2016_12
27
(Tue)23:17

あんまり、楽しい記事にはならない模様・・・(笑

 

たまたま、テレビをつけたら、「不寛容社会、云々」ってニュースかなにかの特集でやっていて。。。

例にあがっていたのが、除夜の鐘。

除夜の鐘がうるさいとクレームがあったので、「除夕の鐘」にしたとか。そう、夜中に鐘をつくのをやめて、お昼から。

また、保育園がうるさい、とクレーム。

また、マンション内に児童相談所ができるというので、マンションの住民が反対、で、結局、反対大多数で、つくれなかった、とか。

あるいは、盆踊り。うるさいと苦情があったので、ラジオからながれる音頭を各人がイヤホーンで聴きながら・・・。静か・・というか、けっこう、異様、だったり。。。

また、今年はノロがはやって、各地で餅つき中止。

で、これら、クレームによってやめたり、変わったりしたことに対して、どこかの金魚すくいは、続行。自然の川に金魚を放して、大勢の子ども達が、網などで追っかけ回している映像が・・・。

(ぼくには、ある種の「動物虐待」のようにも見えてしまったが・・・)

 

そういえば、祇園祭のお囃子の稽古も、近所のマンション住民からうるさいと苦情があるので、時間など非常に気を配っている、とか言う話しも、テレビで見たことがある。

 

まず、思うのは、これって、「不寛容」っていう問題なのかなあ・・と。

いままでそれでよかったから、って、これからもそれでいい、ってこともないわけで。

「不寛容」っていうより、いままでは、圧倒的多数がやりたいようにやってきたことにたいして、少数者が、ちょっとばかり、言いたいことが言えるようになった、てことじゃ?

 

盆踊りとかでも、今まではうるさいのを我慢してた。そんなことで苦情を言ったら、「あの家はおかしい」とか近所で言われて、いわゆる「村八分」みたいにされてしまう。ので、がまんして黙っていた・・・それだけのことじゃないか、と。

盆踊りしてる方は楽しいし、そんなこと、気にならないし、そんな問題、ありもしないって、思ってただけで。

もともと、あった確執や問題が、表面化してるだけじゃないか、と。

 

まあ、少数者が、ネットとかなんかで、言いたいこと言えるようになった、というのはおおきいとしても。

 

マイノリティというくくりで見れば、同性愛者等々、今流行りのマイノリティの問題とおんなじやないかなぁ、とも。

おなどしいうか、つながってる。と、おもうんやけど。

 

なのに、盆踊りなどなどは、苦情言う方が、「不寛容」とかいわれて。

うるさいもんは、うるさいでしょ(笑

 

除夜の鐘だって、僕的には、いいなぁとおもうけど、たとえば、寺のすぐ隣に住んでて、盆暮れ正月関係無しで、元旦早々、朝早くから仕事がある、しかも、ここんとこハードで疲れ切ってる・・・そんな状態だったら、何が除夜の鐘じゃっ! て・・・。

苦情があった、とはいっても、苦情を言う方のことまでは、ほとんど誰も考えない。

それこそ、「不寛容」って。

 

でも、ムッと来たのは、それよりも・・・。

苦情があったが、金魚すくいを実行しきったおじさん。

このひと、お寺の和尚さんのようだった(除夜の鐘がうるさいと言われて「除夕の鐘」にした寺の和尚さんとは別)。

で、除夜の鐘の苦情についてはなしをきいたあと、こう言った。

 

「個人個人の問題なので、がまんしてもらうしか、しかたないですよね。除夜の鐘をうるさいなんていう人は、心がゆがんでいるんじゃないですか」

 

と。

これって、ほんと、マイノリティに対して、偏見を持っている人が平気で口にする、典型的な言いまわし、常套句、やないかと。

こういう人たちが、圧倒的大多数で、自分たちのやっていることはただしい、よいと思いこんで、自分たちのやってること、あるいは、そもそもその存在自体になんの疑問も持たずに、少数を黙らせてきてのがいままでの社会だよな。

 

まあ、もちろん、クレーム言う方にも、ひどいのもいるけど。クレームつけるのを愉しんでるようなのとか・・・。

騒ぎたいだけのヤツとか・・・。

 

除夜の鐘をうるさい、と苦情を言う人は、ほんとうに、みんな、心がゆがんでいるん?

たしかめたんか? といいたくなる。

あんただけの、そして、あんたらだけの、思いこみやろ?

 

ぼく個人としては、除夜の鐘、いいもんやな~と。

とくに、年越し茶してて、とおくから、聞こえてくる鐘の音・・・。

でも、世の中にはそうじゃない人がいるし、そうじゃない人がいてもいいんだし。

そういう人たちのことを頭ごなしに「心がゆがんでる」とか決めつけるのは、いかがなものか。

こういう和尚が鐘をつくというのなら、「除夜の鐘」やめろや、と言いたくなる(笑

なんせ、ぼくの方こそ、心がひねくれてるんで(笑

 

  * * *

 

保育園とか、幼稚園とか、ぼくが子どものころは、わりと、街のはずれとか、そういうところにあったような気もする・・・。

最近は、住宅地とかにできるから?

子どもの声もうるさいかも知れないが、それよりも、マイクでしゃべったり、音楽鳴らしたり・・・っていうのが、けっこううるさいかなと、時々通るところに幼稚園だかがあるが、そう感じる。

いちおう、WHOの騒音とかの基準があるので、幼稚園だろうと、工場だろうと、基地だろうと、そういうのは守るようにすべきでは?

 

まあ、除夜の鐘くらい、年に一度のことなんやし・・・。

ただ、「除夕の鐘」にした寺の住職さんの話しでは、苦情の電話はいきなり、恫喝みたいな感じやったと。これがほんとだとすると、なんか、ただ、うるさい、っていうだけじゃなくて、それにかこつけて、地上げとか、からんでないのかな、なんて、おもったり。

 

盆踊りは、いわゆる町内会だの、自治会だの主催ののに、子どものころ、よく行った(笑

ただ、子供心に、こんなうるさくて、大丈夫?って思ってたけど(笑

 

ま、とにかく、「不寛容社会」っていう言葉が、すり替えのような気がする。

問題の本質からわざと目を逸らさせようとしているのかね。

 

「不寛容」どころか、立場を変えれば、「寛容社会」なわけで。

たとえば、法的に同性愛者の結婚を認める、なんて、「寛容」なわけで。

大多数からすれば、「不寛容」。少数からすれば、「寛容」。

「不寛容」と言っている人たちは、自分がどこにいるのか、わかって言っているのかね。

まあ、それに、同性愛者の結婚と言うことで言えば、やっぱり、これは「寛容」とかの問題ではなくて、少数者が勝ち取った権利、という問題なわけで。

「除夜の鐘がうるさい」といって、「除夕の鐘」にしたのも、少数者が勝ち取った権利、とも言えるわけで。

歴史というのは、ある視点に立てば、常にこういった権利獲得の繰りかえしで、今起きていることも、まあ、そういうことといえばそういうこと。

いままで、少数者になんかこれっぽちも権利どころか、言い分さえ認めていなかった、圧倒的多数者社会。

それが崩壊しはじめたまでのことやんか。

「不寛容」なんて騒ぎ立てているのは、きっと、旧態依然とした、圧倒的多数者の残党なんじゃないかな。

 

