2017_07
31
(Mon)22:52

7/8に、京都高島屋で開催されていた猪飼さんの個展に行ってきた。

今回の猪飼さんの作品は、非常に素晴らしかった。

会場では、「古典的造形のなかに息づく現代」などと、あまりうまく言葉にまとまらなかったが、そんな印象を受けた。

(いつものとおり、猪飼さんとはいろいろ話した)

で、ちょうど水指しが欲しかったので、これなんかいいんじゃないかというので買ってみたが、それが、7/28に届いた。

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灰釉の飾壷。

径が約19センチ。

 

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蓋付きだが、蓋をとっても見事。

僕的には、蓋を取った方が好き。

 

何ともすっきりとした、迷いのない姿なり。

しかも、実際の大きさよりもおおきく見える。

堂々としていて、風格もある。

 

いろいろ奥さんとも話しているが、だいたい、思うところは同じようだ。

れいの竹泉さんの御本手の「知足」にならぶな、と。

あの茶碗は、ぼくにとっては、「茶碗とはなんぞや」という問のひとつの答え。ひとつのというのは、他にもいろいろ答えはあるだろうが、唯一無二の答えのひとつ、という意味。

この壷は、同様に、「壷とはなんぞや」という答えのひとつ。

 

猪飼さんは、あの「知足」を持っていって見せたとき、「○○さん、今からこんな茶碗がいいなんていってたら、これから、どうするんですか?」みたいなことを冗談のようにも言っていた。

この言葉を、そっくりそのまま、この壷を作った猪飼さんにさし上げたい(笑

「猪飼さん、今でこんな壷作ったら、次はどんな壷作るんですか?」

この壷と、猪飼さんが今回の個展で示してくれた到達点について、ほんとうはもっといろいろ言いたいのだが、それは、奥さんとだけの秘密にしておこう^^

褒める言葉しかないし、あまり褒めすぎというのも・・・。

 

ただ、陶芸をしている若い人のなかには、この壷の良さ(「すごさ」とは言わなかった。でも、実際は「すごさ」だろう。猪飼さんは自分の作品なので控えめに言っていたのだ)がわからない人もいる、と猪飼さんは言っていたが、「そういう人は陶芸をやめたほうがいいんやないか」とぼく(笑

「さもなければ、わかるまで、いろいろ見て勉強すべきや」

 

さて、普段は床に飾っておいて、お茶の時には水指しに。

 

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はじめは、蓋ごとと思ったが、おいてみるとどうも水指らしくない。

ので、たまたま、唐津の水差しの蓋がピッタリだったので、その蓋を使うことにした。

水指 のこの塗り蓋は、合図やサインみたいなものだ。

「これは水指ですよ」と。

この蓋をつければ、かなりなものまで「水指」らしくなる。

 

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順光。 

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客から。

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軸は、「夏風」。

 

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P7292720 (448x336)

 

光や見る角度によって、いろいろな表情を見せる。

同じ壷には見えないほど。

こういうのは、好み。であり、陶磁器のひとつの醍醐味かと。

光沢も独特。


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2017_07
31
(Mon)22:02

7/20に、奥さんが買ってきてくれた。

 

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亀末さんの、そまづと。

7/20は、祇園祭の山鉾巡行の先祭(17日)と後祭(24日)の間。 

なのでなのかどうかはわからないが、普段は、ほとんど店頭には置かないお菓子と言うこと。

たまたま立ちよったらあったので、買ってきてくれた。

 

やや、笹が乾燥気味。

たぶん、ほんとは、笹はこんなふうに乾燥していないのだろう。

 

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葛製のおかし。

画像は見栄えよくするために笹の葉の真ん中に置き直した。

素直に笹を解けば、お菓子自体は笹の端に乗っている。

 

葛のなかに、一休字納豆が一粒。

一休字納豆のほんのりとした塩気が、葛の甘みを引き立てる。

というか、塩気そのものが、ほんのり甘く感じる。

一休字納豆のまわりの葛には、納豆の風味がとけてしみている。

葛と一休字納豆、ありそうでなかったマリアージュ、かな。

この蒸し暑い季節に、葛はもちろん、一休字納豆の塩気に癒される。

 

