2018_10
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(Fri)23:45

左鐶 

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 「左鐶」について、ネットなどで調べたことの整理。
 
1 「左鐶」の添えてあった阿弥陀堂釜には、14代浄中の極めで、「宝暦年時代 庄兵衛作」とある。
  この極め札と釜が正しく一致している、との前提で。
  宝暦は、1751~1764年。
 
2 藪内竹心著『源流茶話』。
  これは、元禄の頃。1688~1704年。
  阿弥陀堂作成の前となる。
  この中に、
 
  問:釜の鐶はいかがでしょうか。
  答:昔から、右鐶・左鐶・両合(しあい)・常張鐶(じょうはりかん)・雲龍釜に仕つけられた鐶、があります。
   右鐶・左鐶は左勝手か右勝手かにより使い分けます。
  両合は左右ともに合っているので、両合といいます。
  常張鐶は、常張釜の上に板状に突き出ている鐶付に用います。
  雲龍釜仕つけの鐶、熬釜(ごうかま)の取手、三味線耳は、みな帛紗で取り扱います。 
 
  元禄の頃は、勝手によって使い分けたらしい。
  『源流茶話』は、利休に戻ろう、といった趣旨。
 となると、利休の頃も勝手によって使い分けていたのか?
 
 ただ、この訳文からすると、左勝手で右鐶、右勝手で左鐶、みたいにもとれる。
 
3 茶書『千家茶事不白斎聞書』。
  川上不白は、江戸千家の祖。1719~1807年(享保4~文化4)。
  この『千家茶事不白斎聞書』とはのことなのだろうか。
  ネット上ではこの『千家茶事不白斎聞書』から、いろいろ引用されているようだが。
  成立は、よくわからない。
  『不白筆記』は、1758年(宝暦8)頃とも。
  阿弥陀堂釜のと同じ頃か、それよりもあと、ということか。
 
 とりあえず、その『千家茶事不白斎聞書』には、鐶について、
 
  ひる口、切口、ひるの如し、唐金大小有り、みヽず、みヽずの如し、唐金大小、諸手左右違目同じ、老人之遣物也、さヽげ、角豆の如し、丸み有り、鉄大小、しやうはり、丸きものに、別に二つの鐶有、鉄也、真鍮の鐶、大小有り、平くわん、平み有り、鉄大小、美濃紙にて巻、鳴りを留る也、他流のもの、四方釜の鐶、真鍮平鐶仕付け、名物のくわん、奈良鍛冶の作也、利休所持宗旦の書付有り、今坂本周斎に有之
 
 とある。原文なのかどうか知らないが、読みにくい。
 「諸手左右違目同じ」の「諸手」とは『源流茶話』の「両合(しあい)」のことか。とりあえず、この「左」とは、左鐶のことのよう。ただ、そのあとの「違目同じ」の意味がわからない。
 とはいえ、下線部の意味は、「ひる口」をはじめとするこれらの鐶は、「老人之遺物」である、すなわち、時代遅れである、という意味に思える。
 ただ、「左鐶」の用途は不明。
 
宝暦の頃、すでに「時代遅れ」という鐶を釜に添えるというのもちょっと違和感。
なので、『千家茶事不白斎聞書』はもう少し後で成立したのではないか、と。
1800年前後くらい。とすれば、50年前の「左鐶」は時代遅れとなつてもおかしくない、かな。
とすると、この「左鐶」ははじめから釜に添えられていたのでは、と。
つまり、鐶も「宝暦庄兵衛作」では。
どっちにしろ、元禄の頃(1700年前後)までは普通に使われていたらしい「左鐶」は、宝暦の頃(1700年中半)以降には、すでに「遺物」だったらしい。
 
4 稲垣休叟著『茶道筌蹄』 1816(文化13)年 には、こうある。
 
  鐶、大小あり、両様とも利休所持、今用るは大の方也、シン鍮は真の鐶也、左鐶は古風也
 
 1800年頃には、「左鐶」は「古風」と思われていた。
 『千家茶事不白斎聞書』の流れを受け継いでいるというこか。
 
5 凌雲帳 小西家第13考小西新右衛門著 1941(昭和16)年
 
 と、いきなり、明治、大正をこえて、昭和にワープしてしまったが・・・。
 これは、小西酒造の小西家の茶道資料。
 小西家のHPより。
 「凌雲帳は、後記「序」の項でも明らかなように、小西家第13考小西新右衛門が 茶道の研鑚の過程で書きためたものを 昭和16年に取りまとめ、発表させていただいたものです。」
 小西新右衛門は、表千家。
 また、半床庵の久田宗也が「序」を識書きしているので、確かな内容かとも。 
  
 そのなかに、
 
  鐶には鐵、砂張(さはり)、眞鍮あり。形(かたち)は、ひる鐶(くわん)、常張鐶(じようはりくわん)、左(ひだり)鐶あり、鐵のひる鐶が普通にて、眞鍮は水屋用なり。常張鐶は常張釜又は釜の鐶付の穴(あな)が、左右に向きある鐶に用ひ、砂張(さはり)鐶は多く、左鐶にて合せ目が普通のものとは反對のものなり、臺子用にて普通には用ひず
 
 なんと、台子用だとある。
 『茶道筌蹄』から150年あまりのあいだに、かなりの変遷があったようだ。
 
6 佐々木三昧著 『茶器とその扱い』 1954(昭和29)年 初版 淡交社
  お茶の道具について、一般的な解説がしてある。ただ、「扱い」は裏千家っぽい。
  うちにあるのは、1989(平成元)年版
 
  「左鐶」についての記述はない。
 
7 義叔母(1946(昭和26)年生、表千家のお茶の先生をしている)の証言。
  
  左鐶ですが、私は初耳です。
   一昔前まで左利きは直すべきものでした。お茶のお点前も左利きではできません。茶室には逆勝手というのがありますが、どうしても本勝手に作れないとか、特別な思い入れがあるとか等奇少です。炭点前の時、鐶を、客付、勝手付の順でかけるのですが、その時でも普通の鐶でさし障りないと思うのですが・・・。
 
 お茶の世界において、現役の先生が知らないのだから、すでに、「左鐶」は忘却の彼方、完全に過去の遺物。
 
 まとめ
  
 1688~1704年以前  勝手によって左右の鐶を使い分ける
                 藪内竹心著『源流茶話』
 1751~1764年頃   下間庄兵衛作 阿弥陀堂釜 左鐶添
                 14代大西浄中 極札(1946年極め)
 1758~1807年頃   「左鐶」などなど、老人の遺物である 
                 川上不白著『千家茶事不白斎聞書』
 1816年         「左鐶」は古風           
                 稲垣休叟著『茶道筌蹄』
 1941年         「左鐶」は合わせ目が普通のものと反対のものであり、台子用
               で、普通には使わない        
                 小西新右衛門著『凌雲帳』
 1954年         「左鐶」の記述なし         
                 佐々木三昧著『茶器とその扱い』
 2018年         「左鐶」は初耳           
                 1946年生の茶道先生 
 
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