ま、個人的には、いろいろなクレームに対して、言われる方も対応力がなさすぎるかな、とも。

いままで、圧倒的多数者として「なあなあ」で、ぬるま湯につかってきて、異質な者にたいして、数で圧倒するしかノウがなかったわけで。

そのツケが回ってきてるだけ。

「不寛容」なんていって大仰にさわいでいる者たちは、どうしたら、そういう、異質な者たちを説得できるか、よくよく学習するいい機会(笑

  

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2016_12
26
(Mon)01:00

ミニ京のよすがは、二階建てになっている。

 

12/17に買ってきたのの、一階。

やっと、二階がなくなったので・・・。

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ちなみに、二階。

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ちょっと、入っているものもちがっていたりする。 

落雁が、一階は、松(結び昆布の左)。二階は、笹(黄色いの)。

松露の色も、一階は、白(おっぱいじゃないですよ~)、二階は、ピンク。

また、二階には、椿の葉(カタクリ)。

 

昨日、12/24の、ゆる茶のお菓子。

だんなん

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ミニ京のよすがの、椿(求肥、白漉し餡)と岩(もみじの葉の下の黄緑色)。

もみじの葉は、塩芳軒(さざれ石にはいっている)。椿の左隣の四角いのも、塩芳軒の さざれ石(和三盆)。

一番下は、シュトレン(亀末さんではない)。

 

求肥餅。小さいからといって、侮る事なかれ。白漉し餡の随まで、やっぱり亀末。

はんなり品のいいところは、そのまま。

 

シュトレンは、クリスマスなので。

 

奥さん 

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梅の花(すり琥珀)、松(求肥きんとん)、岩は、ミニ京のよすが。

シュトレン。

彩りに欠けるので、紅葉の葉っぱをあげた^^

 

その他、ミニ京のよすがのお菓子。

 

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梅、結び昆布(すはま)、岩。

四角いのは、さざれ石(塩芳軒)。


ミニ京のよすがのすはま、大好き。しっかりとした風味で、よく詰まっているというか、密な感じ。密で、緻密。

梅は、外はさくっと、なかは、つる、とろ、とでも言うか。

日にちが経ってくると、外の固いところがだんだん分厚くなって、固くなっていく。

 

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これは、「こがらし」の。

波紋(これは、ちょっと名前を忘れた。結婚式の時などにもでで来ることがあるお菓子。ちょっともさっとした口あたりの・・・なんて言ったかな・・・)

岩。

さざれ石(塩芳軒)。

 

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2016_12
26
(Mon)00:28

なんか・・・。

この前の、近所のスーパーで買った、れいのボージョレー・ヌーボー・ヴイラージュが美味しかったので、なんとなく、そのスーパーのワイン売り場で、見たりしているんだけど・・・。

で、なんとなく、目についたのが、キャンティ・ロッジャ・デル・コンテ、という銘柄。

なんで目についたかというと、おなじので、2013と2014があり、2013の方は、1500円くらい、2014は、800円弱という価格。

 

何でこんなにちがうのかな?

とりあえず、考えられるのは、ヴィンテージのちがい。

2013年はよい年で、2014年はまあそれほどでもないか、普通なみくらいか。

あとは、為替の影響で、2013は円安の時に仕入れて、2014は円高の時に仕入れたか。

 

ネットで、イタリアのヴィンテージ・チャートを調べてみると、おおよそはそんな感じ。

つまり、2013は偉大な年で、2014はまあまあな年。

値段の違いはそこなのだろう。

裏のラベルを見てみると、2013の方は「フルボディ」、2014の方は「ミディアムボディ」

とあった。

それも、まあ、ヴィンテージを反映しているといえば反映している。

 

とりあえず、ダメ元で、2014の方を試してみることにした。

ダメ元、というのは、キャンティと言えば、薄っぺらくて、酸っぱいだけのワイン、というイメージがあるので、、、。

にしても、その、薄っぺらくて、酸っぱいだけのワインに、「フルボディ」だの「ミディアムボディ」だの・・・ほんまに?

 

PC240635 (448x336)

 

栓を開けて、ちょっとびっくり。

アロマがいい。ちょっと、メドックぽい。

ブーケは、チェリーや菫・・・と、裏のラベルに書いてあるとおり。

飲んでみても、これは、なかなか。

おもにチェリーのジャムの風味、やわらかく、それなりにコクもある。

 

これが、キャンティ?

でも、ま、とりあえず、ハズレでなくてよかった^^

 

ちょっと青っぽい酸味はガメイっぽく、うまみはブルゴーニュのピノを思わせ、チェリーの果実味はメドックの雰囲気。

ただ、やわらかい。

そして、やはり、これらのどこともちがう。

あと、複雑さともったいぶった感じが出れば、高級感も(笑

ワインだけでも充分楽しめる。

 

薄っぺらくて、酸っぱくて、タンニンがつよい、というキャンティのイメージは、ぼくだけじゃなくて、うちにあるワイン本にも、言葉はちがうが、結局おなじイメージだとあった。

(そして、ワインだけで愉しむものではなく、大量のスパゲッティと)

つい、二十年前までは、キャンティと言えば、そんなワインだったのだ。

それが、いまは・・・まったく、ちがう。

まあ、ワインは、葡萄の育て方や作り方、ワインの作り方や風味など、結構、流行があるらしいが、それにしても、このキャンティの変わりようときたら。

こういうお安いワインの品質の向上という点でも、めざましいものがあるなあ、と。

しかも、こういう安くて高品質なワインが、近所のスーパーにおいてある、というのも驚き。以前なら、スーパーのワインなんて、、、はっきり言って、ろくなもんなかった。

 

それにしても、ボトルも、いわゆる、キャンティのイメージとはちがっている。

キャンティと言えば、壺型の、藁みたいのが巻いてあるボトル。

メトの「愛の妙薬」でも、パヴァロッティのネモリーノが、妙薬だとダマされてしこたま買った安ワインのボトルをつなげて首にかけてでてくるのだが、それが、キャンティのボトルだった。

(とはいえ、セリフ上は、「ボルドー」。ドニゼッティのころは、イタリアで安ワインと言えば、ボルドーだったらしい) 

 

以前は、安いワインと言えば、うすくて、単調なワインが多かったような気がする。

それが、800円程度で、このくらいのワインがあるなんて。

たしかに、ビン熟もしていないし、複雑さという点ではお高いワインには及ばないが、それでも、この価格でも、いろいろと試してみる価値のあるワインがある、というのが、嬉しい。

 

以前、というのは、ブルゴーニュで、1500円くらいからやっと楽しめるのが、ボルドーだと2000円以上ださないと、という感じだったころ。

 

まあ、複雑さがないのは、値段ではなく、キャンティだからか。

以前、ビン熟したキャンティというのをのんだこともあるが、それとくらべると、むしろ、こっちのビン熟なしのほうが、素直で、キャンティらしいと言えばキャンティらしいかな、と。

顰めっ面した、複雑さはボルドーならではの個性か(笑

といって、ブルゴーニュのような、ピュアな感じもないが。

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2016_12
23
(Fri)20:49

林和靖詩集、巻一の3首目は、

 

  上湖閑泛。艤舟石函。因過下湖小墅。

 

というのだけど、なんか、もうひとつなので(よくわからないので)、4首目、西湖舟中値雪に。 

 

   西湖舟中値雪(ゆきにあたる と読むかな?)