店頭に出さないというのは、町内の祇園祭に係わる人たちが、鉾をたてたりなどなど、祭りのあいまの一服に供されるお菓子なのかも知れない。

 

そまづと(山の手土産、というような意味)とは、わびた銘。

 

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2017_07
28
(Fri)01:23

7/5に大丸の鶴屋吉信さんで購入。P7092378 (448x336)

 

しかも、予約して。

というのも、この10個入りは原則本店にしかおいていないそうで、本店以外の店で買うには予約が必要。

予約も10日くらい見ておいたほうがいい。

 

ところが、この日高島屋で猪飼さんの個展があり、その後、たまたま地下の鶴屋さんによってみると、「期間限定」ということで扱っていた・・・。

わざわざ予約したのに・・・。

予約が嫌いなので(笑

 

御所氷室、という銘からだいたい察しがつくように、例の氷室の氷を意匠としたもの。

 

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純白のすり琥珀。

ボヘミアグラスの皿に、とも思ったが、どうもこっちのほうが映えるので。

水無月は二等辺三角形だけど、こっちは、直角三角形の角のひとつをとった形。

たぶん、とがらせたままだとかけたりするので、かけやすい角をあらじめとったのかな、と。

でも、それが、このやわらかい純白と相まってとても上品な印象をあたえる。

小豆が散らしてあるが、梅花の風情なのだそうだ。

 

表面は松露みたいな感じで、なかはねっとりとやわらかい。

小豆を口にすると、なぜか、なんとなく蜜豆をほうふつとする。

ほろほろと表面が砕け、ねっとりとしたかなも舌の上でとけていき、ほんのりと梅酒の風味がひろがり、涼を呼ぶ。

ほんのり梅酒の酸味とともに、舌の上で溶けていくときに熱を奪って、それが涼を呼ぶようだ。

とけて熱と共に口の中に蒸散して、蒸散と同時に梅酒の風味が広がる、といった感じ。

とけかたが、とても絶妙。

文にすると、つまらない説明文にしかならない。 

 

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2017_07
19
(Wed)23:12

/16、宵山で、八坂さんで例年の菓匠会。

帰ってきて、お茶。

 

で、帰った時間もはやかったので、なんとなく、例の泡ボールを水指しに使ってみようかな、と。

釜は雲龍釜。

その他道具はこんな感じ。 

P7162587 (512x384)

 

蓋はこんなふうに・・・ 

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これは、鬼すだれ。

伊達巻きを巻くときのすだれ。

このまえ、有次にいったとき、たまたま見つけたので、出刃といっしょに買ってきた。

こまかいすだれではなく、この鬼すだれが欲しかったが、ちょっと手に入れ損なっていた。

が、有次にあったなんて。

 

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さて、点前の途中で蓋を開ける・・・

P7162596 (512x384)

 

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二十数年前に、京都の民芸屋さんで買った、スペインの泡ボール。

買うとき、気に入ったけどなににしようか、で、水指しとか、という話だったが、実際、水指しなど使うつもりはなかったので、水指しとして使うことはないだろうと思っていた。

で、素麺を入れたりしていた。

あるいは、豚しゃぶ、とか(レタスをしき、トマトをぐるりとして、真ん中に冷しゃぶの豚を)。 

と、その泡ボールが、なんと、やっと水指しとして。

 

翌日、胴締め釜で。

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はじめ、柄杓をこんなふうにおいてみた。

なかなか、悪くないかな・・・。

 

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胴締めとの相性も悪く成さそう。

 

P7172630 (448x336)

 

無色透明ではなく、緑がかっているので、より涼しげに感じる。


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2017_07
19
(Wed)00:35

冬用に、と思って、ひとつ、唐津の水差しを買った。

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P7112393 (448x336)

 

にしても、これが、届いてみると、商品ページにアップされてた画像とだいぶ雰囲気がちがう。

ま、アップされてたのは、どっちかというと、二枚目の画像のよう。

 

