・」^^
 この「都の錦」を飲みほして・・・
 
 桜きんとん  きんとん製  末富
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 このきんとんも、以前ブログに載せた。
 そぼろは薯蕷入り。
 種は漉し餡。
 まろやかな薯蕷のそぼろ、いわゆる、フルボディ、とでもいうか、結構、重い。
 
 口に含んだとたん、ほわほわとした桜の花の塊のような、その色合いを思わせる、やさしい甘みが口に広がる。
 ただ、砂糖の甘みというのではなくて、桜の花のあまやかさ、といったあまみとやさしさ。
 満開の桜の花の塊を口にしているような、そんなイメージが広がった。
 
 
 花のない、花見のゆる茶・・・   
 次回に、つづく・・・
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2015_04
10
(Fri)22:59
 P4050256 (448x336)
 
 去年の今頃、買ったような(あいまい)。。。
 
 庭も一段落、いちまの米沢紬もできて、なんか、気が抜けた。
 で、なんとなく、ワインが飲みたくなった。
 去年も、たしか、今頃、モーカイユとか、シャスとか、飲んでたような。
 いや、違った、1月頃だ。
 
 4/5に開けた。
 このミュザール、ピークを過ぎて、熟成ブルゴーニュって感じ。
 5日たったが、あまり変わっていない。
 瓶の半分ほどになり、かなり、タンニンがきつくなってきた。
 
 と、気が抜けているので、ブログもこんなところ。
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2015_04
05
(Sun)20:13
 はぁ~。。。
 今日、残っていた、振りの始末とかんぬきどめ、最後に肩揚げをして、ようやく、米沢紬の単衣ができあがった^^
 2013/1にはじめて、できあがったのが、2015/4、約2年3ヶ月をかけての、「快挙」(笑
 途中、放置してあったけど、よく、まあ、なんとか、完成までこぎつけたものだ、と。
 なんか、えらい苦労した感じがする。
 以前、奥さんのお母さんからもらった絽の帯を仕立て直したときは、なんか、ちょいちょいっとできあがったという、今でもそんな気がしているのに、今回の米沢紬は、おなじ単衣なのでやっていることは同じなのに、なんか、すごく苦労した感じがしている。
 
 P4050231 (512x384)
 
 まあ、よく見れば・・・いや、よく見なくても、つったりなんか、いろいろと言い始めればよくないところはあるけど、とにかく、いちまに着せてみよう^^

 P4050232 (384x512)

 おすまし、ちょぼん^^
 う~ん、なんか、ちょっと、気取ってないかいちま?^^(笑
 
 帯は、2/28に北野天神さんに行ったとき、たまたま立ちよった やまきぬ さんで買った、正絹の帯揚げ。
 市松模様が、絞りのようにおりだしてある。
 じつは、冬のあいだ僕が襟巻きにつかっていた^^
 で、僕が使わない季節にはいちまの帯にしよう、というつもりで。
 奥さんも、そのとき、帯揚げなどを買い、おまけに西陣織のこっさげをもらった。
 
 P2281848 (384x216)
 
 もう、とっくに、いちまがぶら下げてる(上の画像ではよく見えないが・・)
 
 P4050244 (336x448)
 うしろ^^
 
 格子柄というのは初めてで、しかも、柄の大きさが人の大きさだからどうなるかと思っていたが、おもっていたより、かなりかわいい^^
 柄が大きくなったので、子どもっぽく見える?
 それとも、格子の紬とちょっとしぶいので、どこか、いいところの若奥様ふう?(笑
 
 米沢は、紅花の産地でもあるので、この紬が紅花染めかどうかは知らないけど、こんな色合いなのだろう。
 なかなか、よく似合っているような・・・。
 
 ニットのベレーはちょっと違和感があるが、まあ、塵よけなので。
 そのうち、よさげな帽子ができれば・・・
 
  試着のつもりだったが、目が詰んでいて、着せてみると、さっきまで着せていた縮緬の単衣よりも今頃着るのによさそうなので、しばらくこのまま着せておくことにした。
 ちょっと直したいところもあるにはあるが、直すのはそのあとにしよう。
 
 P4050246 (448x336)
  
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2015_04
04
(Sat)19:40
 庭の西側の、ベニバベニバナマンサクの生け垣。
 支柱が折れたり、色褪せたりしてもっさくなってきたので、新調することに。
 
 新調前。
 P3232307 (448x336)
 
 右の方、水色の支柱。
 100円ショップで買った竹で、緑色のビニールで包んであった。
 それが色褪せて、こんな水色に。
 
 今回はこのビニールを剥いで使うことにした。
 
 まず、両端とその真ん中に太めの竹を打ち込む。
 この竹は、玄関前の柴折り戸を作ったときの、あまり。
 次に、100円ショップの、ビニールを剥いだ竹を左右に渡す。
 上下二段。
 横に渡した竹を初めの三本に固定したら、端と真ん中の竹の真ん中にそれぞれ、太めの竹を打ち込む。
 この竹を固定。
 さらに、ビニールを剥いだ竹をマンサクの伸び具合を見て、支柱として打ち込む。
 竹にマンサクを固定する。
 というようなことをして、できあがり。
 
