2018_10
07
(Sun)20:24

釜肌というモダンアート

Category:
例の阿弥陀堂釜。
夜、蛍光灯の光で。 
 
この釜の肌を拡大。
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よく使い込まれて、凸面はてかり、凹面は錆が入っている。
なんともいい鉄味・・・。
俗っぽくなるが、たとえば、学校の鉄棒とか、交通量の多いところのマンホールとか、そんな鉄を連想する。
けど、これ、実は、鉄なんかじゃない。 
確かに、錆びているところは鉄。
しかし、黒くテカっているところは、鉄ではない。
漆。
 
もし、これが全面鉄が露出すれば、ただの錆びた赤い釜になってしまう。
 
漆と鉄によって、使い込まれた鉄の風情を作り出している。
しかも、実際に使われてきて、こういう肌になる。
釜は本体の鉄の保護のため、漆と錆を何層にもコーティングする。
このコーティングの回数が少ないと、つかつていて、すぐ錆びてしまう。決して、こんな使い込まれた釜の風情にはならない。
 
つまり、この使い込まれた鉄の肌というのは、釜師によって演出されているのだ。
仕込まれている、のだ。
しかも、コーティングを仕上げたら完成、というのではない。
使われていくにしたがって、いかにも鉄が自然に風化していくかのように、コーティングしてあるのだ。
上の層が剥がれるに従って、だんだんと、釜が使い込まれ、風化していくかのように。
 
この釜だけではない。
すべての釜にそんな演出がなされている。
ただ、上手下手、良い悪いはある。
ヘタな釜師の釜は、さっきも言ったように、「自然」に風化せず、すぐ錆まるけになってしまう。
その釜が、いかに「自然」に風化していくか、朽ちていくかは、釜師のもっている、朽ちていく鉄に対する知識とゆたかなイメージにかかっている。
どんな朽ち方、風化仕方が美しいか。
その美意識とそれをいかに再現できるかの腕前にかかっている。
使い込まれた釜が美しいか、美しくないか、とはそういうことだ。
決して、自然に朽ちて美しくなっているわけではない。
釜師によって仕込まれているからこそ、釜は「自然」に美しく風化し、朽ちていく。
 
一体、誰が、朽ちていく鉄、風化していく鉄、なんてものを表現しようとしただろう?
しかも、鉄を使って。しかし、表面は、漆によって。実際の鉄は、こんなふうに朽ちていかないし、風化もしない。
そのうえ、使われることによって。
 
使っているうちに、自然に、美しく朽ちていく、釜。
しかし、これは、すべて釜師の仕組んだこと。釜師の企み。釜師の演出。
古い釜になると、200年、300年前の釜師の企みが、今もつづいているということ。
使い込むことによって、時とともに、自然に美しく朽ちてきたように見える釜。
しかし、それは自然に朽ちてきたわけではない。
釜師の演出があってこそ。
なければ、ただの錆びた鉄の塊にすぎなくなる。
 
その企みに、知らず知らずのうちに加担させられてる、釜の持ち主。
なのに、本人は、使っているうちに釜が「自然」にあんばいよく、うつくしく風化している、朽ちていっていると信じ込んでいる。
釜師の掌の上で転がされている、まるで、孫悟空のように(笑
 
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