2016_06
30
(Thu)23:00

 六月になると、食べようか、という気分になる、水無月。

 

 実は、6/24に、仙太郎さんの水無月を食べた。

 白、黒糖、抹茶。

 数年前に食べたときは、餡にえぐみがあったりしてイマイチだと思ったが、今年のは、えぐみもなく、すっきりしていてなかなか。

 砂糖の甘さもすっきりしている。

 ただ、ちょっと、甘すぎるかな。

 

 もともと6/30に食べるのが習わし。

 今日食べたのは、二條駿河屋さんの水無月。

 白と黒糖。

 奥さんが買ってきてくれた。

 ちなみに、二條駿河屋さんが水無月をおいているのは、6/29、30の二日間だけ。

 

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 二條駿河屋 水無月 白

 

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 二條駿河屋 水無月 黒糖

 

 去年も、二條駿河屋さんのを食べた。 

 

  → 水無月  二條若狭屋  と  二條駿河屋

 

 今年は、外郎の部分の風味がけっこうしっかり。

 黒糖の風味も、しっかりしていた。

 かつ、餡の味もくっきり。

 小豆の粒は、やわらかい。

 口当たりなどは、ほぼかわりなさそう。

 とても、美味しかった。

 

 奥さん曰く、「これで、今年の梅雨ものりきれる」そうな。

 もともと、夏越の祓、暑気払いなので、梅雨どきの厄災だけを払うわけではないが、

「夏が乗り切れる」といってしまうと次のお菓子が食べられないから、「梅雨どき」と期間を限定しているのだそうだ(いちまといっしょで、食いしん坊・・・)。

 

 それはそうと、このまえ、たまたま東京キー局のお昼の番組で、水無月のことをやっていた。

 水無月の歴史とか、いわれとか、新聞に載っていたのを紹介して、レギュラーやゲストが試食、って感じだ。

 うーん、なんか、そのいわれ、歴史、ちょっと待った、って。

 東京の人向けに、脚色してないか?(笑

 それよりも、ビックリしたのは、試食した東京の人がみんな、食べるの初めて、って・・・。

 (試食に出たのは、虎屋さんの 白、黒糖、抹茶)

 東京って、なんでもありそうなのに。。。

 いや・・・、まあ、言われてみれば、京都のお菓子なので、それはそうなんだけど・・・。

 それで奥さんとそのことを話してて意見が一致したのは、

 

 「水無月がない6月なんて考えられへんなぁ」

 

 あるいは、

 

 「水無月がない生活なんてかんがえられへんよなぁ」

 

 と、そこまで大きく出た(笑

 

 けど、ほんま、水無月がない生活なんて考えられへんわけで。

 水無月がなかったら、ほんま、ぽっかり、こころに穴があいたよう・・・。

 

 ま、そのくらい、水無月って、京都の人にとっては、生活になじんだ、身近な、六月にはなくてはならんお菓子なわけなんですわ。

  

 

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2016_06
29
(Wed)20:18

 いろいろある鮎のなかでも、ちょっと、変わり種の、俵屋吉富さんの 鴨川鮎。

 今年から、リニューアル。 

 

 包装の袋も、昨年までは上を水色の糸でくくってあったのが、、、

 まあ、ちょっと、簡略化。

 袋の柄も、ちょっとちがっている。

  

 P6260218 (448x336)

 リューアル

 

 

 昨年まで(右上は、玉菊 亀屋陸奥)

 

 包装は、以前の方が好きだな。

 

 さて、お菓子はどうかというと・・・

 

 P6260217 (448x336)

 リューアル。

 鮎の焼き印、砂糖のかけ方などがちがっている。

 

  

 昨年まで。

 

 見た目は、リニューアルの鮎のほうが好きかな。

 

 さて、いちばん大きな違いは、たね。

 昨年までは、小豆羹。

 くわしくは、

       → 鴨川あゆ  俵屋吉富 2013/08/14

 

 リニューアルは、一変。

 P6260220 (448x336)

 

 一見、鮎によくある求肥のよう。

 たしかに、求肥は求肥。

 かなりたっぷりと詰まっている。

 

 ただし、ショウガ風味。

 もっちり、ショウガの風味がすーっと、爽やか。

 ショウガ風味は結構強め。

 