冬用なので、厚手の物が欲しかった。

画像のでは、もっと、マットな感じで。

釉薬的にはおもしろさはあまりない(ように見えた)。

ボディが、なかなか。

ひずみ具合とかもいい。

地味で、渋い、ある意味、そういう茶道具の神髄(?)みたいな感じかな、と。

 

ところが、実際に見てみると、これが、なんとも。

光の加減によって、見る角度などによっても、そうとう、印象が違ってくる。

 

P7132412 (448x336)

こんな金属っぽい光沢も。

陶磁器と言うより、唐金っぽい。

 

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ちょっと、銀器かなにかのような光沢。

 

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P7132475 (448x336)

 

P7132489 (448x336)

赤みがかって見える。 

 

P7172618 (448x336)

 

色も、チョコレート色から、天津甘栗の皮のような黒っぽい茶色まで。

ときには、赤みがかっても見える。

銘は、「東光」とあった。

赤みがかって見えるのを、東の光(朝日とか)に見立てたのだろう。

 

また、刀剣か、銀のような金属っぽい光沢。

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P7132466 (448x336)

このあたりは鉄が浮き出ていて、肌は浮き出ていないところよりもすべすべ。

 

P7132470 (448x336)

 

釉薬は、鉄釉。

柿釉か、鉄砂か、そんなところか。

あんまり、鉄釉のものって注意してみたことがないし、それほどのものも持ってもいないので、こんな光沢があるものなんてはじめて。

 

P7132428 (448x336)

一見、なめらかに見える表面。

よく見ると、細かい凹凸が、革か肌のよう。

ガラス質の表面でつるんとなっていると、こういう深みのある光沢は生まれない。

とはいえ、光の強さや角度、見るアングルなどで、こんなに印象が違って見える陶磁器というのは、初めて。

 

唐津水指と、箱書きにはあり、そのままのタイトルで売っていた。

が、届いてからよくよく見てみると、ほんとうに唐津なのか? 疑問が。

 

P7132435 (448x336)

口辺をよく見ると、一箇所、かけているところがあり、どうも、白くて磁器のようなのだ。

その他、口辺のエッジの釉が禿げていたり、薄くなっているところも、白くて、磁器でよく見る感じになっている。

 

さらに、高台まわり。 

P7132436 (448x336)

一見、土のように見えるが、磁器っぽい。

高台内も、これは土見になっているのではなく、釉薬がこのようになっているようだ。

ところどころ砂利も噛んでいる。

 

そして、ボディの形。

そろばん玉、とでも言うか。

こういう形の壷や甕、あるいは水指、唐津ではほとんど見ない。

もちろん、作ればどんな形だってできるのだから、無いとはいえない。が、なんか、珍しい(ので、買うことにしたというのもあるが)。

唐津の釉薬でも、黒唐津ということなのだろうが、なんか、唐津の鉄釉とも違った雰囲気。

 

そもそも、ボディが磁器、というのも。

唐津に磁器なんてあるの?

それで、もしかすると、唐津ではなく、李朝後期の総鉄砂の壷を、水指しに見立てた物か、とか。

釉も李朝の鉄砂紋の色によく似ている。

 

箱書きには「唐津」とあるが、李朝の総鉄砂の壷なんて珍しいので、箱書きした家元も唐津と思ったか。

 

ま、とにかく、なんでもいいけど、この光沢。

そして、色調の変化。

鉄釉の深遠さ、おくぶかさ、を目の当たりにしている感じ。

 

水指しとしても、堂々としていて風格もある。

水指とはこうあってほしい、みたいな。 

 


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2017_07
11
(Tue)00:30

先週の、水曜日だったか、木曜日だったか。

深夜、すでに12時近い頃、ひとりでちょっと出かける用事があって、いつもの99段階段を下りていった。

すると、なんか、長い、ほそいものが、のったりと横たわっている・・・。

懐中電灯で照らしてみると、どうやら、蛇らしい。

頭をしたにして、階段の左端の方に尻尾、階段の2,3段に跨がって、のったりとのびているかんじ。

体は白くて、黒い楕円のような模様がならんでいる。

頭から尻尾まで40~50センチくらいかな。

 

ちょっとビックリして、まず、頭を懐中電灯で照らしてよくよく観察。

毒蛇だったらヤバイ。

でも、頭の形から、どうやら毒蛇ではなさそうだ。

(このへんで毒蛇と言えば、マムシかヤマカガシくらい)

ただ、今までこんな模様の蛇、見たことがない。

マムシ、ヤマカガシ、シマヘビ、アオダイショウ、カラスヘビ・・・くらいしか知らないけど、そのどれともちがう。

 

死んでいるのか?