 浩蕩(こうとう)として弥(ますます)空は𤄃(ひろ)く  霏霏(ひひ)として水濆に接す

 舟は移りて忽ち自ら卻(すきま)し  山は近くして未だ全く分かたず

 凍軫は閑清として泛(うか)び  温鑪(おんろ)は薄薫を擁す

 悠然と招隠を詠ず いずくにか離群を欵(よろこ)ばん

 

題は、西湖で小舟に乗っていて、雪が降ってきた、という感じ。

 

1句め。浩蕩は広々とした様。それが、さらに、広々としている空。湖上にひろがる広々とした空、というのは、同時に、湖の広さも言っているか。

その広々とした空から、雪がしきりに降っている。

 

卻、すきましと読むのかどうか(笑 まあ、間、隙間という意味なので、そんなふうに読み下してみた。舟が移動して間ができた、というのは、岸との間か? 8句に、「離群」とあることから、「俗世間を離れて」というニュアンスもあるかな、と。

近い山は激しく降る雪に見分けがつかない、と理解したけど、ほんとはよくわからない^^

 

軫は、車の横木。なので、ここは、舟縁かなと。

鑪とは、いろり、また、酒がめとも。つまり、酒を温めていて、よい香りがしている、という感じかな^^

縁が凍てつくばかりの舟はのどかにしずかに波間にゆれ、温めている酒からよい匂いがする。

「擁薄薫」という言いまわしが、なかなかいいなあ、と。擁す、ということで、あたたかさや芳香が寒さの中で、籠もっている感じがする。

屋形船みたいな屋根付きの小舟で、携帯囲炉裏のようなものを持ち込んで、酒にカンをつけて、一杯。

ゆらゆら湖水にゆれ、外は降りしきる雪、そんな情景を詠じているよう。

 

招隠というのは、「招隠詩」のことで、隠者を招くことをうたった詩のこと、らしい(晋のころの詩)。

昔の隠者のことをうたった詩を詠じ、たぶん、そんな隠者の気持ちを推し量って、「どこかでひとりであることを喜んでいることだろう」と。とどうじに、和靖さん自身の気持ちも託しているかと。

 

俗世を去って、降りしきる雪の湖上で、ひとり、のどかに舟にゆられて、燗酒を一献^^

唇には、詩あり・・・。

 

別に世捨て人じゃなくても、こういうのは、いいなぁ、って。

でも、降りしきる雪っていうのが、とても寒そう・・・。

 

それにしても、なんか、俗っぽいのか、俗っぽくないのか・・・^^

でも、まあ、この2句はとてもいい。

 

 凍軫は閑清として泛(うか)び  温鑪(おんろ)は薄薫を擁す

 

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2016_12
22
(Thu)23:31

この前の、林和靖詩集。

あの明治30年のは、さすがに、ちょっと敬意を表して、直接扱うのもなんなので、コピーして、複製をつくった。

全部コピーするのは手間なので、まず、第一巻の分だけ。

それでも、五言律詩が、90首ほどあるらしい。

 

PC220627 (448x336)

 

今日は、二首目。

 

PC220628.jpg

 

コピーなので、こんなふうに、書き込みもできるし・・・^^;

 

  秋日西湖閑泛 (しゅうじつ せいこ かんぱん)

 

 水気 山影に并び  蒼茫 すでに秋を作る

 林は深くして寺を見るを喜び  岸は静かにして舟を移すを惜しむ

 疎葦(そい)は寒さに先んじて折れ  残虹 夕べを帯びて収む

 吾が廬(いおり) 何處(いづくに)か在る  帰らんとして 漁謳起こる

 

 

題から、秋の一日に、西湖でのんびりと舟にゆられている、といった情景をうたっているよう。

 

いきなり、「水気并山影  蒼茫已作秋」と、和靖さんらしい起句。

これは、湖水に山影が写り、秋の空の青さをいっているかなと。それにしても、言いまわしが、いい^^

 

3、4句も、和靖さんっぽい感じで、深い林の中に寺があり、岸から静かに舟が離れていく様子をうたっているのだろうけど、「喜」と「惜」をどうとるか。擬人化して、その情景のどういうニュアンスを言おうとしているのか・・・は、いまのところ、ちょっと、わからないなぁ。。。

 

まばらな葦が折れていて、まだ冬でもないのに、いかにも寒々しい感じ、っていうのが、「先寒折」っていう表現のニュアンス、かなと。

かすかに残っていた虹も、夕闇に消えていく、っていうのが、六句目。それにしても「帯夕収」も、なんとも、いい。

 

日も暮れてきて、ちょっと、我が家である庵が恋しくなった和靖さん。

帰ろうとすると、どこからともなく、舟歌がきこえてきた・・・。

 

 

 注 雰囲気だけで読み下して、雰囲気だけで訳しているので、読み下し方、語法など、かならずしも正しいとは限りませんので、その点、あしからず^^


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2016_12
22
(Thu)22:35

昨日、12/21、琵琶湖近辺のこのあたり、すごく、霧が出ていた。

午前中だけかとおもったら、午後も、そして、夕方も。

JRも遅れるほど。

ここまで濃い霧、っていうのはすごくめずらしい。

 

ので、写真をとった^^

午後五時前後・・・

  

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それにしても、夕暮れで、ここまで霧が深いと、これは、まさに、この前の林和靖の詩にあった、

 

 杳靄(ようあい)漁魛(ぎょとう)を隔つ

 (暗くなっていき、靄が漁船を見えなくしている、様)

 

なんて光景が見れないか、と思いついて、急いで琵琶湖へ。

 

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電灯がついているところ、国道。

 

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琵琶湖へ流れ込む用水。

 

この木々の向こうが琵琶湖。 

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湖岸。 

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さすがに、画像では、波までは・・・。

露光時間が長くて、波紋は写らない・・・残念。

でも、もう、こんな感じで、漁船どころじゃなかった。

 

晴れていれば、向こう岸に、伊吹山なども見えるが・・・。

 

カメラでは波が写らないので、動画で撮ってみた・・・

 

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ちょうど、凪、というか、波が静かな時間だった。

中盤から、みずうみのなかに棹のようなものがたっているのがみえるのは、えり漁の定置網。

肉眼では、もうすこし明るく、青く見えた。

 