 もともと、うすだね(そとの麩の焼のような皮)の鮎でちょっとめずらしく、さらに、種が小豆羹ということで、かなり個性的なかわりだねの鮎だなと思っていた。

 ほかの鮎には見られないこの個性的なところがお気に入りだった。

 

 リニューアルの、ショウガ風味の求肥も、なかなかオツ。

 

 口にショウガがすーときて、そのあと、すこし肌がほかほかと汗ばみ、涼風がすーと肌を吹き抜けて・・・。

 

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2016_06
29
(Wed)01:10

 例の菊水の釜の修理で漆を使ったので、そのついでに、曲げの建水と柄杓に、ちょっと、拭き漆をしてみた。

 建水の方は、まあまあ・・・。

 ところが、柄杓の方が、こんなふうに・・・。

 

 P6250213 (448x336)

 

 ゴウが真っ黒に。

 別に、黒くしようとしたわげてもないのに・・・。

 なぜ?

 

 そう、漆が酸化して黒くなった。

 釜の湯を掬っているので、その鉄分が染みこんでいたのだろう。

 黒ゴウ柄杓。

 というか、

 ゴウ黒柄杓

 というか。

 

 実は、建水も、前の拭き漆が剥がれていたところは、黒くなった。

 口の縁とか、底とか。

 

 P6260225 (448x336)

 

 とりあえず、だんなん好みの柄杓?(笑

 柄杓なんていまどきは、決められたカタのものが数種類あるだけだけど、利休さんのころには、それぞれ好みものがあったそうだ。

 釜にあわせていろいろカタがあり、そのうえ、茶人の好みのものまで。

 どんな柄杓があったのか、いまとなっては、知る術もないのかも知れないが。

 

 とりあえず、使ってみた。

 さすがに、漆で硬くなっているので、釜の口に置いたとき、竹そのままのゴウのやわらかさがない。

 また、滑りやすい。

 柄にも拭き漆をしたので、手取りも硬く、すべりやすい。

 でも、二度、三度と使ううちに、だんだん慣れてきて、これもわるくないかな、と。

 

 竹そのままのゴウのように水をすわないので、ゴウの外側に水滴がついたりする。

 結露したみたいになって、なんか、ちょっと、涼しそうな。

 

 

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2016_06
29
(Wed)00:46

 脚立を使って巣のなかをのぞき見るのはちょっとよくなさそうなので、腕を伸ばして、カメラあてに巣の中を撮ってみた。

 

 P6280236 (448x336)

 

 1羽、2羽、3羽、4羽、5羽。

 五個あった卵が、全部孵ったのか。

 それとも、そのあと卵が増えていたのかどうかわからないけど。

 とにかく、卵とおなじ5羽。

 

 卵の殻を見つけたのが、6/22。

 今日が28だから、約1週間。

 羽毛には、親鳥とおなじ、緑のところも。

 

 それにしても、あのちっちゃな巣にこんなにすし詰め。

 というか、これこそ、メジロ押し、ってか?(なんか、ちょっと、ちがう気もするけど・・・)^^

 

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2016_06
27
(Mon)23:01

 6/18に見つけたメジロの巣。

 6/22に、卵の殻が落ちていたのだったが・・・。

 

 6/27、今日、朝、たまたま巣の下をとおりかかると、親鳥が餌をやっているのを目撃。

 で、メジロの巣のそばをとおるときはいつもデジカメを携帯することにしていたので、すぐさま、撮ろうとしたが、なかなか上手くいかないもので。

 そのあと、しばらく、巣のそばにいてみたが、親鳥が神経質になって雛を殺してしまったりとなるのもいやなので、あまりむりして写真を撮ろうなどとは考えないことにした。

 

 見たのは、三羽の雛。

 ただ、巣から頭を出すのは、ほんの一瞬。

 カメラを構えたころには、もう、こんな状態。

 P6270227 (448x336)

 

 巣のそばはあまり通らないようにしはているものの、玄関脇なので

、ぜんぜん通らないのは無理。

 そして、通るときは、デジカメを持っていくことにしているので、なんとか動画を撮れないかと・・・。

 まあ、たまたま、親鳥がきていると、チャンスがあるかも。

 

 それで、やっと、こんなのが撮れた。

 ちょっと、グロいかも?(笑

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 メジロの雛の声は、澄んだ高い声で、かなりか細い。

 (雛の声なんて、聞くのは初めて)

 はじめ声は録れてないかと思ったけど、動画のボリュームをめいっぱい上げて、PCのほうのも70%以上にすると、ちょっと聞こえる^^

 

 とりあえず、今のところ、すくなくとも三羽が無事成長中。

 

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2016_06
22
(Wed)22:51

  6/18に、庭の植栽の剪定。

  うらの剪定をし、玄関脇の南天を、と下の方から剪定していくと・・・。

  あれ・・・なんか、鳥の巣?