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 目障りだった水色の支柱がなくなり、すっきりした。
 また、マンサクを竹に固定しなおして、これもすっきり。
 あとは、南の方のマンサクがもっと茂ってくれたらいいのだが、日当たりがもうひとつで、なかなかうまくいかない。
 
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2015_04
04
(Sat)01:28
 かなりあたたかくなってきたので、いちまも、単衣に。
 いつもの、縮緬の単衣。
 肌着は紅絹の肌着のまま、松葉ともみじの長襦袢。
 
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 帯は、帯揚げを転用したもの。
 裏を表にして、幅を広めに締めてみた。
 引っ越し前のブログの「ゆったり着付け」だったかなんだか、そんな記事がぽつぽつと読まれていて、ひさびさにその記事を読んで、幕末のゆったり風に。
 
 帽子は毛糸のベレーだが、靴下はおそろいの毛糸のではなく、足袋にした。
 
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 帯も、だらりと。
 ほんとは、ちょっと、舞子さんふうにしたかったが、まあ、こんなところかな。。。
 
 ゆったり着付けにしたので、すそもゆったりめに。
  
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 米沢紬の単衣、今日、左右の袖の縫い代・みやつ口の始末完了。
 あとは、袖の振りの始末とかんぬきどめ。
 さいごに、肩揚げ。
 もうちょっと。
 
 それにしても、今年はあたたかい。
 桜が咲くのは遅かったが(去年は、3/20ごろもう満開だったような)、紅葉の芽がもう出ている。
 もみじに関していえば、1ヶ月ほど早い。
 ほかの落葉樹も、紅葉ほどではないが、芽が出るのが早い。
 (うちは、ふつう、紅葉の芽が出るのが一番遅いので)
 芍薬も、3/29に芽が出ていた。
 これもはやい。
 シランももう芽が出ている。
 
 ブログの背景の画像、お着替え後のいちまに。
  
 
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2015_04
02
(Thu)21:16
 風流菓  京の土  亀末廣
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 箱入りと紙に包んだものがあり、紙に包んだ方を買った。
 箱入りは、箱代が150円ほどする。
 本体は、700円から800円くらいだった(箱代は憶えているのに・・・)。
 包装してある包みを開ける。
 
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 パラフィン紙でつつんであり、そのパラフィン紙を解くと・・・
 
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 「京の土」とは、あまりにも、ある意味、お菓子らしからぬ銘。
 見た目から、この「土」とは、壁土、聚楽の土のようでもある。
 ただ、それとともに、「土壌」という含みもあるのだろう。
 京菓子をはじめ、さまざまな京の文化を培い、はぐくみ、花開かせた「土」。
 
 そもそも書きに、「面白く手で割って」とあるように、手で割ってみる。
 見た目ほどざらっとしていない。
 砂糖がしっかり乾燥して固まっている感じ。
 すでにひびが入っていて、そこから割れていった。
 
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 そもそも書きに・・・
 
  しみじみといふ味は
  一つの菓子を手にとって
  其のもののいろ、つや、そして
  面白く割った形への想像
  口に入れた舌さわり ・・・
 
 バリバリとした粗い口当たり、舌触り。
 いわゆる麩の焼よりも硬く、粗い歯触り、またウエハースなどよりも粗い。
 そのバリバリとした粗い歯触りが、やがて、和三盆の風味とともに、あのしゅわしゅわと泡立つような和三盆の口当たりとともに口の中でほどけて溶けていく。
 バリバリと砕けるとともに口の中に広がる芳ばしい煎餅地の風味、その風味を追って和三盆の風味がひろがり、二つの風味が重唱のようにとけあう。
 粗い口当たりから、繊細で洗練された口当たりへの劇的な転換。
 使っているのは、 餅粉と和三盆だけ。
 
 今まで、それなりに、上生も含めて、いろいろな京菓子を食べてきて、そのなかには、いろいろな、ふかい感銘を受ける菓子もあれば、あざやかな印象をのこす菓子もあれば、あるいは、すごい菓子もあれば、素晴らしい菓子もあれば、よい菓子もあれば、すてきな菓子もあったのだが、この 京の土 は、格別。
 
 もし、「京都のお土産は?」と聞かれたら、菓子ならば、一番に、この 京の土 を選びたい。
 たしかに、人によっては、ただの和三盆風味の煎餅、あるいは、ただの和三盆風味のウエハースみたいな菓子としか味わってくれないかも知れないとしても、それでも、この 京の土 のよさをわかって欲しいとの期待を込めて。
 もちろん、亀末廣さんで京都のお土産として菓子を選ぶとすれば、ミニ 京のよすが が、ほぼ間違いなく誰にでも受け入れられやすい菓子だということを十分承知した上で、それでも、あえて・・・。
 と、この 京の土 をひとかけら口にすると、そんな気持ちになる。
  