と思って、二三段離れたところで、階段を踏んで音を立ててみたが、ぴくりともしない。

死んでいる・・・。

にしては、なんだか、そう、生きている蛇独特のあの感じで、いようにぬめぬめつやつやしている。

ちょっと気持ち悪いので避けて通った。

 

帰り。

奥さんにこの蛇の死体のことを話して、「階段に蛇の屍体があるから気をつけた方がいい、そっちを歩かない方がいい」なんて言ったり。

たぶん、屍体にしてはいようにぬめぬめ、つやつやしていたので、どここかで屍体じゃないと思っていたのかも知れない。

そして、階段をのぼっていくと・・・どこまで行っても屍体がない。

階段をのぼりきっても結局屍体はなかった。

ものの数分もたってないのに・・・。

 

まあ、人間の遺体が無くなったのなら一大事かも知れないが、蛇の屍体くらい・・・。

と、思いつつ、ネットで検索してみた。

 

どうやら、シロマダラ という蛇らしい。

夜行性で、トカゲやヤモリなどを食べているとか。

「幻の蛇」などとも言われているのだそうだ。なかなか人目につかない蛇らしい。たしかに、五十何年生きていてはじめて見たのだから。

 

でも、面白いのは、死んだマネをするらしい、ということ。

以前、テレビで、死んだマネをする蛇というのを見たことがあるが、それは、腹を上にしてぐにゅぐにゅとなっていた。

で、背中を上にすると、また、ひっくり返る・・・。

(名前は忘れた。蛇だったと思うけど・・・。それにしても、表がえすと裏返るのが死んだマネをしていることになるかどうか・・・)

 

そのひっくり返る蛇にくらべると、シロマダラの死んだふりはどうに入っていた。

のってり、のびている感じで。

くちなは、と蛇の古語を思い出したが、朽ちた縄かのびたゴムのようでもあった。

もっとも、蛇の屍体なんて、たいてい、道路で車に轢かれているようなのとか、そんなのしか見たことないので、こんなふうなのびた屍体がほんとにあるのかどうか。

いかにも、のたれ死ました、行き倒れました、って感じ。

ただ、行き倒れたり、のたれ死にした割には、肌つやがいようにいきいき、ぬめぬめ、つやつや。

 

模様も生きている物の画像とはすこし違っている感じがした。

黒い楕円に見えた。

頭と尻尾の方に長い楕円。

それが、首の辺りから尻尾の方へ、規則正しくならんでいた。

ま、こんな感じ。

P7102387 (448x336)

 

ネットの画像で見ると、黒のまだらはこんな形をしていない。

筋肉まで弛緩しきった迫真の演技?

 

ネットの書き込みに、「200個体くらい見たけど、擬死の状態を見たことがない」みたいな書き込みもあった。

それからすると、幻の蛇の幻の姿だったということだろうか。

 

行きに写真を撮ろうかとも思ったが、屍体だから、帰りにもあるに決まってるから、と撮らなかった。

どこかでは、屍体にしてはへんだなぁ(肌のつやとか)、と思いつつも。

まんまと一杯食わされた、というわけだ。 

 

それにしても、あの姿を思い出すと、ちょっと吹きそうになる。

よっぽど、シロマダラくんもびびったんやろうな、と。

いくら擬死がうまいといっても、やっぱり、三十六計逃げるにしかず。

なのに、死にマネするしかないほど、せっぱ詰まってたんだろうから。

シロマダラくんにしても、一か八かの大ばくち、やったんやろうな。


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2017_07
10
(Mon)00:04

貫之を賛した歌が気に入って、計四幅ほど景樹の短冊の軸を手に入れた。

そのなかの一幅。

 

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いちまと♪

  

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中廻しと一文字。

中廻しは雲? 