 

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 ビニールの紐と苔でつくってある。

 表の方を剪定してた奥さんに話して、脚立で、中を覗いてみると・・・

 

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 あわい水色の卵が五個。

 なんの卵だろう?

 まだ、いきててるんだろうか?

 

 そういえば、以前、このおなじ南天で、剪定中におなじような鳥の巣を見つけたことがあった。

 たしか、梅雨明けの7月半ばだったとおもうが。

 そのときはもう巣はカラッポ。

 ので、あまり気にもしなかったが・・・。

 今回は、卵が。

 

 ネットで奥さんが調べてくれたところ、巣の感じや卵の色・大きさから、どうやら、メジロらしいことが判明。

 

 あとは、まだ、生きているのかどうか・・・。

 ネットでみつけてくれた記事のおおくでは、このあたりだと、六月半ばだともう巣立っていてもおかしくないとのこと。

 なので、もう、ダメなのかなぁ、とおもいつつ、ちょっと、見守ってみることにした。

 とはいえ・・・ほんと、玄関のすぐ横。

 

 P6180182 (448x336)

 

 この向かって右の南天のうえの茂みの中。

 人通りもそこそこあるわけだし・・・。

 

 そしたら、今日、朝、奥さんが巣の下でこんなものを見つけた。

 

 P6220200 (448x336)  

 

 そう、卵の殻。

 

 P6220202 (448x336)  

 

 ちょっと大きさを測ってみた・・・。

 

 もしかして、雛が孵った?

 そういえば、今朝、何かよく分からないが、ぴよぴよとはちょっとちがうけど、ぴよぴよみたいな何か賑やかな鳴き声が、何度か聞こえてきてたような。。。。

 ぴよぴよぴよと数秒賑やかな鳴き声が聞こえてきたかと思うとしずかになり、また、数分から十数分して、ぴよぴよぴよ・・・。

 そんなことが、九時からの一時間のうちに数度あったような。

 これは、もしかして、親がエサを持ってくる度に、ぴよぴよと雛が鳴いているのでは?

 

 確かめたかったが、そうもいかないので、もうすこし様子を見ることに。

 

 そしたら、ふと、玄関を通りがかったとき、ちょぼんと、巣の上にメジロの親が顔を出していた。

 目と目が合うと、すっと、巣を飛び去っていったが・・・。

 あんがい、無表情だった(まあ、鳥ってそんなもんか)。

 そのあとも、巣のなかに入ってる親鳥を見かけた。

 まだ、卵を温めてる?

 どっちなんだろう?

 

 よく分からないが、ま、とにかく、あんまり刺激しないようにして、こそこそと見守ることにしよう。。。

 

 それにしても、メジロの巣なんて。

 かなりうれしい^^

 し、楽しそう。

 無事、孵って、育ってくれたら、もっとテンション上がる(笑


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2016_06
17
(Fri)23:22

6/11に、京都行って、帰ってきて、お茶飲んで、はぁ~とテレビをつけたら、たまたま、NHKで「不寛容社会」とかなんとか、討論みたいな番組をやっていた。

(NHKの討論番組って、みんなお行儀がよくて、討論になってない。あのケトラーでさえも、あんなにお行儀がいいなんて、べつの意味で奇妙(笑) ま、それはいいとして)

 

 で、その「不寛容」の結果の一例として、ある小学校の二宮金次郎像、が紹介されていた。

 二宮金次郎像って言えば、薪を背負って、歩き読書、と昔から相場が決まっている。

 のが、それが、「歩きスマホ」を連想させるかなにかで、親からクレームがあって、べつのポーズの金次郎像にした、とか。

 

 うーむ・・・。

 理屈を言わせてもらえば、あれは、「寓意」であって、そのものではない。

 かりに、金次郎がそのように薪を背負って歩き読書をしていたとしても、そあの像が表しているのは、その行為それ自体ではなく、ある意味が込められている。

 たとえば、「寸暇を惜しんで勉強して立派な人になりなさい」とか、「働きながら勉強して立派な人になった」とか。

 学校も、何でそういうことを親に説明しないんだろう?