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パチンコ屋も風情がある・・・(笑


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2016_12
21
(Wed)22:43

昨日は、お茶を飲むのに、表だって必要な道具について、ざらっと。

今日は、表だって登場するわけではないけど、必要かな、という道具について。

 

これ、水屋での写真。

PC210588 (448x336)

 

使う前に、こうやって、柄杓、蓋置き、茶巾などは、水に浸しておく。

そのときに必要なのが、茶巾盥。

それ用の道具はあるけど、うちでは、ふつうのキッチン用の盥を使っている。

夏場などは、茶筅もいっしょに浸しておく。

今は、茶碗を温めるために茶碗にお湯を張るので、そのお湯に、茶筅は浸している。

 

これらは、お茶を漉す道具。プラス、クセ直しの茶筅。 

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左の筒が、茶漉し。手前は、茶漉しのフタ。

 

隣が、茶漉しの篦。もともと、べつのものが茶漉しについていたが、小さくて使いにくいので、この篦にした。

この篦は、もとは、竹のしゃもじ。手に持ったとき、ちょうどいい大きさなので。

尖端を削り角度が茶漉しの金網にあうようにして、横も落として茶漉しの径にあうようにした。

 

篦の隣の匙は、茶漉しから茶器にお茶を移すときに使う。

ぶつけても茶器を傷つけないように、軟らかい木製のものなどがいいかと。

 

お茶は、40グラムなり、20グラムなりを、一度にこの茶漉しで漉して、茶入れには小分けにして入れている。

茶漉しに残ったのは、茶漉しの網をとって、蓋をして冷蔵庫に。

茶入れのお茶が減ってきたら、足している。

 

茶入れは、塗りのものとガラスのもの、二種類をいっしょに使っている。

というのも、二種類お茶を飲むので。

昨日の盆の上の画像で、右に漆の薄茶器と左に黄色いガラスのがあったのは、そういうこと。

漆の方は冷蔵庫に入れられないので、食器棚に。

ガラスの方は、冷蔵庫に。

ただ、夏場は、両方、ガラスの茶器に入れることもある。

涼しげなのと、お茶の品質がすこしでもおちないようにするため。

 

お茶は、漉さずにそのまま使うこともできるけど、漉さないとダマになりやすい。

茶漉しには、ほかにも、いろいろなものがあるので、自分の使いやすいのを選ぶのがいいかと。

 

茶筅、茶碗、茶入れ、茶杓、茶巾、建水、袱紗、蓋置き(茶巾をおくもの)、湯を沸かす道具、それから、茶漉し、茶巾盥、ひとり用のお菓子の器、あと、運びやすいように大きめのお盆(建水や袱紗などもいっしょに乗る方がいいかも。盆点前そのままだと、建水は別に運び込むことになるとおもうので)などがあれば、まずはどこでも、お茶がはじめられるのでは、と。

これらの道具のなかで、代用がきかないものは、茶筅、袱紗、茶巾、茶漉しくらいで、あとは、いろいろ、あり合わせのものでも、工夫次第で、なんとかならないことはないし、わざと、茶道具ではないものをつかったりするのも、面白いかと。

(もともと、たとえば、薄茶器の棗などは、化粧道具の白粉入れだったり、茶杓も、薬用の匙だったとか。茶碗にしても、お茶のためにつくられた物ではなく、雑器を見立てて使ったり)

 

ただ、建水や蓋置きなどは、できるだけ、木や竹ものもが。

とくに建水は、陶磁器や唐金のは、重いし、もしものとき、茶碗が欠けてしまうことなどをふせぐためにも、その方がいいかかな、と。

昨日のように、一つのお盆でいっぺんに運ぶぼくの場合は、とくに、木のものが重宝して。

もちろん、使う人の趣味にあったものであればいいわけだけど。

 

あ、あと、忘れてはならないのが、抹茶と、お菓子^^


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2016_12
20
(Tue)23:25

お茶をはじめるにあたって、最低限必要な道具、って・・・とちょっと、考えてみた。

とりあえず、いま、ぼくが使っている道具。

 

床の道具 

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軸、線香立て、花入れ、花台。

お茶を飲む、ということだけに絞るなら、まあ、これらは、あればいいが、特になくても不自由しない。といえば、不自由しない。

床があれば、もちろん、あるといいし、あるとないとでは大違いだけど・・・床がないなら、べつに、なくてもいいかも。。。

 

湯を沸かす道具

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釜、電熱コンロ、やかん、敷板。

これらは、かならず必要。

ただし、釜は必ずしも釜である必要はないし、そのほかのものも、これらである必要はない。

一番初めの頃は、カセットコンロ(鍋で使うあれ)とこのヤカンで湯を沸かして、お茶を点てていた。

それが、ヤカンが鉄瓶になった。お湯が美味しくなる、というので。

それに伴って、カセットコンロは鉄を錆びさせてよくないので、いまの電熱コンロに替えた。

ずっと、鉄瓶で、そのまま、茶碗に湯を注ぐ、というやり方をしていた。

このブログにも記事にしたが、義叔母からひしゃくの扱いを教えてもらって、なかなか、柄杓も悪くないと柄杓を使い出した。

そのあと、釜をもらって、釜はとても良い物だと知ったので、以降、釜で湯を沸かすようになった。

だが、湯を沸かすのには、なにも必ずしも釜でなければならないわけではない。

コンロもおなじ。IHヒーターなどでもいい。

あるいは、湯沸かしもできて保温もできるポットなどでも。

いつもの宿に行ったときは、宿のそのポットを使ってお茶を点てるが、なんか、ポットは使いにくいし、ちょっと、風情がないかも。

 

お茶を飲む道具

PC200563 (448x336)

 

いま、ぼくが使っている道具。

このようにセットして、部屋に運んでくる。

これを運び込む前に、菓子を運んでくる。

こうやって、一度に部屋に運び込めるようにしている。

所謂、盆点前ともちがうし、運び点前ともちがう。その両方を併せたような感じといえばそんな感じかも。

自分の家の事情と、どういう風にお茶が飲みたいか、ということで、このようにした。

 

さて、お茶を点てて飲む上で、これなしではできない、というのが、茶筅。

 

PC200576 (448x336)

 

これだけは、代用がきかない。

ほかの道具は、茶道具でなくても、何とでもなるが。

茶筅にもいろいろあって、とりあえず、穂の数で言えば、数穂、という、いちばん穂の数のすくないものをつかっている。値段的には、一番安い。

しかも、中国製。

中国製は、安いが、よくない。

竹にしなやかさがない。が、結構、ながもちしたり・・・^^;

できれば、高山茶筅がいいかと。

穂の数が多いと、泡立てやすい。流儀によって泡の量にもいろいろあるけど、流儀に関係ないぼくは、好みで、夏は少なめ、冬はしっかり泡立てている。しっかり泡立てるにも、数穂ぐらいで充分。