一文字は、松葉。

 

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夏風  夏山農楢の葉ワ多る朝可せ尓

     太毛登を丁そ 趨尓遣礼 景樹

 

夏風  夏山の楢の葉わたる朝風に

     たもとを蝶ぞ 趨きにけれ 景樹

 

夏山の楢の葉をわたる朝風に、たもとを蝶のようにひらひらさせてやってきたよ。

 

歌のすがすがしさをそのまま写し取ったか、強調する表装。

画の軸よりも、短冊の軸の表装の方がより内容を暗示したり、強調したりする仕立てになっているみたいな気がする。

飾る季節としては、梅雨が明けてから、の方がぼくとしてはしっくり来るけど、とりあえず届いたので、奥さんに見せるのもかねて掛けてみた。

 

「楢の葉わたる朝風」という句が、昨日の記事にもした、百人一首の従二位家隆の「風そよぐ 楢の小川の夕暮れは禊ぎぞなつのしるしなりける」を連想させる。

 

そして、「たもとを蝶ぞ」が、すごくいい。

夏の朝風にひらひらとはためくたもとが目にうかぶ。

また、「花蝶図」の蝶も連想させる。つまり、荘周夢に胡蝶と為る、とその蝶。

袖をはためかせて、というよりも、景樹くんの気分は、もう、胡蝶。

胡蝶となって爽やかな朝風にのって夏山を巡っている、という趣き。

 

そのほか、古今の貫之の春の歌 「そでふりはへて」(春日野の若菜つみにや しろたへの袖ふりはへて人のゆくらむ)という句を連想したり、また、古今の秋の歌、これは袖ではないけど、「わがせこが衣のすそを吹きかへし うらめづらしき 秋の初風」なんて歌をとりとめもなく思い浮かべたり。

(秋の初風は衣の裾を吹き返すほどでいかにもひんやり冷えてきたとした感じがするけど、夏の風はたもとをひらひらさせる、爽やかな感じ、かな。とはいえ、古今の秋の歌の第一首、「秋きぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」にあるように、風は秋の到来を象徴している。でも、この歌は、なんか理念的、観念的。裾がひるがえったり、たもとがはためく方が、鮮明で具体的なイメージ。ただ、「わがせこが」の歌は、ちょっと万葉っぽい気もする)

 

この歌、すごく気に入った。

歌集などで見るよりも、短冊で、しかも軸になっていると、より、歌にも愛着がわく。

軸に仕立てた人も、きっと、この歌とこの短冊が好きで、軸に仕立てたのだろう。

短冊を仕立てた軸は、どれも細身で、小さくて、愛らしい感じがする。

 

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2017_07
09
(Sun)01:06

今日、京都へ。

猪飼さんの個展を観て、大丸の地下の菓子売り場へ。

そのとき、たまたま、川端道喜さんとこの粽があるのを奥さんが発見。

聞いてみると、土曜、日曜には、少量入荷するのだとか。

たいていは午前中になくなってしまうのだが、それが、ラッキーなことに、今日はこんな時間まで(午後4時くらい)。

とても高価だが(五本で3900円)、以前から食べてみたかったので、買って帰った。

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ビックリしたのは、「由来記」の長さ。

粽のそもそもだけではなく、川端家の代々のことが書いてある。

川端家は、もともと、渡辺綱の流れを汲む渡辺進四郎左右衛門というひとが、餅屋を始めたのが始まりなのだそうだ。

窮乏した朝廷の朝ご飯(おはぎのような感じ)を毎朝献じたことからそれが習わしとなり、御所には道喜さんとこ専用の「道喜門」なるものまであったそうな。

と、まあ、その他にもいろいろ、庶民感覚では雲の上の出来事のようなことがいろいろ。

 

さて、それはいいとして、粽。

道喜さんとこの粽には、二種類あって、今回買ったのは、「水仙粽」。

もうひとつは、「羊羹粽」。

 

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五本で一束。

紙の包みをとくと、はやくも、笹の涼やかな芳香が漂う。

 

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笹は湿っぽい。

 

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みずみずしい、ぷるん、とろん、葛の粽。

 