 ていうか、したけど、ダメだったのか。

 そのあたり、テキトーに流していたので、聞きそびれたけど。

 

 それにしても、笑えるのは、その新しい二宮金次郎像。

 薪を背負ったまま、切り株に腰を下ろして、読書・・・。

 って、どう見ても、仕事サボって、漫画本読んでるようにしか見えない!

 そもそもの金次郎像に込められていたものが、まったく、真逆になっているのには、、、もう、笑うしかないWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW

 すごい、教育的配慮だね。

 

 なので、もう、どうせなら、金次郎の右側に、まさかり担いだ金太郎像でも置いたらどうだ、って。

 まさかり担いでクマと相撲なんかしてると、将来、鬼退治するハメになるぞ、という教訓として。

 あるいは、金四郎像ってのを置いて、入れ墨してても偉くなれるんだぞ、って教訓にしたり。

 ついでに、金之介像、ってのもつけたして、悩んでばっかりいると胃潰瘍になって、血ぃ吐いて死ぬぞ、って。

 

  

2016_06
17
(Fri)22:55

葛焼き  葛製  亀末廣


 P6110151 (448x336)

 

 6/11に。

 それにしても、見事というか。

 亀末さんの上生は、食べる度に感心するし、感銘を受けるし、上生のひとつの見本とでもいうか、上生というのはぜひともこうあってほしいというひとつの理想を体現しているとでもいうか。

 

 葛焼きっていうのは、すごくシンプルなお菓子(だと、ぼくは勝手に思っている)。

 葛と、餡と、水加減と。

 

 以前、末富さんの葛焼きでえらい感銘を受けたことがあるけど、そういう、とんがったところは、亀末さんのにはない。

 というか、末富さんの上生っていうのは、ぼくからすれば、とんがった亀末さんのって感じなので。

 逆に、亀末さんのは、またまだ若い末富さんのとんがったところがとれて、まるく、穏やかに、なめらかになった感じ。

 なので、亀末さんとちがう個性を出そうと、素材の良さを、末富さんは押し出してきているような気もする。

 それが、末富さんのスタイルかな、と。

 

 ま、それはいいとして、今回の葛焼き。

 しっとりとして、とろり、ぷるん、口の中でしぜんにとろけていく。

 なんともいえないこの印象的な口溶けの感じもさることながら、感銘を受けたのは、食後感。

 というか、とろけたのを、こく、とのみこむと、さわ~と背筋をふきぬけていく涼風。

 涼しすぎて、ちょっと、ぞくぞくってしたけど・・・。

 

 この、さわ~と吹き抜けていく涼風。

 葛とか、寒天とか、こういうのははじめて。

 これは、きっと、水加減がとてもよかったのだろう、と。

 

 あぁ、なるほど、葛焼きの涼感っていうのは、こんなふうに演出されるものなのか、と。

 そして、あの、印象的な口溶けがいまでも頭のなかで、ぷるん、ぷるん、と・・・。

 

 もちろん、この、さわ~は、たまたま、その日、そのとき、その葛焼きで、そのときのぼくだったから、感じただけのものかも知れない。

 だとしても・・・。

 あたらしい発見であり、葛焼きにたいするイメージをかえてくれたことにはかわりない。

 これから、葛焼きや、葛のもの、あるいは、寒天系のものなどを食べるときは、きっと、この葛焼きのことを思い出すだろうし、いつも、この葛焼きと比べてしまうことになるだろう。

 この葛焼きを基準にして、どうか、と。

 そういうわけで、だんだん、食べられる上生の範囲が狭くなっていく。

 罪ぶかい亀末さんと、その葛焼き。

 

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2016_06
17
(Fri)22:26

青梅  外郎製  亀末廣

 

 P6110150 (448x336)

 

 6/11に。

 画像はなんとなく黄色目だけど、実際はもうすこし青い感じ。

 

 種は、白漉し餡。

 おなじ日に食べた水牡丹の白餡とちがって、こちらは爽やか。

 外郎は、軟らかすぎず、硬すぎず。

 