6本いくらとかいう茶筅を買っていて、そのなかに、数穂と80本立てが、何本ずつか入っていて、それを適当に使っている。

使った後、ティシューで、お茶を拭き取り、濯いで、クセ直しに立てておく。

使う前は、茶碗を温めるために湯を張っておくので、そのなかにつけている。これが、まるで、茶碗の風呂につかっているみたいで、ほんとの、「茶筅湯治」(笑

 

茶碗も、なくてはならない。

けど、これは、ご飯茶碗でも、代用できたり(笑

(じっさい、いぜん、ちっょと、面白いご飯茶碗があったので、使っていたことがある)

趣味の問題。

 

茶入れ。

これも、代用できる。し、なんとなれば、抹茶はたいてい缶に入っているので、そのまま使える。

これも、好みの問題。

 

茶巾。

これは、必要かも。

もっとも、点前を略して、そのままお茶をはいて点てるのなら、必要ない。

 

茶杓。

これも、代用できる。

 

袱紗。

点前をしないなら、必要ない。

 

建水。

これも、点前をしないなら、不必要。

一服飲んで、キッチンに茶碗をすすぎに行って、また、こっちで点てる、とかすれば。

 

蓋置き。

これも、点前をしないなら不必要。

 

柄杓は、釜のところで書いたとおり。

 

点前をする理由は、気分の問題、かな。

点前しないで、ただ、お茶をはいて点てて飲むだけでは、なんか、その気にならないので。

ぼくの場合、この部屋で、床に軸や線香があって、釜があって、お菓子を食べて、点前をしてこそ、「お茶」という感じ。

 

京都へ行って帰ってきて、疲れていても「お茶」となると、どれも省けない。

茶碗を、事故が起きたときのことを考えて、安いのにするとか、線香をたかないとかはするけど。

ただ、抹茶を飲むだけ、が「お茶」ではなくなっている、ような。

 

でも、はじめから、ひととおりの道具が揃っていたわけでもなくて。

いるものから、順々にそろえていったら、こうなっていた感じ。

ただ、その「要る」というのが、多義的。

釜はただ湯を沸かすためだけの道具ではない、という意味で。

ヤカンでもできるけど、ヤカンではダメで、釜でないと、と。

 

茶筅以外、お茶の道具、っていうのは、そういうところがある。

代用しようと思えば、普通の、日常のキッチン道具や食器類などで代用できる。

でも、それではダメだなあという、一線がある。

点前をするのも、その一線のひとつ。

点前なしで抹茶を飲んでも、イマイチ。

(客として呼ばれているときは、点前なんてする必要まったくないけど^^)

 

とりあえず、薄茶の四畳半風炉の運び点前で、点前の流れや、袱紗さばき、茶器・茶杓の清め、茶筅とおし、などなどの基本の所作を身につけて、そこから、工夫して、自分の家の事情にあった点前を編みだしていく、というのがいいかと。

「お茶」の方にあわせるのではなく、「お茶」を自分の身にあったものにする、それが、肝要かと。

好きでやるんやから、ね。

表だの裏だの、流儀のお茶をやるのならそれなりに習わないといけないだろうけど、好き勝手にやるんだったら、それらは「お手本」であっても、その通りにする必要はないわけだから。

自分の家の事情、たとえば、使える部屋の広さや間取り、あるいは、まるまる使える部屋はなくても使える空間のひろさ、洋間か和室か、などなどからはじまって、これらの道具一つ一つに至るまで、自分の身にあったものを工夫し、選ぶこと。

かな^^

  

 自喩適志 みずからたのしみてこころざしにかなうかな 

 


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2016_12
19
(Mon)22:50

12/17、京都にいき、亀末さんとこにも。

ミニ京のよすがを買ってきた。

 

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蓋を開けると・・・

 

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まだ、一つも食べていなくて、ただ、写真を撮っただけ^^

 

やっぱり、同じ月でも、ちょっとずつ、ちがっている^^

 

半生のそぼろ と 黄色い落雁。

以前のとは違っていたような・・・。

 

比べやすいように、カテゴリーに、「ミニ京のよすが」をつくって、以前の記事もそこにいれようかと。

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2016_12
19
(Mon)22:40

12/17、上生、ミニ京のよすがのほかにも、大納言も買ってきた。

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食べたのは、翌18日。

 

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今年は、やはり、丹波大納言の出来はよくないそうだ。

小豆に限らず、ほとんどの果物や野菜がよくないみたいだが。

 

丹波大納言も天候不順でなりがおそくなったということ。

 

食べてみると、皮がけっこう厚い。

しゃり、しゃり、というか。そんな歯ごたえがある。

が、去年のもののように、かたいということはない。

粒は大きめか。

 

と、突然、奥さんが、

「これは、大納言ではない」と。

そう、よくみると、小豆が、ほとんど、割れている。

なぜ、この小豆のことを大納言というかというと、煮ても裂けない、「腹が割れない」から。

大納言は武士のように「腹を切らない」、つまり、煮ても割れないことから、この名前がついているわけだが、今年のは、どうやら、割れやすいようだ。

だが、自然のものなので、こればかりはどうしようもない。

ワインのように、その年の「天候を楽しむ」、「味わう」よりほかない。

 

ただ、思い出す。

以前の、皮が軟らかく、しなやかだった、大納言の口あたり。

小豆の風味自体も、もっと繊細だったような気もする・・・。

そういう小豆でてきた亀末さんの「大納言」を、また、味わえるときがくるだろうか?

 

来年が今年より、天候不順がましになる、ともあんまり思えない・・・。

地球温暖化という観点からいえば、よくなることなんてなく、悪くなる一方としかおもえない。。。

こうゆうものも、いつまで、食べることができるのか・・・。

 

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2016_12
19
(Mon)22:18

17日、京都へ。

買い物、亀末さんへ。

帰ってから、ゆる茶。

外は真っ暗なので、すだれをおろした。

 

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軸、田能村直入の四君子図。

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上から、梅、竹、菊、春蘭、が描かれている。

梅や菊や春蘭のよい香りがしてきそう。

いちま、おやすみ中に、よい香りの夢をみたそうな^^

季節を問わないと言えば問わない軸。

庭が枯れてきているので、ちょっと、華やかに。

 

賛に、「建国二千五百三十六年」とあって、どうやら、所謂「紀元2536年」に描かれたもののよう。

で、紀元2536年とはわかる年号で言うといつかというと、明治9(1876)年。

もう、140年ちょっと前のということになる。

表装は、緞子。

140年前に描いた人の、筆遣いや息づかいがそのまま残っている、というのも、なんか不思議な気がする。

見てると、なんか、いい(笑

 

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墨で、濃淡、筆遣いだけの画だけど、見ていると、春蘭など、花の色を感じる。

全体で、すかすがしい感じもするのも、墨だからかも。

これが、そのものの色で描かれていたら、はたして、すがすがしい感じとかするのかどうか。

 

ひさびさに、亀末さんの上生。

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松の雪  きんとん製

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種は、黒粒餡。

雪は、薯蕷。甘い薯蕷。芋っぽいところはぜんぜん感じられない。とても、ミルキー。

そぼろは、白餡のよう。濃厚。

全体では、クリーミーでみずみずしく、濃厚。そぼろの白餡を引き立てるような、種の黒粒餡。

 