笹の香りがよい。

食べおわっても、口中をしばらく満たしている。

 

葛のくちあたり、やわらかさ、ぷるんの加減、甘さ、風味など、亀末さんの葛焼きを思い起こした。

つうじるものがあった。

ただ、水仙粽の方は、みずみずしく、笹の芳香がここちよい。

 

素朴、というのとはちょっとちがう。

洗練とはいっても、それを感じさせない。

が、ひなびたところはない。

なにか特別にすごいというものでもなく、素直でふつうな感じ。

でも、このふつうがなかなか。

小細工した葛のお菓子では無理。

 

奥さんも同じ感想。

 

今日、一本ずつ食べて、また、明日。

 

その後、お茶。

 

P7082349 (384x512)

 

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2017_07
09
(Sun)00:33

今日、京都に行くんで、何着てこうかな、と。

小千谷ちぢみはまだなんとなくはやい感じがするので、阿波しじらで。

帯は、新潟十日町のきはだやさんの、野蚕の帯。

 

どれにしようかな・・・ 

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今日は、これで。

 

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阿波しじらは、昔、奥さんが選んでくれた。

(京都大丸仕立て)

 

で、帯がこの色なので、そういえば式に、雪駄があったことを思い出した。

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着物を着始めたころ、錦の大島さんであつらえた雪駄。

土台、好きな鼻緒を選んだ。

 

そう、鼻緒の色が帯と同じような銀ねずっぽい色。

(新品の頃はもっときれいだった)

この鼻緒、足にあたるところはビロードなのはいいとして、銀ねずのところは、和紙。

色が気に入ったし、和紙なんて面白いし、珍しいな、とこの鼻緒にした。

 

P7082365 (448x336)  

 

それが、あまり履いてなかった。

なんか、歩きにくかったから。

でも、まあ、今日はせっかくだからと、履いていくことにした。

思ったとおり、家から駅まで、アスファルトの道は歩きにくい。

ところが、京都について、駅構内とか、地下道とか、デパートのなかとか、すごく快適。

歩きやすいのなんの。

結局、雪駄というのは街ばきなので、平らなところはすごく歩きやすい。

が、道路などちょっと傾斜があったり凸凹してたりすると、歩きにくい。

 

平らなところでは快適な歩き。

そのうえ、開放感が半端ない。

サンダル、って、結局、靴なんだなぁ、と。

足をつつむ、あるいは、絞めつけるという発想から自由になっていない。

とにかく、開放感が、ここちよく、たまらなかった^^

 

もちろん、素足で履いているので、足の裏も気持ちいい。

 

ところで、雪駄の裏。

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表は竹皮が編んである。これは、南部表(時々履いている下駄は、野崎表)で、裏は牛革。

そして、かかとには、金属が。

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たしか、「チャラガネ」とかなんとか言ったと思うけど。

ぼくの雪駄は、もともとのかかとではなくて、もともとのかかとがすり減ったので、もう一枚かかとが打ってあって、もともとのチャラガネとは形がすこしちがっている。

けど、とにかく、チャラガネなるものが打ってある。

これが、歩く度に、床にあたって、雪駄の厚みやら革やら硬さやらいろいろ条件が重なって、音がする。

それも、可鳴りの音。

これくらい音がすると、今どきの履き物はけっこう静かだと認識。

目だった靴音を立てて歩いている人なんてほとんどいない。

で、「なんの音や?」 みたいな感じで、みんな、こっちを振り向いて見る。

 

最初は、ちょっと・・・と思ったが、そのうち、だんだん、音を立てて歩くのが楽しくなってきて、わざと大きな音をたてて歩いてみたり^^

 

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2017_07
01
(Sat)22:16

京都近辺で、6月30日といえば・・・

6月30日に食べるお菓子と言えば・・・

そう、水無月。

今年半年の無事を感謝し、これから半年つつがなくありますように、とくに暑い夏を乗り切れますように・・・といういこを願いながら、頂きます(と、こんな歳になっちゃったんだなぁ・・・)。

 

 風そよぐ楢のおがわの夕暮れは 禊ぎぞ夏のしるしなりれる

 