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2016_06
16
(Thu)22:04

水牡丹  葛製  亀末廣

P6110147 (448x336)

 

 6/11に。

 亀末さんの、水牡丹、食べたことがなかったような・・・。

 見るのもはじめて、かも。

 姿は素朴。

 紅で染めた白餡を葛で包んである。

 包み方が、店によっていろいろ。

 茶巾で搾ってシワがついている店や、さらにそのしわがあたかも重なっている牡丹の花びらのような店や、あるいは、葛ではなく寒天のシートでくるんである店や・・・。

 それでいえば、亀末さんの水牡丹は、そぼくに手で包んだままという感じ。

 

 葛は、ぷりっ、ぷるん、とろり。

 白餡は、かなり風味の濃いこくがある白餡。

 葛のせいで、よけいにそう感じたのかも。

 雑味もなく、すっきり。

 落ち着いているが、どこか華やか。

 

 

 

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2016_06
16
(Thu)21:37

今年も、そろそろかな、と。

6/11に京都に行った折に、大丸の老松さんで。

 

去年は、萩が一昨年の台風でやられて、和歌山の夏蜜柑のものも。

今年は、さらに、萩・和歌山ともよくなくて、量がなく、6/16で販売が打ち切りに。

そんなわけで、ぎりぎり、手に入った、夏柑糖。

 

P6120156 (448x336)

 

今年のは・・・どっちだろう。

萩か和歌山か。

去年のは、たぶん、和歌山。

すこしばかりぽっちゃりと豊満な感じで、たっぷりとした日の光を感じたので。

今年は、ほどよい酸味があり、バランスのよい風味。

ふくよかというほどでもなく、痩せているというのでもない。

大柄というのでもなく、小粒というのでもなく、ほどほどのほどよいスタイル。

 

それにしても、温暖化のせいでか、だんだん、こういったものが食べられなくなっていく。

今年は、柑橘類は、あまりよくない。

まず、温州蜜柑が、不作。

カリフォルニアのグレープ・フルーツも干ばつでダメ。

三宝柑やデコポンもほとんど見ない。

宇和ゴールドも、宇和島だけでなく、長崎や河内のものなどいろいろなところのものが入ってきていて、それは、逆に言えば、宇和島のが不作ということ。

不作なので、値段も高い。

 

もしかしたら夏柑糖も今年が最後か、なんて思いながら、食べた。

 

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あ、乾隆硝子の茶入れと、おなじ色だ・・・。

 

最後になるかも知れないので、ピールにでもしようかと、皮を冷凍してある。

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2016_06
01
(Wed)01:11

 ここ、一ヶ月半ばかり、また、釜を探していた、というのは前に書いた。

 で、なかなか気にいるのが見つからないので、あきらめながら探すことにした、と。

 そのやさき、「これこれ」っていうのが出てきたので、おもわず、買ってしまった。

 

 松喰鶴の釜とは、対極。

 その釜が、今日届いた。

 さっそく、湯を沸かしてみたが、まあ、多少錆は出るが、長く使っていないのを久しぶりに使うと出てくる鉄のにおい以外変な臭いもないので、二度ほど湯を捨てて、使ってみた。

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 松喰いと鬼霰の間の時期に使いたいと思っていたが、どうも、鬼霰よりもすっきりとして、夏っぽい。

 

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 サイズももうすこしボリューム感があるかと思っていたが、鬼霰よりもこぢんまり。

 

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 蓋が、なんと、共蓋。

 真形釜で共蓋、っていうのが、とってもラブリー^^

 まあ、共蓋の真形釜なんて、いまどき、めったにお目にかかれない。というか、ぼくは見るのはじめて。

 芦屋の古い尾垂れになってる釜で、共蓋のをネットで見たくらい。

 尾垂れになっているから、もともとの真形の原形は留めていない。

 

 P5310128 (448x336)  

 

 地紋も、こんな浜松。

 注文してからネットの画像を見せたら、結構、奥さんは辛辣。

 「ぜんぜん、絵心が感じられない。それどころか、松の葉は、ボンバーマンがぷりぷりこいた爆弾みたい」

 「そこが、いいんだ、って」とぼく。

 「この地紋、釜肌、姿なり、そして、共蓋。それが調和していて、なんともひなびた感じがして、しかも、ラブリー。そして、とってもプライベート感があって、いい」

 