梅  こなし製

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きんとんとならんで、さむくなってくるとこなしも美味しくなってくる。

種は、黒漉し餡。

ただ、すこし残念なのは、持ち帰ってくるうちに、表面が乾燥して、硬くなってしまうこと。

餡はとろけるよう。

たぶん、できたてなら、こなしも餡と調和していることだろう。

硬くなっていても、それでも美味しい。

 

雪餅  道明寺製

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見てるだけで、ぶるぶるっ ときそう。

氷餅粉のしたにみえる、道明寺の透けている感じがとても寒そうで、雪か氷のようで、とてもよかったので、思わず、買ってしまった。

種は、白漉し餡。

雪輪の焼き印が押してある。

道明寺は、やわらかく、とろけるよう。

つぶつぶとした感じはまったくなく、ひとつぶひとつぶを感じさせることもなく、とろりとしていた。

口にしたとたん、ひや~っと、まるで、雪の玉をかじったような、あのひんやり感。

背筋も、ぶるぶる・・・。

雪の玉なんて、もう、ずっと、囓ってないなぁ・・・。

雪を感じられて、とてもよかった。

 

それにしても、あまりにも、ひや~、ぶるぶるなので、すぐに熱いお茶を^^

 

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あたたまる。。。

 

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釜も、このどっしりとした万代屋釜は、寒いときには頼もしい。 



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2016_12
16
(Fri)23:26

狩野晴川院の軸に、「林和靖図」というのがあって、それを手に入れた。

ここ二週間ほど飾ってあったけど、ちょっと、写真を撮るのを忘れてしまい・・・。

 

林和靖(りん なせい)は、中国、宋の時代(今から1000年くらい前)の詩人。

であり、所謂、隠遁者というか。

出仕もせず、街にもいかず、西湖の孤山に盧を結んで暮らしていた、とか。

「梅が妻で、鶴が子」といったとか言わないとかで、晴川院の画でも、梅と鶴がいっしょに描かれている。

 

さて、その軸で興味が湧いて、ちょっとヤフオクで見てみたら、「林和靖詩集」なるものが。

で、ちょっと、買ってみた。

510円で、送料、180円。

それが、今日届いた^^

 

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文庫本くらいの大きさ。

 

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古い、といえば古いようで、明治30年の本^^

もともとは和綴じの本だったようだが、ワサのところがぼろぼろになったからなのか、切ってあった。

 

さて、それはいいとして、さっそく、ちょっと 、ひとつ、ふたつ、詩を読んでみた。PC160556 (448x336) 

一二点だの、レ点だの、どうしようもなさそうなので、画像で(笑

  

PC160506.jpg

 

では、ちょっと、拙い読み下しを・・・^^;

  湖楼晩望

湖水 空碧に混ざり  闌に憑きて 凝睇労す

夕寒 山翠と重なり  秋淨 雁行 高し

遠意 千里を極め  浮生 一毫のごとく軽し

叢林 しばしば 未だあまねからずして 杳靄 漁トウ(漢字が見つからなかったので)を隔つ

 

下線部は、ちょっとなぁ・・・よくわからないので適当に(笑

 

夕方に、湖畔の楼閣から、湖を眺めている、といった情景。

広々とした湖なので空の青さと湖水が混ざっていて、じっと見ていると目が疲れる、のかなあ・・・。

夕方の寒さが緑の山におりてきて、秋の澄んだ空を雁が高く飛んでいる。

遠くを思う気持ち(茫羊とした思い)は千里をきわめて、儚い人生は一筋の毛のように軽い、といった感じか。

暗くなってきて、林もぼんやりとして、みずうみの小さな漁舟が靄に隠れている、みたいな感じ。

かな^^

 

まあ、逐語訳しようとするといろいろ問題があるけど、ざらっと読めば、なんとなく、和靖さんの気持ち、気分、思いはよくわかって、うん、うん、と^^

 

要するに、夕闇せまるうつくしい湖を眺めて、人の生のはかなさなどなど、そんな想いに耽っている、と。

うちの近所にも、琵琶湖があって、そういう点では、結構、共感できるものがありそう。

 

それにしても、まあ、和靖さんの言葉遣いというか、なかなか、いいなぁと。

たとえば、こことか。

  

 夕寒山翠重  秋淨雁行高

 

せきかん さんすい とかさなり しゅうじょう がんこう たかし と、読みたい。

「夕寒」「山翠」「秋淨」「雁行」と、視覚的なイメージを彷彿とさせる。 

夕べの寒さは山の翠と重なり・・・、とすると、なんか、ちょっと、違う感じがする。

また、「秋空」ではなく、「秋淨」ときて、「雁行高」とくるので、「空」を言わずとも、秋の澄んだ空が目に浮かぶ。

「杳靄」も、「くらい靄」でなく、「ようあい」と読むと、ストレートにイメージがうかぶ。

というか、音にして読まなくても、「夕寒」「山翠」「秋淨」「雁行」「杳靄」などは、字面だけで、イメージがうかぶ。

また、昨夜の寒さが山の翠と「重なる」のこの、「重なる」という言い方も。

寒さが翠と重なる。皮膚の感覚である寒さが、視覚である翠と重なる。

寒くなってきたよ~と、和靖さんに寒さが重なる感じもする。

また、「夕寒」と言うことで、ただ寒さが重なるだけでなく、夕暮れの色に山が染まっていく様も思いうかぶ。

なので横に丸がうってあるのかな。

  

今日はこのくらいで・・・^^

 

あとで、よく見てみたら、「闌」には、「手すり」という意味があることがわかった。

なら、この句も、解決^^ 


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2016_12
16
(Fri)21:47

ちょっと、季節外れかな、とおもいつつ、届いたので試しに。

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狩野晴川院ともうひとり、狩野派の誰かの合作、花蝶図。

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なんとも、慎ましい、というか。

 

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蝶は、アゲハとモンシロチョウ。

蝶が、晴川院。

 

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花は菫。

花は・・・ちょっと、読めない・・・^^

 

この画、ぼくのなかでは、荘子のあのエピソードにピッタリ。

 

昔荘周夢に胡蝶と為る。

栩栩(くく)然として胡蝶也。

自ら喩(たの)しみて志に適えるかな。

云々・・・

 

画はとても良いのだけど、困ったことに、焼けがひどい。

ネットで出ていた画像はそれほどでもなかったが、届いてみたらかなりひどくて、かなりがっかり。。。

どっかの古寺の床框が黒光りしてそうな床に飾ってあったら、けっこう、この焼け具合は様になるかなぁ・・・とか(笑

このひどい焼けにあわせて、花入れは、備前にしてみた。

奥さんが言うには、ふるびた硯箱などの、書院飾りの文房具を床に飾ったらいいかも、と。

なるほど、それもそうかも知れない。

けど、いまはそんなふるびた硯箱などないので、備前にしてみたというわけ。

多少、焼けが和らいだかも知れない。

 

