2018_01
28
(Sun)21:41

霰 と 志野   宗麿造 志野茶碗 2

Category: ゆる茶
宗麿の志野に、と思ったとき、まず、思い浮かんだのが、霰尾垂釜。
一見穏やかそうな志野茶碗だが、なんとなく、うちでは、まずあの尾垂くらいでないと釣り合わない感じがした。
こぶりだが、あの霰はかなりのパワーを秘めているので。
 
薄茶器は、とりあえず、槍梅で。
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なんとなく、不似合い? 
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茶碗に湯を注ぐと、底がほんのりオレンジ色に色づく。
 
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この二枚の画像だと、あまり大差ないようだが、実際は、お茶を飲み干した後、ほんのりと若草色がかって見えた。
茶を点てたときは、もうすこし白い。
「雪間の春」などという言葉を思い浮かべた。また、利休さんがむ例に挙げた、あの「侘び」の歌とか。
 
わりと早く温まる。
温まってくると手に吸い付くようだが、赤茶碗や黒茶碗とはまた、ちがう。
高台から、けっこう湯気、というか、水分が出ているようで、高台下は机にすぐシミができる。
 
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手取り、手に持った感じはとてもいい。
うちの黒茶碗や赤茶碗に通じるような。
ただ、そこだけに特化して、極まっている感じとは違う。
楽茶碗は、視覚的な要素をかなり切り捨てて、手取りや持った感じの心地よさを極めている感じだが、この茶碗は少し違っている。
茶碗に対する考え方、見方、アプローチの仕方は楽茶碗とは違っているが、極まった地点は同じという感じがする。
 
また、なんというか、代えがたい個性といったものを感じる。
しかも、パワフルな、というか、巨大な、というか、偉大な、とでもいうか。
不思議かもしれないが、見た目は、ほんとに、穏やかな、「個性」などという言葉にはほど遠いような、なんでもない茶碗に見える。
(志野としては、かなりキている、にしても^^)
ところが、茶を点てているとき、なんともいえない、個性といったものを感じるのだ。
茶筅の感触がどうこうといったものではなくて、純粋に、精神的なところで。
茶碗と対峙している、という感覚にもなる。
今までの茶碗で「対峙」なんて、そんな風に感じた茶碗はなかった。
その「対峙している」という感じが、「個性的」なのだ。
そういった意味で、不思議な、いままで出会ったことのない、「個性的」な茶碗。
でも、まあ、これは第一服目の印象で、二服、三服するうちに、馴染んできたけど(とはいえ、どこかに「対峙」の緊張感ははらんだままで)。
 
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そういうわけで、ちょっと、黒茶碗、赤茶碗でスリーショットを撮ってみたけど、ほんとうは、一番並べて撮ってみたいのは、竹泉のさんの御本手「知足」。
どちらも機知に富んだ茶碗だが、全く対照的な感じがするので。 
 
それはそうと、薄茶器は、一閑がとてもしっくりくる。
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はじめ、槍梅よりも一位棗か、と思ったが、そうでもなかった。
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ここまで、一閑としっくりくる茶碗も、初めて。
 
片付けてから、客の席から紅梅の軸を見て、この軸ともとても相性がいいなあ、と。
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客の席で飲むことはないので・・・つまらん。。。
(奥さんが亭主をしないので、僕は客で飲めない。亭主と客を行ったり来たりするのは落ち着かない・・・)
 
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