 さらに、そもそも書きはつづく、
 
  ほんとのお菓子の有り方は 
  そういふものかも知れませぬ
 
 もちろん、そもそも書きで語られているのは、この 京の土 のことであり、それからすると、この 京の土 は、亀末廣さんの神髄といってもいいのかもしれない。
 
 ただ紙に包まれているだけなのに湿っていないのが不思議なお菓子だと思っていたが、どうやら、割ったとこころからすこしずつ湿ってくようで、食べ始めたらできるだけ早く食べた方がいいようだ。
 
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2015_04
01
(Wed)22:14
 3/27に、衿を4分の3付け終わっていた、いちまの米沢紬の単衣。
 昨日(3/31)に、衿の残りをつけて、腰上げのまち針を打ち、
 
 P4010184 (448x336)
  (ついでに、両袖を横に並べてみた)
 
 今日、4/1、腰上げを縫い、両袖をつけた。
 
 P4010190 (448x336)
 
 袖をつけた、とはいっても、ほんとにまだつけただけ。
 このあと、縫い代の始末と、みやつ口、袖の振りの始末、それから、かんぬきどめ、とまだまだやることが。

 みやつ口の始末は細かいので、大変。
 いつも言っているけど、縫う距離は短いが、細かいので、なかなか手間が掛かる。
 袖も、短い距離がぐるっとなっているから、吊りやすい。
 細かいので、指のやり場、というか、手のやり場というか、それにも困るし、まち針がしょっちゅうチクチク(笑
 
 いちまの着物を縫うとき、
 
   「緑青 Vol.26  市松人形の着物仕立て方  袷と襦袢」
   「緑青 Vol.30  市松人形の着物の作り方  単衣と小物」
   「はじめての和裁 DVDつき手習い帳」
 
 などを、いつも見ながらやっている。
 ぼちぼちやってるので、次やるとき、忘れてしまっているので・・・(笑
 
 人の和裁のを見る理由は、「緑青」だけでは、どうもよくわからないところがあるので。
 それと、以前、ちょっと、浴衣を縫ったことがある (あるネットショップの「チクチクパック」という商品で、布はいろいろ選べて、サイズを連絡すると、裁断して印までつけてくれる。あとは縫うだけ、ってわけだけど)ので、人形用の縫製だとなんとなく物足りない、というか。
 袖つけでも、「緑青」のほうでは、かんぬきどめなんてしない。
 でも、やっぱり、かんぬきどめをしないと、袖をつけた気がしない。
 
 衿先も、裏を表にして二本どりした糸でとめて、またひっくり返して・・・という、和裁やったことある人ならたぶん印象に残っている、あのやり方。
 「緑青」の方はそんなやり方してない。
 
 「緑青」がいいところは、サイズなどが載っているのと、人形用のやり方、コツなどが載っているところ。
 袖付け前に腰揚げするのも、人形用ならでは。
 
 ただ、サイズは、「緑青」のものと、だいぶ違っているところもある。
 袖丈なども、布や柄にあわせて、短くしたり長くしたり。
 というか、とりたい柄をとると、決まった長さをとれないことがあったり。
 袖の形も、その布の手触りや色、柄によって、いろいろかえている。
 また、夏の絽などは、大袖にしたのもある。
 おなじ形ばかりだと、なんか、縫うのに飽きる、ということもある。
  
 でも、衿に力布はしないし、芯も入れてない。
 「緑青」でも人間のでも、衿に芯はいれるが、いちまの首は結構太い、顔のまわりなので、あまりかたくしない方がいいかな、と。
 と、いう理由のほかに、手抜きで^^
 
 単衣の方が簡単か、というと、それがそうでもない。
 たしかに、袷は、裏地の裁断あり、吹きや綿を入れたりと、手間も掛かるし、分量的には1.8着分、って感じ。
 一方、単衣はそういうところは袷にくらべて楽だが、縫い方がいろいろ。
 また、縫い代の始末などもしないといけない。
 人間の反物なら布の端の始末なんてとくにしなくていいわけだけど、人形の場合、端は裁断したままになるので。
   
 まあ とにかく、かんぬきどめまでやって、袖つけおわり。
 で、その後、肩揚げをして、やっと、できあがる。
 
 なんか、おもったより、子どもっぽくかわいい単衣ができそう。
 大人の単衣を解いたのだが、いちまにだと格子が大きくなるので、それが子どもっぽくみえるようだ。
 いちまににあうかどうか(笑
 
 子どもっぽすぎる、とレディを自認するいちまはちょっと、不満そう?(笑
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