「松竹梅図」にしろ、この「花蝶図」にしろ、そして、もう一服、「林和靖図」というも持っているが、晴川院のこういうさらっとした画は、余白が、深遠。

この余白、というか、空白がとてもいい。

 

ただ、箱無しで、この焼けで、1万というのは、かなり高い気がした。

実はもう一服、おなじ店で、晴川院と誰かの合作の「東下り図」というのがあって、欲しいと思っていたが、こっちを買って、実物のこの焼けのひどさにがっかりしているうちに売れてしまった・・・(泣

もっとも、迷っていた理由は、その「東下り」には、おおきなシミがあったので。

雲と言うより、まるで、UFOのよう。

たぶん雨のシミで、天から画まで、ぼちぼちと、断続的に。

富士山の上に、ぽっかりとうかぶ、雨シミの巨大UFOの母船。

さらに、そのしたには、うっすらと、中型雨シミUFO。

 

つつましく、はかなく、繊細。

花は牡丹などではなく、菫で、「自ら喩(たの)しみて志に適えるかな」と。

そういうふうに思ってみているので、案外、季節外れでもいける。

いや、むしろ、春に飾るよりも、冬の今の季節の方が、いい感じかも。

とはいえ、夏や秋に飾るのは、ちょっと無理っぽい。

 

そして、万代屋釜。

こう、寒くなってくると、あの美之助の万代屋釜のたっぷり、どっしりとしたボリューム感がとても、よい。

あったか~って(笑

鳴りも盛んに燃えさかる炎のよう。

真冬に、春を思いながら、夢に胡蝶と為る、だからこそ、いいのかな。

春にこの軸飾ったら、ぎゃくに、ちょっと、くどくなりそう。

真冬、冬枯れした庭と、この「花蝶図」という取り合わせが、もっともよさそう。

そして、あの万代屋釜。

 


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2016_12
09
(Fri)23:20

今年は、うちの庭、紅葉がきれいで、長かった。

ヤマボウシからはじまり、ドウダン、そして、楓。

でも、ヤマボウシとドウダンはもうすべて散ってしまい、楓も、今日でもう、半分以上散ってしまった。

 

これは、12/3のゆる茶の時。

宗三郎の、平丸釜。

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楓が、一番見頃だったころ。

点前をしていて、何気なく釜を見ると、釜の口のまわりが、ほんのり、紅い・・・

 

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向かって左側は青いけど、右側・・・。

どうやら、楓の紅葉が照っているよう。

 

秋の夕陽に、照る釜、もみじ・・・って・・・^^;

(ゆる茶、たいてい夕方なので・・)

 

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茶碗は、虚室さんの、飴釉。

これは、ほんのり全体がやさしく温まって、ほっこり。

 

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蓋は、鏡のようなのでこんなふうに写るとしても・・・。

釜本体にも、写っているなんて。

今だけ、しかも、もしかしたらうちだからこそ、楽しめる、ゆる茶・・・。

 

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亀末さんの・・・ 



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2016_12
09
(Fri)22:40

実は、まえまえから、風鎮が欲しいな~、なんて。

かなり前から、ほしいな~、とおもいつつ、まあ、風鎮なんていつでも手に入るし、と。

それに、よくある風鎮って、オニキスだの、大理石だの、に房が着いてるようなのばっかり。

よくて、陶磁器だの、サンゴだの・・・。

で、欲しいと思いつつ、なんか、買う気にもならなかった。

 

と、先日、またまた、ヤフオクで恐縮だが、たまたま、おもしろいな~ってのを見つけて。

こんなの・・・

 

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唐金の、魚型の風鎮(笑

古いものらしいが・・・とにかく、なんか、面白い^^

これ、実は、裏と表。

腹びれ、なのかなんなのか、腹の所の楕円を半分に切ったみたいなのの模様がちがっている。

一匹ではなく、二匹の魚が腹でくっついているような意匠のよう。

 

でも、これ、見てのとおり紐がない・・・。

ので、ちょっと、つけてみようかな、と。

というか、紐をつけないと、風鎮として用をなさないわけで・・・。

 

絹の紐、と思ったが、近所のスーパーの手芸用品売り場にそんな気のきいたものなんて置いてないし、そもそも、田舎なので、手芸用品店なんてない・・・。

ので、とりあえず、ためしに、と、極細カラー紐、なるものを買ってきて、通してみた。

 

ただ、通すだけではちょっと芸がないので、紐、こんなふうにして・・・

 

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総角結び、っていうのの、上の輪っかをず~とおおきくして・・・。

(総角結びは、「緑青」のいちまの小物のつくりかたにあったので、それを参考に)

画像では、向かって右側が、長くおおきくした輪っかのところ。

これを、お魚さんの口に通す・・・ワケだけど・・・。

竹グシを削って、細くしたので・・・。

ところが、なんか、穴の中が、錆びてるのか、前の紐のかすがこびりついてたのか、えらい汚くなって、一本目はやめて、もう一本、つくって、通してみたのが・・・

 

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こんな感じで^^

われながら、なかなか、かわいい(笑

 

で、さっそく、試しに、そのとき掛けてあった、鯉仙人の軸に使ってみた。

 

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まあ、紐の色がちょっとめだちすぎるが、まあまあかな^^

これは試作なので、落ち着いた絹の紐にかえるつもり。

でも、古い軸には、使わないでおこう。

破れたりしたらマズイ。

けっこう、重いし。

60何グラムあるらしく、ずっしりくる。

 

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アップにすると、なんか、たのしい^^

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2016_12
09
(Fri)21:47

すこしブログを更新していなかったので、いろいろ、たまってる・・・^^;

 

先月の11月26日、京都へいった時に。

PC070464 (448x336)

 

こがらし、という銘で、箱は、ミニ京のよすがとおなじ。

 

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蓋を開けると・・・

 

PC070466 (512x384)

 

吹き寄せふうに・・・。

 

白い、楕円みたいなのは、ぎんなん、かな。

なかに、餡のようなものがはいっていた。

(なにげに、ぽりぽりといってしまったので・・・^^;)

1500円は、ミニ京のよすがより、すこし、高め。

 

いっしょに、ミニ京のよすがも。

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こちらは、おもに、菊。

プラス、ちょっと、椿。 

 

ひさびさに、上生も。

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椿。

紅葉のこなしがあって、それを頼もうとしたら、あいにく、売り切れ。

で、これだったらすぐできます、といって、写真を見せてくれた。

ので、それじゃあ、といったら、奥でつくってきてくれた。

種は、黒漉し餡、だったかな・・・。

 

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これも、こがらし。

黒漉し餡と、白餡のそぼろ。

種は、黒粒餡。

ひさしぶりに、亀末さんのきんとん(だったと・・・)。

 

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うちの、木枯らし・・・。


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2016_12
09
(Fri)20:55

土臼1

 

前回からの続きの、この臼のようなもの。(「くぼたのたんぼ 籾摺り」より)

