2017_08
12
(Sat)22:11

たまたま、ヤフオクを見てたら、見つけた。

色、艶、透明感がとても綺麗なので、買ってみた。

 

P8102779 (512x384)

 

8代宗哲作  溜薬器。

溜塗りの薬器。

帽子棗、とも呼ばれているらしいが、その呼び方は正しくない、とも。

薬器棗、というものもあるが、これとは型はちがう。

ヤフオクでは「溜薬棗」となっていたが、届いてみると、箱には、「溜 薬器」と。
 

P8122830 (512x384)

 

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「薬器」というわけでか、内側になにか白いものが塗ってある。

なんとなく、釜の炭酸カルシウムみたいな感じで、さわると、ちょっと、カシカシする。

 

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画像ではこの程度だが、実物は、もっと透明感がきれい。

とくに、肩の丸くなっているところ。

また、光のつよさ、見る角度、距離、などなどによって、明るい赤から暗い、ほとんど黒に近い赤までさまざまに変化。

見ていると、この世のモノではないような気がしてくる。

いちまに、「へあがる、ってこういうことやで」とか言ってみたり(笑

 

ふかい、というか。

塗り物なので、木地かなにかの上に塗ってあるだけなのだが、この透明感は、どこまでもこの色、艶、輝きのものが続いている感じがする。

この色、艶、輝きの物体。

とても塗り物とは思えない。

 

溜塗りというのは、赤や紅、時には木地の上に透明な漆を塗ったもの。

時を経ると、透明感が深くなるとは聞いていたが、これほどのものは見たことなかった。

(いろいろ、透明感が深くなる条件はあるらしい)

 

「経上がる」といったのも、半分は冗談だけど、まったくの冗談でもない。

8代宗哲は、文政11(1828)年~明治17(1884)年の人。

この薬器はいつの作かはっきりはわからないが、まあ、150年くらいは経っていると考えてもよさそう。

なので、完全、経上がってる(笑

 

150年を経た、溜塗りの透明感。

この世のものではないような。

 

この美しい透明感もさることながら、もうひとつ驚いたのは、箱から出したときの、手に持ったときの、軽さと堅牢さ。

棗で「軽い」というと塗りの回数が少なくて質的に劣る、という印象を持っていたが、これはその逆。

軽いけど、しっかり。

 

P8102799 (512x384)

 

口のこの薄さ。

約1ミリ。

しかも、この1ミリのまま肩へとつづいている。

あまりにも繊細。

かつ、堅牢。

底の裏の針銘も、思っていたよりかなり小さくて、びっくり。

画像で見ると、拡大されているので、そんな風に思いこんでいた。

 

それに、普通漆器と言えば、木地などに塗ってあるわけで、その「塗ってある」という感じを免れない。

それが、これは、まるで漆そのものといった感じ。

 

12代の宗哲さんがトマトや柿で香合や茶器を作ったことがある、という話を聞いたことがあるけど、たしかに、こういう技術があれば、トマトや柿の薄い皮を活かしてつくれるよなあ・・・とはいうものの・・・。

(これは、乾漆ってこと?)

 

いままで、ぼくが知っていた漆器とは、別次元。

何でもかんでも、溜塗りなら時を経れば、美しくなる、というわけでもないだろう。

やっぱり、150年経っても劣化しないだけのものでないと。

8代宗哲の腕と150年の歳月がうみだした、この世の物とは思えない、色、艶、透明感。

漆器の魅力であり、醍醐味でもある^^

 

ふれたり、扱ったりするのに、値段聞いてもびびったことはないけど、見れば見るほど、この美しさ、触れるのにちょっとびびった^^

 

それとも、この軽さ、硬さからして、この薬器は、乾漆?

