2017_11
08
(Wed)21:51

ラブリー赤茶碗

最近、楽茶碗が欲しくなって。

楽吉左衛門の茶碗。

釜や薄茶器など、千家十識の道具をつかつたら、何ともいえずよかったので、茶碗もどうかな、と。

ただ、茶碗は、釜や薄茶器にくらべて、つかう者の手になじむなじまないの差が激しいのではないか、とか。

また、ニセモノも多そう。

というわけで、迷いながら探していた。

まず、ニセモノと本物の見分け。

ま、ネットだから、画像しか頼るものはない。ネットの画像で、各吉左衛門の印などを集めたり、うちにある本の楽印とくらべたり、しながら、なんとか、まあ、わかるかなぁ・・・。

とはいえ、微妙なものもおおい感じ。

で、一応、本物らしい茶碗のなかで、欲しい、ほしくない、を。

でも、はっきり言って、真贋云々よりも、欲しい、欲しくないの方がたいへんだった。

特に黒茶碗。

見くらべれば見くらべるほど、なんか、見分けがつかない、というか。どれもおなじ、と言えばおなじ。これがいい、これが欲しい、と感じるポイントが見つからない。

一体、黒茶碗、ってなんだ?

 

だんだん、あほらしくさえなってきた。

ここまでして、買うこともないや、と。

千家流のお茶をやっている人は、茶会などで必要かも知れないが、そうでないぼくが、なにもわざわざ持つこともない、とも。

 

ただ、いろいろ考えた末、黒茶碗というのは、なにか、というのが、ぼくなりには答えが出た。

それは、「無」。

「無」といっても、まったく、なにもない「無」ではない。

黒棗の甲に、庭の紅葉が映ったりする、そんな「無」。

ある種の世界に対峙する仕方。

自分を「無」にして、雑念を消して、世界に対峙する、そのときのゆる茶。

それが黒茶碗であり、黒茶碗を使う意味。

と言うとなんか難しそうだが、要するに、掛け軸かけて「テーマ」にそって道具を取り合わせるのではない、そんなゆる茶。

たとえば、「秋山路」という軸をかけたら、それにそって道具をとりあわせ、茶室の中にひとつの世界を構築する。というのが、ゆる茶のやり方。これは、いってみれば、「あるがまま」(とこの言葉は好きではないが)の世界に向きあっていない。自分のなかのものを外に出しているのだから。

黒茶碗を使うとしたら、その真逆。自分は「無」になる。ゆる茶の「テーマ」が、すでに雑念とも言える。そういうものをすべて取り払ったところでゆる茶をする、そのときの茶碗が、黒茶碗(と黒棗)。

ま、黒茶碗についてはそういうところだ。

 

さて、じゃ、赤茶碗は?

赤茶碗は、黒とは真逆。対極。

いっぱい、雑念を詰め込んでこそ。つまり、普通の茶碗とおなじというわけ。

でも、まあ、黒茶碗と赤茶碗を対極にして、そのなかにいろいろな茶碗が位置しているのかな、とか。

 

あと、黒茶碗とは、たぶん、手取りのみに特化した茶碗。

利休好みの極み。

手取りだけに特化するために、カタチはあのようなカタチ(大クロのような)、そして、色や釉薬なども犠牲にした。

だから、基本、カタチはどれをとってもほとんど変わらないし、変われない。

そうすると、織部は、まったくの反逆者、だな(笑

抑圧的(?)だったクロの世界を、ひずんだ姿とひょうげた絵柄とあざやかな色彩で打ち砕いた?(笑

 

ま、そんなことはいいや。

 

でも、まあ、やっぱり、黒茶碗は、なんか、いまいち。

で、なんとなく、赤茶碗を物色したり。

けど、赤茶碗だって、基本はあまり変わらない。

柄というか、模様は黒よりはいろいろあるけど・・・。

 

おっ!

と。

これは、なかなか、おもしろいし、いい^^


PB084312 (448x336)

箱は、まあ、たぶん、本物。

筆跡や印も、たしか。

しかし、届いてみて、ビックリ。 

PB084313 (448x336)

底が、無茶苦茶薄い。

これは、ヤラレタかぁ・・・

PB084314 (448x336)

と思いきや、そうでもなく。

なんて言うのか、もともとはひも付きの箱だったのが、底の枠みたいなところが外れていただけ。

外れていた、というか、虫が食うなどして、箱が傷んだ状態のままだったのだ。

(ネットの画像では気づかなかった)

 

茶碗をつつんでいた仕覆。

縮緬^^  

PB084315 (448x336)

 

仕覆からだそうとして、出しながら手に持ってみて、これは・・・と。

手取りがとても良い。

この手取りは、ほんもの。

 

