2017_10
14
(Sat)20:32

濡れ萬字釜

今日は、曇っているといえば曇っていたが、光の加減がとてもよく、釜がとても美しかった。

釜は、火にかける前、全体を濡らす。

ただ、水気は拭かずにそのままコンロにかける。

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この濡れた肌もいい感じ^^

 

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実際は、もっとゆたかな肌合いなのだが、デジカメだからこんな程度だろう。

姿なりも、広角なので、いびつになってしまう。

 

肌がかわいていくのもうつくしい。

かわききったあとも、もちろん、うつくしい。

 

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まあ、しかし、これも、デジカメなのでこんな程度。

肉眼で直に見ると、蒼かったり、オレンジ色っぽかったり、黒かったり、茶色かったり・・・と様々な色つやがとても豊か。

これは、和銑独特の色合い。

洋銑はここまで色合いが豊かではない。

 

また、この釜も、使っているうちにだんだんよくなってきた感じがする。

 

見れば見るほど、いいなぁ、と。

肌が独特。

ただ、なんとなく、いわゆる芦屋釜と天明釜(天猫ではなく)の融合した釜、と勝手にそんなことを感じたり。

肌は天明風をやさしくして、地紋は芦屋風。

 

草庵風の釜、というのはそういうものか、と。

芦屋は、たぶん、どちらかと言えば広間向き。

天明は、あるいみ、田舎すぎ。

その両者をうまく融合させたのが、江戸中期頃の、草庵風、という感じかな、と。

 

それと、この釜を使っていると、「侘び」とうのがどういうことか、実感できる。

その当時の、「侘び」だけど。

なかなか、これこれと言葉にするのは難しいが・・・。

敢えて、言葉には・・・しない。

この釜を見て、しみじみと、味わっていよう。。。

 

ま、敢えて言うなら、これは、紹鷗系ではなく、利休系。

外見は控えめで「侘び」ているが、とても豊かな感情を内包している。

「侘び」というとなにか貧相な感じがするけど、外見は貧相でも・・・といった感じ。

 

ありがたいことに、家に来てくれたおかけで、仔細に鑑賞できる。

美術館や博物館だったらどんなに見てもここまでじっくり、細かいところまで見ることはできないし、もちろん、使ってみることもできない。

また、たとえお茶会に使われていても、こんなには見ることはできない。

 

この釜を見るだけで、この釜を注文した数寄者がどのようなお茶をしていたのか、というのがとてもよくわかる。

今どきの釜は、結構外向的、というか、ぱっと見で、こうこうと主張してくるものがおおい。

これは、内向的、というか、内面的、というか。

はじめ、正直、物足りない感じがした。

釜はなにも視聴してこないし、なにも語りかけてこない。見せつけてもこない。

しかし、よくよく、見てみると、なんとも。。。

(ネットの画像でよく見ていたので細部まで行き渡っていることはわかっていたが)

ひきこまれる。

ぱっと見では控えめでなんということもない、見過ごされそうな釜だが、よく見るほど、その魅力がふくらみ、引き込まれてしまう。

 

注文した数寄者が、偲ばれる。

どんなお茶をしていたのが、具体的にいろいろと空想がはたらく。

ま、もちろん、今どきの釜でもまったくそういうことがないわけではないが、この釜は特に。

 

鳴りも澄んでいて、とてもいい。

 

お茶の道具でも、釜なんて。

今どき、菓子ならお茶をしてなくても。

茶碗なら、お茶をしていなくても、していればなおさら、近しい。

 

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ちょっとだけ、わりと、青っぽかったり赤っぽかったり・・・がわかる、画像。

和銑はこういうところがとくに、とても魅力的。

 

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