だとしたら、木地のものとは、別物なわけだし^^

 よおわからん^^

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2017_07
31
(Mon)22:52

7/8に、京都高島屋で開催されていた猪飼さんの個展に行ってきた。

今回の猪飼さんの作品は、非常に素晴らしかった。

会場では、「古典的造形のなかに息づく現代」などと、あまりうまく言葉にまとまらなかったが、そんな印象を受けた。

(いつものとおり、猪飼さんとはいろいろ話した)

で、ちょうど水指しが欲しかったので、これなんかいいんじゃないかというので買ってみたが、それが、7/28に届いた。

P7292689 (512x384)

 

灰釉の飾壷。

径が約19センチ。

 

P7292685 (512x384)

 

蓋付きだが、蓋をとっても見事。

僕的には、蓋を取った方が好き。

 

何ともすっきりとした、迷いのない姿なり。

しかも、実際の大きさよりもおおきく見える。

堂々としていて、風格もある。

 

いろいろ奥さんとも話しているが、だいたい、思うところは同じようだ。

れいの竹泉さんの御本手の「知足」にならぶな、と。

あの茶碗は、ぼくにとっては、「茶碗とはなんぞや」という問のひとつの答え。ひとつのというのは、他にもいろいろ答えはあるだろうが、唯一無二の答えのひとつ、という意味。

この壷は、同様に、「壷とはなんぞや」という答えのひとつ。

 

猪飼さんは、あの「知足」を持っていって見せたとき、「○○さん、今からこんな茶碗がいいなんていってたら、これから、どうするんですか?」みたいなことを冗談のようにも言っていた。

この言葉を、そっくりそのまま、この壷を作った猪飼さんにさし上げたい(笑

「猪飼さん、今でこんな壷作ったら、次はどんな壷作るんですか?」

この壷と、猪飼さんが今回の個展で示してくれた到達点について、ほんとうはもっといろいろ言いたいのだが、それは、奥さんとだけの秘密にしておこう^^

褒める言葉しかないし、あまり褒めすぎというのも・・・。

 

ただ、陶芸をしている若い人のなかには、この壷の良さ(「すごさ」とは言わなかった。でも、実際は「すごさ」だろう。猪飼さんは自分の作品なので控えめに言っていたのだ)がわからない人もいる、と猪飼さんは言っていたが、「そういう人は陶芸をやめたほうがいいんやないか」とぼく(笑

「さもなければ、わかるまで、いろいろ見て勉強すべきや」

 

さて、普段は床に飾っておいて、お茶の時には水指しに。

 

P7292699 (384x512)

 

はじめは、蓋ごとと思ったが、おいてみるとどうも水指らしくない。

ので、たまたま、唐津の水差しの蓋がピッタリだったので、その蓋を使うことにした。

水指 のこの塗り蓋は、合図やサインみたいなものだ。

「これは水指ですよ」と。

この蓋をつければ、かなりなものまで「水指」らしくなる。

 

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順光。 

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客から。

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軸は、「夏風」。

 

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光や見る角度によって、いろいろな表情を見せる。

同じ壷には見えないほど。

こういうのは、好み。であり、陶磁器のひとつの醍醐味かと。

光沢も独特。


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2017_07
31
(Mon)22:02

7/20に、奥さんが買ってきてくれた。

 

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亀末さんの、そまづと。

7/20は、祇園祭の山鉾巡行の先祭(17日)と後祭(24日)の間。 

なのでなのかどうかはわからないが、普段は、ほとんど店頭には置かないお菓子と言うこと。

たまたま立ちよったらあったので、買ってきてくれた。

 

やや、笹が乾燥気味。

たぶん、ほんとは、笹はこんなふうに乾燥していないのだろう。

 

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葛製のおかし。

画像は見栄えよくするために笹の葉の真ん中に置き直した。

素直に笹を解けば、お菓子自体は笹の端に乗っている。

 

葛のなかに、一休字納豆が一粒。

一休字納豆のほんのりとした塩気が、葛の甘みを引き立てる。

というか、塩気そのものが、ほんのり甘く感じる。

一休字納豆のまわりの葛には、納豆の風味がとけてしみている。

葛と一休字納豆、ありそうでなかったマリアージュ、かな。

この蒸し暑い季節に、葛はもちろん、一休字納豆の塩気に癒される。

 

店頭に出さないというのは、町内の祇園祭に係わる人たちが、鉾をたてたりなどなど、祭りのあいまの一服に供されるお菓子なのかも知れない。

 

そまづと(山の手土産、というような意味)とは、わびた銘。

 

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