PB084304 (512x384)

 

オーソドックスな、よくみる、赤茶碗の姿をしている(とはいえ、利休の次郎坊系とは違う)。

 

PB084306 (512x384)

見込みも素朴だけど、味がある。

 

PB084308 (512x384)

高台やそのまわりがすっきりしていて、品がある、というのがほしかった。

高台は、ちょっとおもしろい姿をしている。

すっきり、品がある、という点では、まあまあかな。

12代吉左衛門の印もくっきり^^

(ネットの画像で見たときは、印のほかにも、色合いや幕釉の感じも12代のものかな、と)

 

でも、一番気に入ったのは、ここ。

というより、ここをみて、ここを見た瞬間、とても欲しくなった。

PB084307 (512x384)

この景色。

なんか、南画っぽい。

この真ん中の、下茶色で上黒のところが、山かなにかのよう。

そして、幕釉は、雲か霞か。

PB084310 (512x384)

 

仙人の住む山に、霞なり、雲なり、あるいは雨か雪かがふりかかっている風情。

 

赤茶碗に、仙人の住む山、あるいは蓬莱山、あるいは、南画風の景色、というのが、とてもおもしろくて、チャーミングで、かわいかった^^

 

PB084311 (448x336)

一応、うしろ。

 

届いてみたら、ネットの画像どころではなく、ほんと、ラブリー(笑

 

PB084317 (512x384)

 

さっそく、点ててみる。

手取りは、やっぱり、とてもよい。

上質で、ここちよい。

ほかの十識の道具どうよう、他の茶碗とはおおきく水をあけている感じ。

一線画している。

ただ手取りがいいだけでなく、なんというのか、とても丁寧に、愛情深く、形成された、という感じが伝わってくる、とでもいうか。

愛情、というのはちょっと情緒的だが、とにかく、作り手の思いというものが直に伝わってくる感じがする。

茶碗に対する考え方や茶碗観が、やはり、独特な感じ。

手取りに特化した茶碗、というところをちゃんと踏まえている。

しかも、見どころも多い。幕釉にしてもそうだし、画像ではほとんど目だたない、篦目なども。

ただ、これは、やっぱり、薄茶を点てるための器ではなく、濃茶を練るための器なのか。

茶筅を振っていると、すこしばかり見込みがおおきくゆったりしていて、点てるよりも練るのに適している感じがする。というより、茶筅が、この茶碗のなかでは、そんなふうに動きたがっているように感じた。

 

色も、湯を入れると、あざやかになる。

手触りも、湯が滲みてくるにしたがって、ちがったものになってくる。はじめはかわいて硬い感じだったのが、しっとり、しめって、やさしくなる。

手取りもちがってくる。箱から出したときはずっしりとした手取りだったのが、湯が滲みると、むしろ、ずっしり感はなくなる。重心が下にあったのが、滲みた湯のせいで、消えてしまうか、ずれるせいだろう。むしろ、軽やかになる。

 

口辺はやや厚めで、いわゆる五岳で波うっていて、端がすこし抱え込んでいる。が、飲みにくくはない。波うっているのが、花びらのようでもある。

その口辺に幕釉が、また、愛らしい。

 

ただ、まあ、ひとつ、言えば、におい。

土の臭いがまだ結構強い。

掌に移るほど。

茶だまりや見込みの巣穴にはお茶が詰まっていず、ニュウも綺麗で、それからしても、ほとんど使われていないのだろう。

だから、臭いが強いのは仕方ない。

使っているうちに、とれるから、まあ、すこしの辛抱。

 

素直な感想。

やっぱり、楽茶碗は、茶碗なのなかの茶碗、かな。

手取りプラス、これだけ、見どころもあるとなると・・・。

画像で見るとあんまりだけど、手にとってみると、ほんとに、手取りのほかにも見どころが多いことに気づく。

 

PB084331 (512x384)

仙人の住むという山に春霞^^ 

 

値段は、吉左衛門の茶碗で?というほど安かった^^

箱が崩壊しているのと、家元の書き付けがないせいだろう。

楽茶碗の価格、っていうのは、家元の箱書きがあると、なんか、跳ねあがるみたい。

そういう、箱書きのない茶碗が欲しかったので、それもよかった。

価格のことだけじゃなくて、ゆる茶流の赤茶碗が欲しかったので^^

 

重厚感がなくて、権威的でもなくて、柄が、蓬莱山だの仙人の住む山に霞かなにかがかかっている、そんな景色に見立てられて・・・。

 

けど、そんな風に見立てなければ、この柄、ポップ。

篦目も柄と呼応してリズミカル入れてあるようで、そんな造形も、ポップ^^

 

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