 松喰いや鬼霰には、「主客」というものが意識されている。

 この釜には、それがない。

 スタイリッシュで洗練されていて、都会的で、「主客」が意識される釜。

 それが松喰いや鬼霰など、茶道の道具としての格式をそなえた釜。

 一方、この浜松は、その対極。

 ことに「主客」という意識が、感じられない。とことん、プライベート感いっぱい。

 

 「主客」を意識させるといえば、茶碗にもそういうものがある。

 竹泉さんのなんて、「主客」がぴしっと二分されている。

 いっぽう、猪飼さんのは、ぼや~だったり、もやん、だったり、区別がなかったり。

 そして、虚室さんの飴釉や淡赤など楽焼き系は、「主客」を意識させるが、それがひとつに溶けあっている。

 楽が最高の茶碗とされるのは、きっと、お茶の理想の一つである主客の融和を体現し、象徴しているからだろう。

 

 ほとんどの釜は、ぼくからすると、茶道の道具としてつくられていて、「主客」を意識させるものだ。

 それは、ひとりでお茶をしていても、すごくリラックスしていても、なんとなく「背筋がピンとした感じ」とか、どこか「襟を正している感じ」という、そんなふうな感覚がいつもつきまとう。

 それらの釜によって、知らず知らずのうちにそこには実際にいないが、客を意識していて(させられていて)、「親しき仲にも礼儀あり」といった心持ちになっているのだろう。

 それはそれでいい。

 

 この浜松の釜には、そうではない、心持ちとそれとはべつの魅力がある。

 なんていうか。

 べったりとどこまでも自分のなかにおちこんでいき、浸っていくような感覚、とでもいうか。

 それを、とりあえず「プライベート感」とか言ってるわけだが。

 とにかく、この釜がきたおかげで、いままで、感じつつもはっきり言葉にならなかったものが、言葉になった。

 「主客」を意識させる、あるいは、「主客」の意識。

 松喰鶴もそして鬼霰も、どちらも、この「主客」を意識させる。さっきは「格式」といったが、このことだ。

 

 ここ一ヶ月半ばかり探していたのは、まさに、この「主客」を意識させない釜、だったというわけ。

 

 お茶というものを、茶道としてしている人は、「主客」というのはあたりまえ。あたりまえすぎて、そんなこと、いちいち感じたり思ったりしない。道具も、しぜんに、「主客」を意識してつくられていて、「主客」を意識させるものになる。

 一人でお茶を飲むためにそれらの道具を使っていても、「背筋」「襟」という心持ちになる、っていうこと。

 

 一方、茶道としてお茶をしてないし、しようとも思わないぼく。

 「主客」は当たり前じゃない。一人でお茶をしていることからすれば、逆に、「主客」は特殊な状況。

 しかし、おおくの道具は、「主客」を前提につくられている。

 釜も、というか、釜こそ、例外ではない。

 しっくりくるのが、なかなか見つからないはずだ。

 

 それはそうと、釜の湯の煮える音、鳴りを「松籟」というが、まったく、それは浜松の釜から思いついたのではないか、と思った。

 浜松の釜の煮える音を聞いて、「松籟」と喩えた、名前をつけたのが、一般化したのではないか、って。

 鳴りの段階で、波に喩えられているのも、ほんと、ぴったり。

 このプチ浜松、ナリは小さいが、鳴りは結構風格がある。

 この織部風の、というか、ポップアート風の浜松を、ほんとに、松籟がわたっているように聞こえてくる。

 こんな「絵心のない」「ボンバーマンの爆弾」のような浜松でさえ、なのだ。

 釜の中の釜、といえば、やっぱり、浜松の地紋の真形釜。

 そして、その浜松を渡る松籟。

 

 あ、そうそう、それに、乾隆の小壺ととりあわせると、「松竹梅」が完結する。

 

 たまたま、鬼霰の唐金の蓋があうので、ちょっと使ってみた。

 

 P5310130 (448x336)

 

 まあ、これはこれで、わるくないか。

 

 でも、やっぱり、共蓋の方がラブリーでチャーミングでファンタスティック!

 はじめて画像見たとき、ときめきがおさえられなかった(笑

 

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