百人一首の従二位家隆さんのうたも、この夏越の祓を歌った歌。

ただ、この歌はもちろん太陰暦の6月30日なので、今の6月30日よりは、一ヶ月くらい後。

なので、楢(ブナなど)の葉をよそがせて吹く風が涼しく感じられる、という、秋の気配を感じとっている歌でもある。

 

それはそうと、今年は、奥さんが頑張って、亀末さんで買ってきてくれた^^

亀末さんは、6/30の夏越の祓の日だけのあつかい。

予約をしておけば確実だけど、どうなるかわからなかったので予約無しで。

時間ギリギリに間にあって、手に入った。

 

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しろ

 

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黒糖

 

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P6302237 (448x336)

 

しろ、黒糖、ともに、外郎地のなかに小豆が散らしてある。

この小豆の炊き具合がなんとも。

口の中で小豆独特のあのなめらかさでとろけるよう。

また、食べたあと、外郎を食べたという感じでなく、炊いた小豆を食べたという感じ。

△は氷の形をかたどったとか言う説があるが、その氷のお菓子を食べたと言うより、魔除けの力もある小豆を食べたという感じになるのは、本来のお祓いという意味をよく感じさせてくれて、さすがだなあ、と。

おいしいことはいまさら言うまでもない。

 

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2017_07
01
(Sat)21:49

貫之を賛した、香川景樹の短冊の軸。

先日、別の香川景樹の軸を買って、それはまだ季節違いなので、涼しげなこの軸をかけた。

 

P7012239 (336x448)

 

P3230867 (384x512)

悪筆(?)で、読めなかったのが、まあ、何とか読めるように(笑

 

 打和多す 紀の遠山濃

  那可利世者 明石のうらも

   空し 閑らまし  長門介香川景樹 

 

 うちわたす 紀の遠山の

  なかりせば 明石の浦も

   むなしからまし  長門介香川景樹 

 

明石の浦から紀の国の山(熊野の山?)がほんとうに見えるのかどうか・・・。

地図で俯瞰してみると、ちょっと、淡路島の先に掛かっちゃいそう?

けど、明石・須磨のあたりを明石の浦として和歌山県の方を望むと、もしかすると、海の彼方に熊野のの山々が見えるかも。

実際に見える見えないは置いといて、歌を読んだ景樹賛の頭のなかではそんな景色が見えたに違いないし、この歌を読めた今となると、海の彼方に遠い山並みが打ちわたっている情景が目にうかぶ。

中廻しの雲の模様も、効いてくる。

その海や山にかかる雲のようで。

涼しげな表装も、たしかに歌自体はいつの季節でも良いのかも知れないが、この表装が活きるこの季節、というのはなかなか。

 

もちろん、その情景をただ詠んだだけではなく、「紀の遠山」というのは景樹さんにとっての貫之のこと。

すると、「明石の浦」とはなんだろう? と詮索したくなる。

ぱっとうかんだのは、

 

  みわたせば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ

 

これは『新古今』の定家の歌。紹鷗がお茶の侘びとは、というので、この歌のような、といったとか言わなかったとかいう歌で、ちょっと思いうかんだ。

この「浦」というのが明石かどうかはわからないけど、浦つながりで。

要は、貫之がいなければ、その後の素晴らしい歌も生まれなかった、と景樹さんは言いたいわけ、かな、と。

あるいは、「明石」といえば、なんとなく源氏物語も思いうかぶ。

源氏物語さえ、貫之の歌がなかったら・・・。

とにかく、景樹さんにとって貫之はとても偉大な歌人なわけ。

その貫之を褒めたたえた歌。

 

とはいえ、歌的には、ぼくもなかなか気に入って。

貫之賛の意味を除いても、読まれている情景がとてもいい。

(実は、景樹さんの歌、ちょっといいかな、と・・・。なので、別の短冊の軸も欲しくなったわけで)

 

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菓子は、御所車(老松)、すり琥珀(亀末)、自家製シフォンケーキ。

とまあ、あんまり歌には関係なく、常の如く。

器がちょっと、それっぽいか(とはいえ、たち吉のふつうの皿で、いつもこの季節に使っている)。

 

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