これは、唐臼、といって、元禄時代に中国から伝わってきたもの。

なにをする器具かというと、籾を、玄米と籾殻にわける器具。

 

PB280340 (512x384)

 

つまり、この軸の「農作業」とは、籾摺りをしているところ。

ある意味、なんとも、珍しい図かも。

山水画などで、農作業をしている人が描かれていることがあるが、種を蒔くとか、田植えをしているとか、田んぼを耕しているとか、そういうのはまあみかけるけど、籾摺りなんて。

おそらく、そもそも、この図は、山水画など、風雅をたのしむために描かれたものではなく、たとえば、世継ぎの教育のためなどに描かれたものではないかと。

遠景に瀬戸内の領地を描き、中心に、領民達の働く様子を描き、その画を見て、いかにして藩が成り立っているのか、を教育するための画。

 

また、籾摺り、という作業は、米作りの最後の仕上げ。この籾摺りがうまくできるかどうかで、美味しい米がとれるかどうかが決まるといえば決まる作業。

籾殻とまざった米か、米だけの米か。

唐臼を導入することで、美味しいお米をよりたくさん、効率的に生産することができれば、藩の財政も豊かになる。

そうすれば、領民の暮らしもよくなり、治世も落ち着く。

今年も、つつがなく収穫が終わり、つつがなく籾摺りも終わり、つつがなく、平和に暮れていく・・・。

 

画面全体が茶色いのは時代がついているせいか、それとも、夕暮れを意図してもともとそんな色をつけてあったのか、それはよくわからないけど、夕暮れ時に籾摺りをする情景をみていると、つつがなく今年もくれていく、そんな、ほのっとした安堵と、幸福感が漂ってくるようにも・・・。

もっとも、この視線というのは、為政者の視線、といえば為政者の視線だが。

そう、この画は、そういう意味では、ちょっと、領主気分でみないと、この安堵感や幸福感はあじわえないだろう。

 

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そういう意味では、そもそもは、こんなふうに軸として鑑賞するものではなかったのではないか、と。

それを軸に仕立てたのは・・・。

表装はかなり新しい。

新緑の緑色、というのは、米造りの仕上げである籾摺りと対照的に、田植えに思いを至らせ、一連の稲作の過程や季節の移ろいを想起させるためか(というか、ぼくは、この表装の色をみて、そういうことを思ったので)。

 

そして、籾摺りをする小屋の向こうにある、不自然な瓦屋根。

PB280341 (448x336)

遠近法的にも、筆遣いでも、なんとも目障りでしょうがないのだが、これも、もしかすると意味があるのではないか、とも。

唐臼導入前は、藁葺きの農家しかなかったのが、唐臼を導入することで米の質が上がり高値で売れるようになり、藩の財政も潤い、こんなかわらぶきの屋根の農家もあらわれた・・・。

下手なので松甫が書き加えたとも思えないが、後年、この村を視察した役人が、よりリアルに現実をうつさんと、見たまま、書き加えたのでは・・・。

そうおもうと、この不自然で下手くそな瓦屋根の家も、なんとなく、まあ、いいか、と思えてくる^^

(じつはこの瓦葺きの屋根、軒のほうは藁葺きのまま・・・)

 

まあ、どっちにしろ、ぼくの勝手な想像だが、そんなふうな想像が膨欄で、面白い。

ちょっと、そこらの山水画にはないおもしろさがの満喫できる。

 

唐臼での籾摺りの作業は重労働で、息を合わせなければならないことから、籾摺り歌、と言うものがあるのだそうだ。


この画を飾って、お茶を飲んでいると、釜の鳴りのなかに、なにか、とおくから歌声が聞こえてくるような・・・。

(ユーチューブに上がっているものがあるが、今は聞かないで、勝手に想像した籾摺り歌を、釜の鳴りのなかに聞きとろう・・・かな、と)

 

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また、画の左端の紅葉と、うちに庭の紅葉をはさんで、画と庭がつながり、ほんとに、窓からそんな農作業をのぞき見ているような、そんな気分にも。

 

そんなこんなで、秋のこの時期にはうってつけの、とても面白い軸かな、と。

領内のあるところにおしのびで、とある四阿に遊び、窓から領民達のようすをみながら、今年も領内安泰、そんな、つつがない、ほの~とした領主の幸せにひたりながら、お茶を一服・・・。

 

あるいは、ちょっと早いけど、この一年、まあまあがんばったよな、と、籾摺りする男達をこの一年の努力を象徴する図と見て、つつがなく過ぎてきた、そのつづがなく過ごすためにはらってきた努力をおもい、ほの~とした、幸せ感にひたりながら、お茶を一服・・・。


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2016_12
08
(Thu)23:37

床に飾ると、こんな感じで。

ちょっと、書院といったひきしまった雰囲気になる。

 

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縦、横のサイズ、比率が、いかにも、書院にしっくり来そうな・・・。

 

そんな、「農作業図  狩野松甫」の軸。

 

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正面からの画像ではなく、こんなアングルから。

というのも、左手前に紅葉の木、中心に農作業をする人びと、奥に遠景と、左斜めから見るとその遠近感が、まるで、窓からのぞいているかのようなので。

 

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左手前の紅葉。

ぼんやりとだけど、紅葉している。

 

PB280339 (448x336)

右奥の、遠景。

これは、島のよう。ちょっと、瀬戸内っぽくない?

 

というので、ネットで調べてみたら、実は、狩野松甫という人は、れいの狩野晴川院に絵を学び、のちに、津島藩の御用絵師になった人。津島藩、というのは、美作、今の岡山県あたりを所領としている藩で、小豆島群にも領地を持っていた。

なるほど、遠景には、所領の一部をしっかり、というわけ。

 

さて、それはそうと、肝心の「農作業」、一体なにをやっているのかというと・・・

PB280340 (512x384)

見にくい画像で、すいません。

なんせ、江戸時代末の古いものなので、色褪せてたり・・・。

とりあえず、小屋の手前に男がふたり、なにか藁の袋のようなものを運んでいる。

小屋の中にも男がふたり。なにやら、臼のようなものをつかっている・・・ような。

 

なにをやっているのか、わからなかったので、とりあえず、「脱穀機」とかで検索(笑

だと、今どきの「脱穀機」の画像ばかりなので、「昔の」とか「江戸時代」をくわえてみると・・・。

いろいろ「脱穀機」がある中で、なにやら、似たような画像がヒット。 

 

画像をたどってみると、

  

デジカメ散歩 昔の農家の道具」さんのところへ。

何でも、「脱穀機」ではなく、「籾摺り器」とのこと。

 

で、さらに、「籾摺り器 昔の」 とか 「籾摺り器 江戸時代」などと検索してみると・・・

 

土臼1

そっくりな画像が。 

 

なんと、「くぼたのたんぼ」という、農機具のクボタさんとこのHPに。

  「くぼたのたんぼ 籾摺り

 

というわけで、なんと「脱穀」などではぜんぜんなくて、「籾摺り」という作業をしているところ、と言うことがわかった。。。

                    つづく




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